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 激震にエステルは足を取られた。荒れ狂う嵐の大海原の如く、残骸をちりばめた大地が波打ち盛り上がる。その元凶にして震源地は今、信じられないことに移動していた。

「せっ、先輩っ! なな、なっ、何事ですかぁーっ!?」
「解らないっ! 兎に角、散って!」

 ザナードの悲鳴に怒鳴り返して、我ながら情けない話だとエステルは舌打を零した。咄嗟にカゲツネとヨラシムが二手に分かれて視界の両端に消える。
 解らないというのは、正直で率直な感想だった。現状を捉えた言葉では決してない。
 だからエステルはただ、全滅のリスクを軽減する為に、仲間達へ散開を呼びかけるしかなかった。
 他に、言いようがない。本当に何が起こったのか、エステルには解らなかった。総身を震わせ、全身の毛穴が開いて裏返るような恐怖心だけが、エステルを懸命に走らせる。彼女は気付けば、棒立ちになっているザナードの手を引っ掴んで走っていた。

「馬鹿っ! 死にたいの!? いーから走んなさいっ」
「は、はいっ!」

 正体不明の物体は、地中を縦横無尽に泳ぎ回る。エステル達はただ、その舳先に当らぬよう、航跡を踏まぬように逃げ惑った。全身を冷たい嫌な汗が伝い、たちまちタイツが肌に張り付く不快感がエステルを襲う。それもしかし、生きているという実感かと思えば、気にせず回避に集中するしかない。

「エステェール! 何だこいつぁ!? こんな原生動物、見た事ねぇぞ!」
「熱源感知……ほう、これは大きい! これは大発見です、こんな巨大な生物が……」

 そう、相手は自分達と同じ生命体。ヨラシムが叫び、カゲツネが感心する通り、この星の原生動物としか考えられない。それだけは、巨大な爪と牙の痕を見たエステルにも解る。そしてもう一つ解ること……それは、地中を縦横無尽に乱舞する未知の原生動物の、その巨大な運動エネルギーに触れただけで致命傷だということ。
 咄嗟にザナードを庇って身を浴びせ、押し倒しながらエステルは地面を転がった。その直ぐ横を掠めた敵は、進路上にあったコンテナの残骸を木っ端微塵にしながら土中へ潜って消える。敵……正しく敵意を向けて襲ってくる相手は、エネミーの名に相応しいが。残念ながら敵対して勝負になるとは、エステルには思えなかった。
 今は、まだ。

「チィ! 潜った!? ついてない、まさかこんなのが待ってるなんて!」
「イチチ、先輩……あの、いいスか」
「どうする、脱出のあては……外へ通じるテレポーターは? このフロアのどこかに……」
「先輩、先輩っ!」

 敵意が僅かに遠ざかり、荒れに荒れていた地面のうねりが静けさを取り戻すと。エステルは親指の爪を噛みながら自問を繰り返した。自信のない自答をおしのけ、彼女の耳をザナードの声が打つ。

「先輩っ! ……何座ですか? 僕は、いて座です。今週のラッキーカラーは紫、仕事に転機アリ」

 無理に強がった声で、ザナードはエステルの股下から這い出た。気付けばエステルは、ザナードの上に馬乗りになっていた。必死で打開策を練るエステルの脳裏を、ザナードの取りとめのない言葉が埋め尽くしてゆく。
 エステルの中で高まりつつある焦りと不安が、つまらない話で塗り潰されていった。そうして意味もない会話を続けることで、ザナードは不安を払拭しようとしているようにも見える。

「あ、でも金運ダメダメだったな……そうか、これで強制転送されて、無一文になるのかな」
「……馬鹿ね、ザナード君。小まめにトランクルームに預けなさいよ。教わらなかった?」
「ああ、そう言えば先生がそんな事を! で、先輩は何座ですか?」
「秘密。嫌よ、いっつも笑われるもの」

 エステルは場違いなザナードの言葉に、冷静さを取り戻して自分を落ち着かせる。
 不意に足元の大地が赤熱化して沸き立った。土中の酸素が熱に燃えて、たちまち流動化現象を起こしてグズグズに煮え滾る。エステルはザナードを突き飛ばす反動でその場から、転げるように逃げ出した。
 僅か数秒前まで二人が立っていた場所が、突然活火山の様に噴火した。同時に飛び出す巨大な影。

「こいつぁ……ははっ、まるで御伽噺かゲームの世界だな。ええ? ドラゴンか」
「ヨラシム、名付けるならワイバーンでは? 翼から独立した前肢がありませんから」
「こまけぇことはいいんだよ! エステル、ドラゴン退治だ、いけんだろぉな!」
「ですからワイバーンだと……龍ではなく竜、飛竜という形容が正しいと思いますが」

 高い天井すれすれに舞い上がり、巨大な翼を広げてエステル達を睥睨するその威容……それは正しく、神話の世界から抜け出したドラゴンだった。カゲツネが拘る差異も些細なことに過ぎず、見上げて息を飲むエステルもヨラシムに同意せざるを得ない。
 ドラゴンであれワイバーンであれ、言える事は一つ。密閉されたこの空間で、敵意を持って羽ばたく巨大な敵が絶対的な強者であること。試してみないことには解らないが、四人が全力を尽くして果たして倒せる敵だろうか? 最悪のケースがエステルの脳裏を過ぎる。

「ザナード、特別に教えてやる……笑えるぜ、こいつ乙女座でやんの」
「因みに血液型はA型、スリーサイズは最終的に計測した時点で……」

 すかさずエステルは、背後に背をあわせて武器を構える男達にゲンコツをお見舞いした。精一杯背伸びして、ヨラシムとカゲツネの後頭部を思いっきりド突く。固く握った拳はしかし、用が済んだら解かれて。自然と複雑な印を結んで脳裏に式を構築した。
 そのすぐ横で、同じ動作をなぞるように追う少年の姿があった。

「意外ですね! エステル先輩、乙女座なんですか。それでいて、A型。ああ、ナルホド!」
「だから嫌なの……悪かったわね、こんなのが乙女座で。デバンド、よろしく!」

 全く同じ印を結ぶ、エステルとザナードのテクニック実行手順が分岐した。一足早く公式を組み立て終えるや、エステルは大きな瞳をより一層大きく見開き実行を念じる。対象者の身体能力を飛躍的に向上させるテクニック、シフタが実行されると同時にヨラシムが大剣を構えた。その横でカゲツネもライフルからマシンガンへと武器を持ち返る。

「今週の乙女座は波瀾あり、金運安定、仕事は前途多難……あ、でも恋は素敵な出会アリ」
「……当るの? その星占い」

 鼻息も荒く、ザナードがデバンドを組み立て終えて実行する。目に見えぬ守護の光が四人を包み、申し訳程度に防御力が上昇した。同時に上空に鎮座する嵐の暴君より、炎の礫が撒き散らされる。
 四人は一斉に四方へ散って、上空の敵を睨んだ。
 現状は把握した。はなはだ理不尽で不条理だが、目の前のドラゴンを倒すより他に生き残る道はない。それはしかし、どの道も選べないよりははるかにマシだとエステルは胸中に叫ぶ。

「おっ、やっこさん降りてくるな。どれ、一当てしてみっかよ! ザナード、付いて来いっ」
「……え、は、はい」
「気合入れろよ、背中ぁ預けた! ちったぁ腕前見せてみろや!」
「は、はいっ!」

 巨大なドラゴンが羽ばたく、その翼が生み出す風圧をものともせずに。ヨラシムは背中にザナードを庇いながら突進してゆく。ソードをひきずり疾駆する姿が遠ざかると、エステルはえもいわれぬ不安を掻き立てられた。
 腕は信用しているのに、誰よりも良く知っているのに。
 しかし傍らでカゲツネが、無言で頷き心配を取り除いてくれる。だからエステルは迷いなく、巨漢のレイキャストに並んで駆け出した。
 ドラゴンは今、その強靭な脚で大地を掴んで降臨した。

「かぁぁぁっ! デケェ! 馬鹿みてぇにデケェ! 見ろザナード、こりゃ……」
「師匠っ、こんなイキモノがいるなんて……凄いですね、ラグオルは!」

 突出した前衛の二人に、恐怖心はなかった。あるのはただ、純粋な好奇心と探究心……そして大自然への畏敬の念。ただ、彼等は恐縮して頭を垂れる前に、その大いなる力へと挑戦することを選んだ。それは正しく、本星コーラルで文明を築いてきた人類の業にも似て。
 大自然の驚異を前に、ヨラシムとザナードは克服し、制圧して征服することを選んだ。
 咆哮と共にドラゴンの口が大きく開かれ、真っ赤な咥内に紅蓮の炎が燃え盛る。カゲツネが「これではまるでファンタジーですね」と苦笑するよりも早く、地獄の業火が解き放たれた。

「やっぱドラゴンじゃねぇか、カゲツネェ! っしゃ、行くぜザナード! ついてきなっ!」
「はいっ、師匠! やってやる…やってやるぞっ! やって……で、でかっ!」

 大地を灼熱の舌で舐め尽して、ドラゴンが地獄を現出させる。灼熱のブレスに撫でられた大地は、散らばるパイオニア1軍の残骸を飴細工のように溶かして霧散させた。その無慈悲な攻撃をかいくぐって、ヨラシムが肉薄してソードを振りかぶる。気勢と共に振り下ろされた刃は強靭な鱗を散らして肉に食い込み、骨まで達して粘度の高い血液を噴出させた。

「おーしっ! 奴もイキモンだ、いけるぜザナードッ! いいか、一撃離脱……やれっ!」
「は、はいっ! 一撃離脱っ……うわぁぁぁぁっ!」

 ヨラシムの攻撃は、未知の強敵を相手にしても正確で無難、堅実なものだった。一太刀浴びせるや否や、噴出す返り血を浴びるより早く身を翻して離脱している。エステルの目にも、それは普段通りの頼もしいヨラシムに映った。自然と安心に胸を撫で下ろす。
 ただ、それに続くザナードに危さを感じたから。カゲツネと左右に分かれたエステルは、地を削って大地を踏み締め急停止するや、両手を別方向にかざして二つの式を同時に構築する。頭の奥にチリチリと、神経が焦げるような錯覚を感じながらも。エステルはジェルンを放つと同時に、間髪入れずにザルアを実行した。

「いける、いけるっ! 相手だってイキモノなんだ、これだけのダメージでっ!」

 離脱するヨラシムに変わって、ザナードが切りかかる。彼は言われた通りに、煌くセイバーの粒子を浴びせて固い表皮を切り裂くと同時に大きく引き下がった。しかし、悲鳴を上げてドラゴンが羽ばたき始めると、様子を伺い回避運動を取るヨラシムとは真逆の行動に打って出る。
 ザナードは飛び立たんと羽ばたくドラゴンの、その脚に飛び乗りセイバーを突きたてた。
 粒子の刃が健を焼き斬る。絶叫と返り血を浴びながらも、ザナードはそのまま剣を振り抜いた。勢いでしたたかに大地に身を打ち据え、そのまま転がる彼に代わってカゲツネがトドメの一撃を構える。

「おっ死ね、トカゲ野郎っ!」

 カゲツネの雄叫びと共に、雌雄一対のマシンガンが火を吹いた。無数の粒子の礫が、ヨラシムが刻んでザナードが抉った、真紅の傷口に殺到する。流石に片膝を突いてドラゴンが哭いた。
 ここが勝機と、エステルは両の拳を握って天へと振りあげる。

「ザナード君、今月のいて座、ラッキーカラーは紫ってホント?」
「あ、はいっ! 奇遇ですね、先輩のハンターズスーツと同じ色で――」

 ザナードの元気な声を遮り、轟音が轟いた。エステルはもてる精神力を総動員して紡ぎ束ね、瞬時に公式を構築して実行に移す。放たれたのは雷属性の中級テクニック、ギゾンデ……熟練のフォニュエールが全身全霊を預けて練りに練った、渾身の一撃は周囲の空気を沸騰させて炸裂した。
 轟音に混じる断末魔は、誰の耳にも深くこびりついた。必殺の一撃を放ったエステルは、握る拳の中で、指を巡る毛細血管が破裂するのを感じた。明らかなオーバーテクニック……自分の力量を超えるテクニックの行使の、その代償が容赦なくエステルを襲う。
 しかし彼女は、崩れ落ちるドラゴンの巨躯を見て、安堵感に溜息を零すと……掲げた両手から力が抜けて、そのまま意識を失った。

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