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 激流の打音にボートが揺れる。
 あの日の、あの敗北の時の様に。
 ありったけの銃器を展開し、それを両手に抱えて戦闘体制のカゲツネへ、依頼人の無責任な悲鳴が向けられた。

「カ、カゲツネ君っ!」

 ラボの科学者、モーム博士。

「後は任せたっ、私は死んだフリをしているから……」
「それで奴の敵意から逃れられればよいのですが」
「とととっ、兎に角っ、頼むよ! オスト博士の研究は、とんでもない物だったのだ!」
「その点に関しては同意します。経験もしてますので」

 嘆息にも似たカゲツネの作動音を合図に、モーム博士は床へ大の字に倒れ込んだ。
 やれやれと肩を竦めつつ、カゲツネは冷静に迫り来る敵を見定める。間違いなく、先日仲間達と四人で戦った、あのアルダービーストだ。今では総督府により、デ・ロル・レという呼称が付けられている。ハンターズがデロルと呼んで恐れ避ける、この地下水道の主。
 カゲツネは戦闘準備を終えるや、左腕に埋め込まれた携帯端末を起動する。
 僅かに迷う素振りを見せたが、短い時間で彼は選んだ。大勢の御婦人よりも、たった一人の女性よりも……友を。

「もしもし、ヨラシム? 貴方がこれを聞いている時、恐らく私は――」

 自分でも言いかけて、その現実感のなさに苦笑が零れる。しかし、それを確実なものにしてくれる脅威は、もうすぐそこまで迫っていた。
 だから簡潔に、前置きもそこそこに、それでも一言伝言の緊急性を伝えるため、カゲツネは口にした。
 自らが迎えるであろう、運命の結末を。

「恐らく私は、生きてはいないでしょう」

 優れた演算能力を発揮するまでもなく、結果は明らかだった。ヒヨッコを一人抱えていたとはいえ、ベテランのハンターズが総出で叩いて、ようやく撃退できるような化物が相手なのだ。一人で戦えば、死んだフリでは済まされない。待っているのは、確実な死。
 或いは、原生動物同様にアルダービースト化するか。
 恐らくキャストの自分に後者はないと思いながら、カゲツネは言葉を続ける。

「先ずは用件から。先程、坑道でスゥという女性に会いました。非常にチャーミングな女性です」

 知性に満ちた瞳に、凛とした佇まい。その容姿や仕草を語りたがる自分を、辛うじてカゲツネは制する。そんなことはヨラシムには、全く必要のない情報だったから。
 むしろ、大事なのは――

「ヨラシム。貴方の私的な調査の役に立てれば、と思い、この伝言を残します」

 一呼吸置いて、あの女性の……スゥの言葉を、そのまま伝える。

「ブラックペーパーにはもう、関わらないほうがいいでしょう。黒い猟犬にご注意を……以上です」

 ラグオル調査とは別件で、友はブラックペーパーという組織を追っていた。それはハンターズにとっては、一種の都市伝説のようなもの。あるかどうかも解らない、武器密売組織というのが専らの噂だった。
 しかし現にヨラシムは、そのブラックペーパーに大事な物を奪われたらしかった。らしかった、というのは、ハンターズ特有の、不用意な深入りを避ける道をカゲツネもまた選んだから。
 この短い時間はしかし、復讐の刃を研ぐ友への伝言だけでは、使いきれなかった。
 ボートに迫るデロルはまだ、ライフルの射程の外を探るように蛇行している。

「……あー、ゴホン! 時間が余ってしまいました。そうですね、あのユニットの件ですが」

 油断なくカゲツネは、迫る死へと緊張感を漲らせる一方で。それから思惟を逃がすように、とりとめもない事を二つ、三つと片付けはじめる。
 二人で取り合っていたユニットもアーマーも、全部譲ると言えば、どこか遺言めいてて妙な気分だ。自分の財産に関しては、万が一の時を考えてもう手続きしてある。今まで付き合った女性全てに、ささやかな贈り物を添えてお別れのメッセージを送れば終わり。何千通になるか解らぬメッセージを送れば。

「ああ、それとエステルやザナード君にも宜しく伝えてください。それでは失礼――」

 チラリ、とデロルを見やる。
 まだ、射程内に入ってこない。
 床に横たわるモーム博士が、妙に思い立ち上がった。
 その姿を横目に、未だ繋がり続けてるパイオニア2の回線へと、カゲツネは常日頃の思いを呟いた。

「最後に……ええ、本当に最後に。ヨラシム、よりを戻してはいかがですか? エステルと」

 常日頃から思っていたことを、自分もできたらと考えていたことをカゲツネは告げた。
 これを聞く時、ヨラシムがどんな顔をするかが、カゲツネには手に取るように解る。慌ててどもりながら「何故」と「どうして」を繰り返した後、いつものように無精髭をさすりながら言うのだ。「別に俺は」と。俺はどうとも言わずに。
 カゲツネはエステルが好きだった。しかしそれは、他の大勢の女性と等しく、平等に愛しいという意味である。そこに上下はないのだが、それを相手はよしとしなかった。
 一方で、友はあのはねっかえりと確かに気持ちを通わせていた。時間も空間も共有し、それらを超越した何かを生み出していた。悔しいが、カゲツネにはそれが解ったし、今は中断されているとも感じていた。

「こういうのはどうでしょう、ヨラシム。エステルは最近、ストーカー紛いのメールに……」
「ひ、ひえええっ! カッ、カカ、カゲツネ君っ! 今度こそ任せたっ!」

 不意に濁流が弾けた。
 周囲に飛沫を雨と降らせて、巨大なワームが身をもたげる。その姿から必死で逃げ惑うモーム博士を、気付けばカゲツネは庇っていた。
 瞬時に放ったフォトンの礫を、眩い光芒が巻き込み吸い食らう。
 強力な熱線が放たれ、今までカゲツネ達が居た場所がどろりと融解した。

「――ではヨラシム、戦果を期待してますよ。一度は落とした城でしょう? お別れです」

 メールの送信と同時に、パタンと左腕部の携帯端末を閉じるカゲツネ。
 律儀に死んだフリを再開したモーム博士の前に仁王立ちになると、彼は不気味にこちらを窺う髑髏に向かって吼えた。

「人間一度は死ぬもんだ! 問題は死に方って奴よ……かかってこいや、ド畜生っ!」

 先日戦ったデロルの傷は、既にもう完治しているらしかった。オスト博士のレポートにあった、自己修復……加えて先程の熱線攻撃、あれは先日は見られなかったもの。恐らく、自己進化……それもまた、レポートに詳細に綴られていた。
 銃口が火を吹く。カゲツネの氣に合一した粒子の矢が、狙い違わず一筋の光となってデロルに注がれる。
 しかし、デロルは全く意に返さず、触れれば致命打は避けられぬ一撃を放ってくるのだった。
 ふと、カゲツネの脳裏を軍人だった頃が過ぎった。
 愛のキューピットを演じるよりも、為すべきことがあったと思い出す。それも、かつての戦友がついているのだからと言い訳を括りつけた。その戦友がいながら、どのような事態になっているかは知っていたが。
 今はただ、無心に銃爪を引き搾るカゲツネ――その耳に響く、あの声。

「吼えましたね、カゲツネ。その命、捨てるならば私に預けてみませんか? ……今一度」

 周囲に人影はない。既にモーム博士は、ボートの隅で祈りを叫んでいる。
 声が、特殊な回線を通じて己の身に響いている……そう気付くと同時に、カゲツネは身を躍らせて転がった。再び水中へと身を没したデロルから、無数の光球が放たれる。
 それは、軍務経験があるキャストだけが有する回線で、しかもその周波数は、限られたものしか知らない。可憐な少女を守ると誓った、戦友と自分しか。
 しかし今、少女の殻を脱した声が、カゲツネの思いを撫でてゆく。

「大事なのは死に方ではなく、生き方。ギリアム、援護を。守られるのではなく……私が守ります」

 咄嗟にカゲツネは下流へと振り向いた。薄暗い中、明滅する天井を走る無数のパイプ群……その一本に人影があった。それが今、頭上を通り過ぎたかと思えば、飛び降りてくる。
 音も無く着地する少女の横に、ガキン! と重々しい影がそびえ立った。
 カゲツネは懐かしい面影が、思い出から飛び出て色彩を帯び、自分を挟んで並び立つ姿に奮い立った。

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