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 遺跡、澱んで煙る空気を引き裂いて。ザナードは奥へと消える小さな背中を、ひた走りに追いかけていた。隣を走るエルノアに追い越されぬよう、呼吸を貪りながら。焼けるように冷たい空気が、肺腑へと断続的に雪崩れ込んでくる。その出し入れすら苦しくても、ザナードは足を止めなかった。

「少年、挟撃する。マザーを……ウルトを向こうの区画へと追い詰めろ」

 背後で声がして、その気配が遠ざかる。後ろを走っていたカレンがきびすを返し、それに重々しいレイキャストの足音が従った。言葉を返す間もなく、カレンとギリアムが遠ざかる。

「僕は、僕等は……撃たないでくださいよ! カレンさんっ!」

 肩越しに振り返り、もう見えない相手へと叫ぶ。
 ザナードがエルノアから受けた依頼は……お願いは、姉のウルトをWORKSから取り戻すこと。
 だが、明らかにカレン達の目的は、それとは異なって見えた。

「ザナード君、エルノア! そっちに戻ってゆく。僕はこのまま後を追うよ」

 広い空間へと飛び出した瞬間、奈落にも似た深淵を挟んだ向かい側の通路に、モンタギューの姿が見えた。その声にエルノアと頷きあい、ザナードは急いで来た道をとって返す。
 できれば、カレン達より早くウルトを確保したい。それも無傷で。

「ザナードさん、あれっ! あれ、オネエサマですぅ!」

 彼女は、いた。
 呆然と虚空を、高い天井を仰ぎ見る、真紅のレイキャシール。
 ザナードは、エルノアが言ってた通りの容姿に、ひとまずは安堵した。その姿に外傷は一つもなく、まだカレン達とは遭遇していないようだった。

「オネエサマ! 心配したですぅ〜」

 ウルトへ駆け寄るエルノアを見送って、不意に吹き出た疲労に、ザナードは膝に手を突いた。床を凝視して長髪をかきあげれば、じっとりと手が汗に濡れる。
 それでも、一段落と溜息を零した瞬間……その耳へ姉妹の会話が飛び込んできた。

「……エルノア? ワタシは……そう、軍に連れ出されて……そして、自由に」
「オネエサマ? 何を、いったい何をしてたんですかぁ? さ、一緒に帰りましょう」
「毎日、調整カプセルの中での暮らし……ワタシは羨ましかった。自由なアナタが。エルノアが」

 気遣い寄り添うエルノアの表情が凍りついた。ウルトはただ、光の灯らぬ虚ろな瞳で、妹を見詰めている。

「その時、アノ子が呼んだノ……暗い地の底から、ワタシを呼んだノ」
「あの子? オネエサマ、まさか」
「そう、ワタシと同じ……自由を望む、ワタシの可愛いカワイイ、アノ子……」

 抱き寄せゆするエルノアを振り払うや、突然ビクリとウルトが身を痙攣させた。大きく見開かれた瞳が天へと向けられるや、眩い光が屹立する。その異常フォトンの活性化に、反射的にザナードは剣を抜いた。
 ウルトを中心に凝縮されてゆくフォトンは、負の力に溢れていた。

「! お嬢様、発見しました」
「あれは……いけませんね。マザーシステムが起動します。それだけはっ!」

 不意に、逆側の扉が開いて、カレンとギリアムが姿を現した。その手に握られた銃が、険しい眼光を灯す主の手で、銃爪を飲み込む。
 銃声と、エルノアの悲鳴が響いた。

「オネエサマッ!」

 カレンの放った粒子の弾丸が、性格にウルトの脳天を射抜いていた。その華奢な身はスローモーションで、ゆっくりとエルノアの腕の中へ崩れてゆく。ザナードは背後で追いついたモンタギューの、噛み殺すような嗚咽を聞いた。
 ザナードの瞳に映るもの。それは、沈黙したウルトを抱いて膝をつくエルノア。

「そんな……どうしてオネエサマを。こんなの、やですぅ……いやっ、ですぅ!」

 瞬間、収まりかけていた異常フォトンの鳴動が、再び勢いを取り戻した。目視できるほどの濃度で渦巻くそれは、エルノアへと収束してゆく。高まる光を浴びて浮かび上がる、エルノアの背に巨大な翼が姿を現した。
 神話の天使にも似た翼で、エルノアが宙へと舞い上がる。

《マザーシステム起動、フェイズ4実行……対象となる全ての兵装を制圧します》

 エルノアの口から、抑揚に欠く平坦な、それでいて冷たく沈んだ声が響いた。その声音は、普段のエルノアのものとはまるで違う。だが、ザナードには何度か、その声は聞いたことがあった。
 驚くザナードの手のうちで、セイバーの光が弾けて消滅する。

「!? け、剣のセフティが勝手に……エルノアさんっ!」
「お嬢様、武器がハッキングを受けています。お嬢様?」
「いけません、マザーが……」

 もはやそこに、いつものエルノアはいなかった。ザナードの愛らしい友人は、いなくなってしまった。マザーシステムなるものの権化となって、光の中心で姉を抱くエルノア。その口からは途切れなく、演算を詠う高速言語が零れ出る。
 同時に、地の底より何かが浮かび上がるかのような、戦慄にも似た気配がザナードを震わせた。
 思わず駆け寄るザナードは、強力な負荷を身に受け、ともすれば吹き飛ばされそうになる

《パイオニア2の全システム、制圧完了。ファイナルフェイズへ移行》
「エルノアさんっ! 落ち着いて! モンタギュー博士、どうなってるんですか!?」
「彼女が……マザーが目を覚ましたんだ。素晴らしい……素晴らしいぞ、予想以上だ」

 呆然と立ち尽くすモンタギューの顔には、法悦にも似た歓喜の表情が浮かんでいた。それでもきつくザナードが睨むと、我を取り戻したように首を振り、慌てて傍らへと駆けてくる。しかし、二人とも見えない壁に阻まれるように、そこから一歩たりとも、エルノアに近づけなかった。

《ファイナルフェイズ、実行。コードDFへのアクセス「を開始します》……あ、頭が、博士っ!」

 苦悶の表情を浮かべる、エルノアの体が大きく揺らいだ。

「頭が、割れそうですぅ! 助けて、博士……《ザナードさんっ!」 コードDF、認証……》
「エルノアさんっ! 一体何が……何が起ころうとしてるんだ。何だ、マザーって!」
「下がるぞ、ギリアム。少年! 君もモンタギュー博士を連れて逃げろ! アレが……目覚める!」

 エルノアの声色が、まだら模様のようにめまぐるしく変わる。その間にも、異常フォトンの高鳴りは続き、カレンはギリアムと下がりだした。
 だが、ザナードはエルノアへと手を伸べ続ける。

「エルノアさん……今っ、助けます!」
「ザナードさん……!? だ、駄目っ、それは駄目……《」コードDFより信号受信。排除実行》

 何かに抗うように身をよじって、輝くエルノアがウルトを抱きしめる。

「はぁ、はぁ……駄目、ですぅ……《対象を敵性と判断、排除》……駄目ですぅ!」

 その時、エルノアの翼が揃って天を突いた。集う光は奔流となって巻き上げられ、周囲の地形が崩壊を始める。背後でリューカーを実行するモンタギューの、退避を叫ぶ声がザナードの耳朶を打った。
 だが、ザナードは手を伸べ続けていた。その足はまだ、踏ん張り前へと進もうとしていた。
 僅かでも、確かに。

「必ず助けるっ! だから……エルノアさんっ! 諦めないで!」
「……ありがとうございます、ザナードさん。ワタシ、嬉しかった、楽しかったですぅ」

 不意に、エルノアの顔から苦悶の表情が消えた。
 淡雪のような一瞬の微笑みと共に、凝縮された異常フォトンが爆縮した。ザナードの視界は真っ白に染まり、周囲は強力なエネルギーの濁流に飲み込まれる。全てを塗りつぶしてあふれ出したチカラが、遺跡の深部で爆発した。
 薄れゆく意識の中、ザナードはエルノアへと手を伸べ続けた。

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