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 小さな仲間のちょっとした大冒険。その危機が去った今、メビウスは率直に言って困惑していた。そもそも平素から、人に頭を下げられるというのは何度経験しても慣れるものではなかった。
 まして、あのエトリアの聖騎士が頭を垂れているのだ、これは居心地がすこぶる悪い。
「え、ええと……とりあえず、その、よしてよデフィール。幸い、みんな無事なんだしさ」
「私の監督不足だったわ。まさかオランピアからそんな命令を受けていたなんて」
 顔をあげたデフィールの表情には、少し気疲れが見て取れた。そしてそれは多分、自分の顔にも張り付いているとメビウスは思う。例のテムジンによるジェラヴリグ暗殺事件の後始末は、これはなかなかに両者にとって堪えた。
 同時に、二つのギルドにとっての大きな分岐点でもあったが、
「とりあえずさ、デフィール。あれ見てよ……ま、雨降って地固まるって奴かな」
 クイとメビウスは親指を立てて、食堂の奥を指す。そこには剣虎を背にくつろいだビーストキングの青年と共に、あの無口な機兵が佇んでいた。互いに無言だが、どこか穏やかな空気の中で気を落ち着けている。件の機兵は狂戦士の如き獰猛さが嘘のようにガランとしてて、まるで抜け殻のよう。それでもグリペンに読んでいた新聞紙を差し出されると、それを受け取り開き始めた。
「彼、置き去りにされちゃったんですって? その老婆、多分……」
「うん、フカビトだと思う。ジェラヴリグから薬草を受け取るなり、煙のように消えたってさ」
 神妙な面持ちのデフィールを前に、メビウスは「ほら、あれ」と言葉を続ける。
 テルミナトル達の前に、洗濯籠一杯の洗いたてを載せて、テムジンが現れたのだ。綺麗に装甲を吹き飛ばした彼女は、今はフレームの上からメイド服を着込んでいる。相変わらずの無表情で、しかしテルミナトル達の前を通る瞬間、目元を険しくして見下すように眇めた。


 面倒くさそうにテルミナトルは新聞を畳むと、その隣でグリペンがスケッチブックに筆を走らせる。その文字を目で追い、テムジンは真っ赤になった。何やら抗議の言葉をしかし、彼女は辛うじて噛み潰すや庭へと歩いてゆく。
 数日前までは互いの命を奪い合おうとしていたにしては、不思議な関係が構築されていた。
「彼は、テルミナトルはうちのギルドにいて貰うことにした。ジェラヴリグも懐いてるし」
「テムジンは私からきつく言っておいたから。もうあんなことはない。……と、思うわ」
 どうやらデフィールにこってり絞られたらしく、半壊同然で担ぎ込まれたテムジンは回復するや、今まで通りメイドロボとして働き始めた。トライマーチとソラノカケラの、要するにおさんどんである。
 そのことに関して不平や不満は出なかったが、噴出したとしてもメビウスは受け入れるつもりだった。そういうことを調停して取り持つのもまた、ギルドマスターの仕事なのだから。もっとも、当のトライマーチのギルドマスターは深都で冒険に入り浸りで、それでデフィールが雑務に忙殺されているのだが。
「でもメビウス、彼女の行動はある意味で深都の総意とも取れるわ」
 デフィールは僅かに眉をひそめて、溜息と同時に呟きを零す。
 そう、フカビト討つべし、フカビトの血は断つべし……それは深都の、深王の真意なのかもしれない。かもしれない、としか言えないのは、今回の件が辛うじてオランピアの独断だと知れたから。
「悲観も楽観も度が過ぎれば……ってね。ぼくも心配ではある、けどまあ、あの通りさ」
 洗濯物を干し終えたテムジンが戻ってきた。それをテルミナトルは指差し、彼を代弁してグリペンがまたも筆を動かす。メビウスの位置からでも「お茶!」のでかい文字が見えた。勿論、眉根を寄せて真っ赤になるテムジンも。だが、彼女は苛立ちも顕ながら、自分を律するようにキッチンへと消えた。
「ね、あの二人はそれなりに事情はあるだろうけど。でも、今はぼく達の仲間さ」
 キッチンからは子供達がおやつをねだる声が聞こえる。それは勿論、やや遠慮がちなジェラヴリグの声を含んで弾んでいるが、テムジンがもう暴れることはなかった。
「だからさ、デフィール。そんな改まるのはやめてよ。なんか、その、落ち着かないしさ」
「そうですよ、デフィールさん。エトリアの聖騎士と謳われた方が、自分を安売りは」
 メビウスの声に追従する言葉は、静かに穏やかに場の空気に溶け込んでいった。
 整理し終えた元老院への報告書を手に、レヴが二人の話の輪に加わった。
「メビウスさん、今週分の報告が纏まりました。ほぼ第三層は調査し尽くしたみたいですね」
「ああ、ありがとうレヴ。まあそういう訳だからデフィール、その……やめてよ、そんな顔」
 メビウスの遠慮がちな声を聞いて、デフィールは肩を竦めるや、
「じゃ、やめるわ。お互い肩書きも少し邪魔だし。ありがと、メビウス。レヴ君、貴方も」
 ようやく緊張を解いて、普段の頼もしい笑顔が戻ってくる。トライマーチの実質上のギルドマスターは、これでその話は終わりとばかりに普段の瑞々しい微笑を取り戻した。
「デフィールさん。僕達ソラノカケラは、確かに元老院と協調体制にあります。しかし……」
「でも、深都に肩入れする私達とは、必ずしも敵対する必要性はないって話よね」
 デフィールの言葉にレヴは大きく頷き、羊皮紙の束を丸めてメビウスに手渡す。
 勿論メビウスも同じ気持ちだった。そしてそれは、トライマーチに限らずどこのギルドも同じである。今、冒険者達の大半は深王の言葉に従い、フカビトこそ真なる敵と深都に集っている。それはいい。だが、そういう選択肢の多様性も視野に置いて行動すべきだと、メビウスは自分達をそれなりに戒めていた。
 相反する者同士が、必ずしも敵対するとは限らない……一時相対しても、大局的な目でみてそれを良しとするかどうかは、メビウスに課せられた大事な責任だった。無論、全力で取り組み思案を練るし、それを仲間達は助けてくれる。
「そういえばメビウス、エミットに会ったんですってね」
「うん。……その、なんか雰囲気がこう、いつも通りのような、ちょっと変わったような」
「そう。不器用なんだから。極端なのよね、彼女」
 心配そうにデフィールは顎に手を当て肘を抱く。メビウスも気持ちは同じで、どこか教条主義者の如き硬さを纏った友に不安は募った。あれほどまでに王権を、権威を嫌っていたあのエミットが。主を得て騎士となり、その使命を自らに誇っている。それはしかし、メビウスには危うく見えた。
「エミットもあの子みたいに……マーティン卿みたいに、少し頭が柔らかいといいのに」
「ラプターか。うーん、あいつは柔らかいというか……いい意味でさ、バカなんだ」
 メビウスは隣のレヴと一緒に苦笑を零した。そして、話題の人物を探してアーマンの宿の広い食堂に首を巡らす。甲冑に身を纏う凛とした背中はすぐに見つかったが、同時に何やら騒ぎが起きているようだった。
「あら、あれは確か。元老院からソラノカケラに来た人達よね?」
「あ、うん……クジュラさんがね、紹介してくれて、みんな腕利きなんだ、けど……何してんだろ」
 食堂の片隅にラプターの姿が、彼女の弟の姿がある。二人の主は今、将家の者と思しき青年を前に硬直していた。逆にショーグンの装束を着込んで二刀を腰に佩く青年は、わなわなと身を震わせている。
 自然とメビウスはついつい、耳をこらして会話を拾ってしまった。
「クフィール……クフィールなのか?」
「兄上。はい……お互い無事で何よりでした。ずっとお探ししてたのですが」
「う、うむ、ちと東方の国に逃げ落ちていたのだが。だがクフィール、そのナリは」
 青年は端正な整った顔に動揺の色を浮かべ、傍らのシノビに気遣われている。その狼狽ぶりはメビウスが見ても、遠目にも顕なものだった。露骨にクフィールを見ておろおろとしている。無理もないと胸中に結ぶメビウス。クフィールは亡国の王子と言うには、余りにも身なりが落ちぶれすぎていたから。どこの誰とも知らぬ船乗りから譲り受けたコートを、マント代わりに着込んでいる。
「ま、茫然自失にもなるかな……彼、一見するとプリンスに見えないんだもの」
 苦笑するデフィールはしかし、本質的には立派なプリンスだと認めている。家臣と言うには熱心に過ぎる者を二人も得て、ソラノカケラの一員として働くクフィールを日々見てきたから。だが、デフィールの息子リュクスやリシュリーに比べて、そのいでたちはやはり王族には全く見えない。
「兄上、俺はなんとかやってこれました。慕ってくれる者達もいます」
「う、うむ、だがしかし……その、なんだ。……苦労をかけたな」
「いえ、兄上が経験された辛酸に比べれば」
「……もう何も失うまい。今はただ、嬉しく思う。よく生きていてくれた、クフィール」
 青年はひしとクフィールを抱きしめた。その眦には涙が露と浮かんでいる。兄弟感動の再会を眺めて、メビウスも安堵の溜息を零した。世界は広く、しかし世間は狭い。戦に断たれた縁も、出会いと別れの狭間で再び結ばれることもある。そうしてデフィールとレヴと、互いに微笑み見守っていると、
「おっ、ミラージュ! ミラージュじゃねぇか! ひっさしぶりだなあ、おい!」
 不意に食堂に華が咲いた。可憐なプリンセスはしかし、長身痩躯の美麗な容姿からは想像もつかぬ声を放って周囲を凍りつかせる。クフィールの肩を抱いていたミラージュは、突然の再会を前に石化してしまった。
「おい何だよミラージュ、俺だよ俺! 従兄弟のラファール……この格好か? 気にすんなよ!」
 なかなかに無理なことを言う女装の麗人を前に、メビウスは込みあげる笑いを噛み殺した。
 世界樹の迷宮第三層攻略直前、その前のささやかな事件が解決した後の、僅かなやすらぎのひとときだった。

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