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 夕焼けが遠景の稜線を、静かに縁取り染めてゆく。
 山からの風に髪を遊ばせながら、ファルファラは滑走路を歩いた。
 ここは帝国の辺境、フィアット傘下の小さな町工場……ピッコロ社。かつては毎日新型の砲剣を作っていたが、フィアットが民需に傾いてからは規模を縮小していた。
 だが、ファルファラは知っている。この工房には今も、騎士たちの命を宿す砲剣の技術が生きていると。
 社内の一角を占める滑走路には、小さな飛行機がエンジンを温めていた。
 今にも飛び立とうと震える翼の周囲に、人だかりがある。
「……やっぱり生きてたわね、レオーネ・コラッジョーゾ」
 自然とファルファラの唇が笑みを象る。
 彼女の独り言に、居並ぶ面々は誰もが皆振り返った。
 このピッコロ社の技師たちだ。
「おうおう、なんだ姉ちゃん?」
「ひょっとしてあれか? 公安騎士のお仲間か?」
「なんでえ、大荷物を抱えて……いや、どこかで見た顔のような」
 たちまちファルファラの前に、男たちが肉の壁を作る。だが、彼女は柔和な笑みを作って敵意がないことを示すと、肩を竦めて背中の大荷物を降ろした。
「公安騎士たちなら、あっちの茂みで寝てもらってるわ。少し仕事のし過ぎじゃないかしら?」
「姉ちゃん、あんたが……?」
「さあ、どうかしら。ただ、あなたたちの、リオンの敵ではないわ。……今は、ね」
 それだけ言ってやると、男たちの奥から名を呼ばれた騎士が現れる。
 その姿を見て、流石のファルファラも息を飲んだ。
 (あかつき)に輝く真紅の鎧も今はなく、レオーネは擦り切れたズボンに包帯姿だった。その包帯も血が滲んで擦り切れ、羽織ったマントもボロボロだ。端正なマスクも包帯に覆われており、メガネの奥の眼光だけが鋭くファルファラを見つめている。
「お久しぶりです、ファルファラ殿」
「元気そうね? フフフ……少し見ない間に随分と落ちぶれたもの、かしら?」
 正直、ファルファラの目の前に立つ騎士は、重傷の死に損ないにしか見えない。
 だが、同時に確信する……死んでいないだけではない、この男は生きているのだと。
「……あなたは聞かないのね。私に、何故? とか。どうして? とか」
 逢魔(おうま)が時を吹き抜ける風に、思わずファルファラは髪を手で抑える。
 周囲の技師たちが固唾(かたず)を飲んで見守る中、レオーネは包帯を無数になびかせ立っている。彼は真っ直ぐファルファラを見詰めて、言葉を選ぶように静かに語った。
「人は時に、歩む道を違えるものです。しかし、私が向かう先にファルファラ殿もまた」
「あら、同じ方向に向かってるとでも?」
「それを確かめる必要が私にはありません。……今は、ただ己の道を征くのみ」
「この先で帝国空軍が網を張ってるわ。帝都までたどり着けるかどうか」
 ファルファラの語る事実は、残酷だ。
 既に帝国の諜報部はレオーネの生存を察知しており、公安騎士まで送り込んできたのだ。そして今、帝都へと続く空路は全て、空軍の気球艇が塞いでいる。気球艇とは名ばかりの、完全武装した軍艦だ。
 こんなちっぽけな複葉機(ポンコツ)ですり抜けられるような包囲網ではない……だが。
 それでもレオーネは、これから向かう先の空を見据えて、
「貴女は……そうしてポラーレ殿にも忠告を? 今でもやはり、仲間を」
「……!」
 思わぬ言葉に、ファルファラは息を呑む。
 それも一瞬のことで、全てを見透かすかのようなレオーネの瞳を前に笑みを零した。
「あの人はためらわずに帝都へ、木偶ノ文庫(デクノブンコ)へと飛び込んでゆくわ。仲間たちと共に」
「では、私も急がねばなりません。巫女殿をお救いして、帝国の非道を正さねば」
「……あの女と、エクレールと決着をつけるつもりね?」
 エクレールの名前に、周囲の男たちがざわめき立つ。
 静かにレオーネは頷くだけだった。
「誰かがやらねばならぬならば、この私が……己の命に代えても」
「勝てるかしら? 相手は魔女エクレール、帝国筆頭騎士代理も務めた強敵よ」
「勝たねばなりません。仲間のために、己のために……なによりエクレール殿のために」
 この男はどこまで知っているのだろう?
 まるでそう、全ての真実を胸に秘めているかのような強い瞳の輝き。
 思わずファルファラは、込み上げる笑みに華奢な肩を揺らした。
「ふふ、おかしな人……男っていつもそう。本当に、バカ」
 ファルファラは呆れたような、しかし嬉しそうな笑みと共に傍らの大荷物を開封した。大きな布袋の中から現れたのは……鈍色(にびいろ)に光る甲冑だ。
 すかさず周囲の技師たちが声をあげる。
「こりゃ……鎧?」
「くそっ、未塗装だ。あと一時間もありゃ、俺らで真っ赤に塗ってやるんだがよ」
「姉ちゃん、どこからこんな……タグがついてやがる」
「ナカジマ? 試式零号……ほう! 排熱を利用したタービン・アーマーか」
 それは、ファルファラがプレヤーデンの工房から無断で拝借してきたものだ。
 恐らくはサイズも合うはず……なにより、金目の物に敏いファルファラのお眼鏡を通せば、これが業物の一領であることは疑う余地もなかった。
「これを……私に?」
「裸で騎士様を行かせる訳にはいかないでしょう? ふふ、よくわからないけど新型の鎧らしいわ。プレヤーデンの話では、砲剣の排気熱を循環させる相転移装甲とかなんとか」
「色が、ないようですが」
「あら、不服? まあ、あなたの血で真っ赤に染めないよう気をつけるのね」
 そうしてファルファラは、背後に息せき切って駆け付けた少女に場所を譲る。
 ファルファラの前を、一振りの剣を抱きしめた少女が通り過ぎていった。レオーネの前で深呼吸する彼女は、このピッコロ社の設計主任……レオーネの砲剣を蘇らせた人物だ。
「騎士さん、レオーネさんっ! はぁ、はぁ……間に合った、よ」
「フィオ殿……」
「はぁはぁ……だっ、騙されたと、思って……あたしの作った剣を使って!」
 少女の名はフィオ。砕かれたレオーネの剣を再生すべく、刀身を残して活かす方向で新たな図面を引いた人間だ。彼女と工房の技師たちの手で、再びレオーネは自らの証を受け取る。
 騎士にとって砲剣は魂、まさしく命を宿して戦うべき相棒なのだ。
「騙されるなどと……フィオ殿、ありがとうございます」
「もっ、ものの例えだよっ! 負けないでね、騎士さん。本当はあたしもついてきたいけど」
「これより先は死地、私が一人で参りましょう。フィオ殿はこの地でやるべきことを」
「うんっ!」
 レオーネはフィオの頭を優しく撫でると、剣を背負って鎧を手に飛行機へ歩き出す。
 その背を見送るファルファラは、最後に一つだけ言い残したことを告げた。
「ヴィアラッテアとトライマーチも動くわ。今夜……タルシス中の気球艇を総動員して、木偶ノ文庫を目指す。勿論、帝国空軍の防空網は完璧よ。でも」
 肩越しに振り返るレオーネは、クイと眼鏡のブリッヂを指で押し上げる。
 光の反射に表情を隠したレオーネは、迷うことなき言葉をハッキリと呟いた。
「ならば尚更、私は行かねばなりません。仲間が征く道の(しるべ)となるために」
「たとえ命を賭しても?」
「エクレール殿との勝負に負けて尚、私は生きながらえた……その命は、今日この日の、この時のためにあったのです」


 決意の騎士はそれだけ言うと、颯爽と飛行機へと乗り込む。
 解けかかった包帯をたなびかせながら、レオーネの操縦で飛行機は滑走路を走り抜け、燃える夕日の空へと消えていった。
 見送る技師たちやフィオと一緒に、ファルファラも気付けば目をそらすことができない。
 血のように真っ赤な西の空に、レオーネを乗せた翼はもう見えないが……その先に待ち受ける帝国空軍の防空網と、無数の騎士たちを思えば、不思議と胸の奥がざわついた。
「……行ってしまったわ。本当に、男って、バカ」
「あっ、あの! あなたはひょっとして、レオーネさんの……」
 隣にフィオの熱視線を見下ろしながら、ファルファラは曖昧な笑みを返すだけだった。

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