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 地下シェルターへと戻ったトゥリフィリは、無事にナツメへとDz(ディーゼット)を渡すことができた。チサキの怪我も処置が早かったため、医務室での手当ですぐに良くなるという。
 ホッとして一息つくと、トゥリフィリは長い廊下に置かれた椅子に座っていた。
 周囲には避難民たちが点々と座っていて、身を寄せ合っている。
 誰も彼もが疲れて傷付き、ただただ縮こまって震えていた。
 無理からぬことだとトゥリフィリは思う。
 久方ぶりに出たそとの東京は、異世界へと変貌していた。
 血のように真っ赤な花がそこかしこに咲き誇り、振りまかれる光の粉は不気味に明滅して宙を舞う。強い毒素を含んだその花の胞子は、生命を蝕み殺しながら広がっていた。
 恐らく、トゥリフィリがS級能力者と呼ばれる存在でなければ、危なかった。
 常人ならば、あの赤い花……フロワロが咲く中では身動きすらできないから。

「はぁ、疲れた……これからどうなるんだろ。ぼく、13班? の、班長……やれるのかなあ。自信、ないな」

 ぽつりと呟き、椅子からずり落ちるように浅く腰掛ける。
 全身の筋肉が疲労を蓄積しており、お腹も減ってきた。だが、それ以上に眠い。
 なにを考えるでもなく、トゥリフィリはぼんやりと天井を眺めていた。
 そんな時、目の前に影が立つ。
 ふと見れば、端正な表情の青年が立っていた。整い過ぎた顔は愛嬌を全く感じさせない。感情らしきものを宿した表情が皆無だからだ。確か、名はナガミツ。竜と戦い人を守るために造られた、人造の斬竜刀(ざんりゅうとう)だ。
 ナガミツはじっと無機質な瞳でトゥリフィリを見て立ち尽くしていた。

「あ、えと……や、やっほー? ただいまー……って、ねね、えっと……ナガミツちゃん」

 なんとなく疲れているからか、おざなりながらも馴れ馴れしい言葉になってしまう。だが、ナガミツは自分を指差して小首を傾げた。その間もずっと、精悍と言えなくもない仏頂面(ぶっちょうづら)である。

「そ、君のことだよ……ナガミツちゃん」
「了解した、班長。以後、その呼称を使用する。登録完了」
「ロボロボしいなあ。ほいで? どしたの」
「キリノから伝言を預かってきた。班長に部屋が用意できたので案内する」

 それだけ言うと、ナガミツは地下シェルターを奥へと歩き出した。
 慌てて立ち上がると、トゥリフィリはその背を追う。
 黙々と歩くナガミツは、左右で僅かに顔を上げる避難民たちにも興味を示さない。ただ、ある種異様で異質な雰囲気を発散させながら、ムラクモ機関が管轄する区画へと進んだ。
 そして、個室が並ぶ一角でナガミツはドアを開ける。
 招き入れられたトゥリフィリは、思わずぱっと顔を明るくしてしまった。

「あ、個室は嬉しいな。うんうん、上等だよっ! ベッドも……それにシャワーもある」

 部屋へ入ったトゥリフィリは、手狭ながらも清潔感のある室内に満足した。この非常時に、一人でゆっくり休めるなんてありがたい。ちょっとだけ、班長を引き受けてよかったとも思った。
 部屋は奥にベッドが一つ、そして枕元の小さな机にはノートパソコンが置いてある。
 トイレと共用のユニットバスでは、熱いシャワーも浴びられそうだった。
 だが、喜びにはしゃいでいられるのもここまでだった。

「よっし、早速シャワーを……あ、あれ? えっと、ナガミツちゃん」
「なにか」
「なにか、って……君は? どしたの……なんでまだいるの」
「俺は現在、13班の特殊機材として登録され、その指揮権を全て班長へと(ゆだ)ねるとの決定に従っている。ご命令を、班長」
「……げっ、それマジ?」

 ナガミツは黙って頷いた。
 彼は後ろ手に扉を閉めて、その前に直立不動で動かない。
 相変わらず平坦な目で、班長たるトリフィリを見詰めてくる。
 正直、ちょっと怖い。
 美形でも、なんだか(にら)まれているみたいで落ち着かない。
 そういえば、やや目付きが悪い印象もあるし、機械仕掛けの美男子にしてはどこか人間ぽい造形は整い過ぎてはいなかった。そこそこ、ぼちぼちのイケメンという印象がある。
 弱ってしまって、トゥリフィリは頭をかきながら溜息を零した。

「要するに、13班の備品ってこと?」
「肯定だ」
「……まさか、ずっとここに?」
「班長の別命あるまで待機、現状を維持するのが最善と判断した」

 駄目だ、まるで話にならない。
 全く融通が利かない。
 やれやれとトゥリフィリはベッドへ向かい、その途中で冷蔵庫に寄り道する。壁に埋め込まれた小さな冷蔵庫の中には、冷たい飲み物がいくつか冷えていた。
 とりあえずコーラを二つ取って、ベッドに座る。

「君もこっち来て。ちょっと教えておかないと……言っとかないといけないことがあるから。ほら、班長命令だぞっ」
「了解」
「えっと、ロボットみたいだけど……炭酸大丈夫? ってか、それ以前に飲食っていいのかな」
「内臓系に負担が大き過ぎないものならば問題ない。糖分の強いものはエネルギーにしやすいので好都合だ」
「そ、じゃあ、はいこれ」

 コーラを受け取り、ナガミツは隣に座った。
 トゥリフィリがプルタブを立てて開封すると、それをナガミツも真似てくる。
 しばらく黙って、二人はコーラを()めるようにして飲んだ。
 不思議と沈黙は重苦しくない。
 ぼーっとしたとこもあって掴み難い印象があるが、ナガミツは悪い奴ではなさそうだ。

「あの、さ……ナガミツちゃん」
「なにか」
「えっとぉ、その……備品っての、やめない? そりゃ、ロボットなんだろうけどさ」
「……駄目か?」
「駄目だよっ! あのね、ぼくね、ついこの間まで普通の女子高生だったの! こんなことになっちゃって、人類終了のお知らせって感じで……その脅威に立ち向かえって言われて、いっぱいいっぱなんだよ。その上、ナガミツちゃんまで……ちょっと、困る」

 真顔でじっとトゥリフィリを見詰めて、また無表情でナガミツは首を傾げた。
 それから、ぱっと目を見開いてコーラの缶を床に置く。
 なにを(ひらめ)いたのかと、ぼんやり見ていたトゥリフィリは……次の瞬間には、驚きに固まってしまった。

「班長は任務を達成し、現状の限られた人員で最大効率をあげていると判断する。それは、評価されるべきだと俺は思った」
「え、あ、あの、ナガミツちゃん?」
「偉いな、班長。よしよし、よしよし」



 突然、ナガミツはトゥリフィリの頭を撫で始めた。
 大きな手が少しゴツくて、恐らく人工皮膚であろう薄い樹脂の肌触り。髪を優しく()くような、少し大雑把な手の動きだった。
 被造物とはいえ、トゥリフィリは異性にこんなことをされるのは初めてだ。
 両親だって忙しいから、褒められるなんて最近は全然ない。
 ナガミツはしばらく髪を撫でたあと、最後にポンポンと頭を軽く叩いた。

「評価終了。引き続き健闘を期待する」
「……お、おう。その……えっと、まさかナガミツちゃんって……そういう意味で? それで、ここに一緒に? って、言ってもわからないか。えっとさ、思ったんだけど――」
「班長の考え過ぎだ。その思考と発言は、はしたない」
「むぐっ! ……あーもぉ! なんだよー! なにこれ、なんなのこいつー! むぎー!」

 トゥリフィリはコーラを飲み干すやくずかごへと投げて、そのまま背後に倒れた。ベッドの上でジタバタと駄々っ子のように藻掻(もが)く。空き缶は壁に当たって跳ね返り、床に転がる。
 凄くおもしろくない。なんでそういうことだけ知ってるの? っていうか、備品てなに? ぼくの管轄? なにそれ! 混乱する中でやがて、トゥリフィリは大きく溜息を零して天井を見上げた。その視界が、ぼんやりと狭くなってくる。ふと見れば、眠気に(にじ)んでゆく世界では、ナガミツが空き缶を拾ってくずかごに入れているところだった。
 トゥリフィリを振り返った彼は、やはり無表情で、無機質で、無味無臭で。
 だんだんその姿が遠ざかるように歪んで、円を描く中へ溶けていった。
 気付けばトゥリフィリは、ナガミツとの話もそこそこに眠りに落ちてしまったのだった。

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