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 (かつ)ては若者達で賑わい、文化の中心地だった歓楽街(かんらくがい)……渋谷。
 華やかりし街も今は昔、繁花樹海(ハンカジュカイ)と成り果てた迷宮(ダンジョン)は花と緑に埋もれていた。まるで人間の文明を埋葬するかのように、見知らぬ雑多な植物が全てを覆ってゆく。
 その中でも一際(ひときわ)目を引くのは、やはりフロワロの花だ。
 魔素の猛毒と濃密な大気に、渋谷は飲み込まれようとしていた。
 そんな中、トゥリフィリは眼前の仲間達が動かないので溜息を(こぼ)す。ナガミツは今、キジトラがシャッターの奥から出してきた漫画雑誌を真顔で読みふけっていた。

「どうだ、ナガミツ! 貴様、面白いだろう。笑っていいのだ、感動して泣けぇ! そして、燃えろ! これぞ王道、週刊少年ジャンプ、そしてマガジンにサンデー! チャンピオンもあるぞ!」
「……理解不能だ。なにが面白いんだ? 非合理的な生産性のない絵と文章だ」
「ちっがーう! 馬鹿か貴様は、そんなんだから俺様にゲームで一勝もできんのだ!」
「ぐっ! そ、それは」

 そろそろ先に進みたいなーと思いつつ、トゥリフィリは苦笑を噛み殺す。
 ナガミツはうず高く積まれた漫画の山に、今しがた読んでいた一冊を戻した。
 なにも三人は、油を売っている訳ではない。ムラクモ13班の仕事は、帝竜(ていりゅう)が生み出した迷宮の攻略と、要救助者の救出。そして、使える資材や物資の確保である。こうした娯楽や息抜きのための品も、絶対に必要だとキリノに言われているのだ。確保して目印をつけておけば、あとでエグランティエ達サポートに回ってくれたメンバーが回収してくれる。

「そういえばナツメさん、サポート専門のメンバーをそろそろ編成したいって言ってたな」

 トゥリフィリは、先程キジトラがブルース・リーばりのサイドキックで傾かせた自動販売機に歩み出る。かわいそうに、文明の利器は中身を全て吐き出してしまっていた。まだ電気がきていたのか、缶ジュースはどれも冷えている。
 その一つを拾い上げて開封しつつ、トゥリフィリは周囲を改めて見渡した。
 渋谷には、学校の友達とも何度か来たことがある。
 トゥリフィリ達のような年代の子供達には、一種の聖地だ。
 賑やかで華やかで、そして少し怖くてワクワクする街。
 渋谷はいつだって、青春を生きる少年少女の最前線だった。
 それが今、原生林の中に沈もうとしている。

「はぁ、様変わりしちゃったなあ。ぼくのお気に入りのカフェ、行きつけの雑貨屋、怪しい露天商のおじさん……みんな、みーんななくなっちゃった」

 ちらりと見やれば、ナガミツはぼんやりとキジトラの出してくる漫画を読んでいる。
 やはり、彼の感情や情緒はまだまだ(にぶ)い。
 だが、トゥリフィリは知っている。
 ナガミツは無感情で冷徹な機械ではない。人の隣にあるもの、共に歩むものとして生み出された存在なのだ。それは、ロボットという単純な言葉では言い表せない。そして、トゥリフィリだけが知っているかもしれない……彼にも、まだまだ幼稚で小さいが、感情の機微(きび)があるのだ。
 そうこうしていると、ナガミツはトゥリフィリの視線に気付いて歩み寄ってくる。
 彼は手にした漫画を開くと、そのページをトゥリフィリに向けてきた。

「班長、キジトラが言うにはこうしたくだらない本が避難民達に必要だそうだ。……本当か? 俺には、その、理解できない。これとか、これとか、あとこれもだ」
「んー、そりゃあみんなストレスと背中合わせの毎日だからさ。息抜きに読書や映画、ゲームなんかも必要になるの。ほら、言うでしょ? 人はパンのみで生きるにあらず、って」
「配給食の栄養バランスは完璧だ。パンと米、そして固形食等を上手く組み合わせている」
「……そういう意味じゃないやい。って……ナガミツちゃん! 駄目! これ駄目!」

 咄嗟にトゥリフィリは、ナガミツの手にしていた漫画雑誌をひったくる。
 それは、俗に言う () () () () () () () だった。
 慌ててそれをキジトラに投げ返す。
 あえて、不要だなんだは言わない。だが、やはりナガミツは真顔で首を(かし)げるだけだった。自然と顔が熱くて、トゥリフィリは赤面に(うつむ)きながらナガミツを(にら)む。

「班長、さっきの漫画ではなにを」
「忘れて! 忘れなさい! もぉ、キジトラー! ナガミツちゃんに変なもの見せないでよ」
「不思議だ。生殖行為をしているのはわかったが……何故、口で――」
「わーわー! いいから! ナガミツちゃん、いいから!」

 その時だった。
 不意に悲鳴が響き渡った。
 若い女の声だ。
 次の瞬間、三人は同時に地を蹴る。
 遅れて舞い上がった風が、積まれた漫画のページを無数に巡らせる。読者を待つ本達を置き去りに、トゥリフィリは再度叫ばれた声の方へと走った。
 すぐに左右に、ナガミツとキジトラが追いついてくる。

「班長、女の声だ。距離500、この先」
「カカカッ! これが俗にいう『(きぬ)を裂くような女の悲鳴』というやつだな!」
「キジトラ……お前は絹という繊維素材を見たことがないのか。絹は――」
「アホゥ! ものの例えだ、例え! 文学的表現を知らぬ奴め!」

 なんだか、デキの悪い弟に悪い友達が増えたみたいだ。
 だが、最悪ではない。
 むしろトゥリフィリは、キジトラが積極的にナガミツとコミュニケーションを取ってくれてるのが嬉しい。持て余している訳ではないが、ナガミツにはもっと多様な仲間とのふれあいが必要だから。
 それはなんだか、ちょっと母親めいた気もして少し妙な気分だった。

「見て、あそこっ! ……あ、あれ? えっとー? んんー? 君は」

 (しげ)みをかき分け枝葉を飛び越え、トゥリフィリは開けた場所へと躍り出る。
 そこには、へたりこむ女の子と……セーラー服姿の少女が一人。彼女は手にした日本刀をヒュン! と振ると、血糊(ちのり)を大地に投げ捨て、刃を鞘へと収める。
 長い黒髪の少女は、あの日一緒に戦った仲間だ。
 もうトゥリフィリは仲間だと思っているのだが、あちらは三人を見て怪訝(けげん)な表情を(くも)らせる。トゥリフィリはすぐにうずくまる女の子に寄り添いつつ、手短に挨拶した。

「えと、サキさん……じゃないけど、キリコ、だよね?」
「……そ、キリコ。私はキリコなんだ……もう、キリコなんだから」
「そ、そう……大丈夫? 調子悪そうだけど。ね、ちょっと」
「構うな。……私は先を急ぐ。この女を都庁に連れて帰れ」

 それだけ言って、キリコは密林の奥へと歩き出す。
 すぐに追いかけようとしたトゥリフィリは、突然腰に抱きつかれた。
 泣きべその女の子は、少し年上だろうか? サイドに結った髪に、肩を出したセーターが快活なイメージを与える。下はショートパンツで、すらりとした長い足が白かった。
 彼女は雨瀬(ウノセ)アオイと名乗り、トゥリフィリの柳腰にしがみついて泣き出した。

「ふえええっ、 () () () !」
「先輩!?」
「たっ、たたた、助かりました。そっちのキリちゃん先輩に助けられて、こうしてまた別の先輩に……あ、私のことはアオイって呼んでください。選抜試験、行けなくて」
「……S級能力者なのかあ。そっかそっか、おーよしよし怖かったねー……なんで先輩?」
「先輩は先輩だから先輩なんですっ! ふああ、腰が抜けちゃった」

 キリコが苦虫(にがむし)を噛み潰したような顔で立ち止まって振り向く。その姿を指差しキジトラが問えば、ナガミツが端的に説明しているところだった。

「奴はキリコ、古い凶祓(まがばら)いの一族だ。 () () () () だが基本的には使える。基本的には、それなりにな」
「ほう! もしや都市伝説にある天ノ羽々宮(てんのはばみや)の血族というのはもしや」
「お、おいっ!  () () ! 俺のことを……あ、いや、私のことを適当に説明するな! そっちのバンダナ、お前もニヤニヤをやめろ! ……全く、どうなってるんだ、ムラクモ機関は」

 ともあれ、アオイをあやしつつトゥリフィリは安堵の溜息を零した。
 キリコとの再会もそうだが、アオイの無事が嬉しかった。また一人、目の前で力及ばず死なれてしまったら……そう考えると、あまりにも心が冷たくなって凍えてしまう。もう、誰も死なせたくない。自分に(たく)して死んでいった者達のために。
 そう思えば、震えるアオイが不思議と温かく感じるのだった。

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