《前へ戻るTEXT表示登場人物紹介へ用語集へ次へ》

 かつて政府関係者や高級官僚、そして一部の都民が逃げ込んだ地下シェルター……(すで)にメイン電源の落ちた内部は、闇。そして、沈黙がトゥリフィリ達を出迎えてくれる。
 暗がりの中へと目を凝らせば、非常灯だけが律儀に赤い光を(とも)していた。
 ムラクモ機関を含む全ての機能が都庁へと移転してから、ここは封鎖されている。
 だが、入り口には確かに複数人の人間が出入りした痕跡があった。

「班長、センサーに反応……シャワー室の方へ生体反応だ」

 こんな時でも、ナガミツの言葉は冷静だ。
 そして、一番最後尾で背後を警戒するエグランティエも普段通りである。
 トゥリフィリだけが、一種異界にも似たかつての拠点に怯えていた。
 そう、怖い。
 当たり前だが、トゥリフィリは普通の高校生だったのだ。ちょっと身体能力が高くて銃器の扱いと護身術に長けた、どこにでもいる女子高生なのだ。

「ね、ねえナガミツちゃん……エジーも」
「ん? どうした、班長」
「おやおや、顔色が悪いねえ……怖いのかい? フィー」

 逆に問いたくなる。
 きみ等なんで平気なの、と。
 ホラー映画やお化け屋敷でキャーキャー言うようなレベルではないが、トゥリフィリには怖い。それは、この場所が本当に使われていた避難場所で、当時は絶望だけに支配された中で何人かが亡くなっているのだ。
 どこかで水の(したた)る音がする。
 非常灯も時々不気味に点滅する。
 正直、逃げ出したかった。

「ま、とりあえずシャワー室? だっけ? 行こう、二人共。怖いけど、それで放り出す訳にもいかないよ」

 トゥリフィリの震える声に、ナガミツとエグランティエが(うなず)く。
 まずは手近なシャワー室へと三人は向かった。
 道中、足元をネズミが走り抜け、通風口から漏れ出た空気が(うな)る。
 度々トゥリフィリはナガミツに抱き着き悲鳴をあげてしまった。
 うろんげに見下ろすナガミツは、いつもの無表情で揺るぎもしない。

「班長、離れてくれ。俺は男性用のシャワー室を見てくる」
「あ、ごめん……じゃ、ぼくはエジーと女性用を」
「フィーを一人にはできないからねぇ。ふふ、行こうか……ん? どうしたんだい、辰切(たつきり)。何かわたしの顔についてるのかい?」

 ナガミツはふと、エグランティエの顔を見詰めて、それからトゥリフィリを凝視する。表情が全く変わらないが、彼は小首を(かし)げてみせた。

「何故、班長をフィーと呼称し、俺のことも辰切と呼ぶ。班長もエグランティエをエジーと呼んでるしよ」
「ああ、それ。えっとね、ナガミツちゃん。愛称、だよ? ニックネーム」
「俺のペットネームはナガミツだ。辰切ではないし、『ちゃん』も不要だ」
「ペッ、ペペペ、ペットネーム!? 違うよ、ナガミツちゃんはペットじゃないって!」

 思わず妙なヴィジョンが一瞬脳裏を過ぎった。
 それでトゥリフィリは慌てて、真っ赤な顔を両手で隠す。
 エグランティエがペットネームの説明をしてくれてからは、自分の勘違いがさらに恥ずかしくて顔が熱い。ようするにペットネームとは、軍用機につく型式番号とは別の愛称である。

「辰、即ち竜を切る斬竜刀(ざんりゅうとう)……だから辰切さ。フィーってのはトゥリフィリの名前が長いから。辰切、お前もそう呼んだらどうだい? 班長ってのは名前じゃなく役職だよ」
「エグランティエ、班長は班長だ。俺の全権を統括して運用する責任者に失礼な言動は慎むべきだろう」
「ふふ、お硬いねぇ……でもさ、辰切。そうやってこだわってることのほうが失礼って話もあるんだ。ま、考えときな」


 それだけ言ってエグランティエは、女性用のシャワー室へ入ってゆく。
 ナガミツも平坦な顔のまま、男性用の方へ行ってしまった。
 突然一人になったトゥリフィリは、咄嗟(とっさ)にナガミツを追いかけ……慌ててエグランティエの方へと(きびす)を返す。そして、女性用シャワー室の奥からは水の流れる音が聴こえた。

「エジー、誰か居る……えっ、何で?」
「ボイラーは止まってるけどねえ。まだ水道は来てるみたいだ。奥に気配……ふむ」

 エグランティエが腰に()いた剣を握る。
 トゥリフィリも銃を抜くと、慎重に奥のカーテンを開け放った。
 そこには、元栓が緩んで出っぱなしになったシャワーだけがあった。

「な、何だ……誰もいないよ、エジー。幽霊の正体見たり、ってのかな」

 ホッとしてトゥリフィリが銃を収めた、その時だった。
 突然背後で、カーテンがレールを走る音が響く。
 肩越しに振り向いたトゥリフィリは、いるはずのない人物を見て絶叫を張り上げた。思わずエグランティエに抱きついてしまう。
 そこには……以前、目の前で惨殺されたサキの姿があった。

「でっ、でっ、でで、出たーっ! サキさんっ、ごめんなさい! ぼくが本当に、ごめんなさいっ! ……あ、あれ?」

 だが、ずぶ濡れの裸体はトゥリフィリの知る少女ではなかった。
 全く同じ顔に、同じように伸ばした黒髪。そして、華奢(きゃしゃ)でスレンダーな肢体……だが、間違いなくそれはキリコの名を継ぐもので、サキという名前を教えてくれた少女ではなかった。
 そう、何故か裸のキリコがその場所にいた。
 溜息を零して、腰にへばりつくトゥリフィリをエグランティエが見下ろしてくる。

「安心しな、フィー。脚が生えてる……幽霊じゃないよ。そうだろう?」
「う、うん! そうだよね、脚があるね! 細いね、すらっとしてるね! ……ホッ」
「それに、もっとよく御覧(ごらん) () () () () () ()
「生えてるって、何が……ふあっ!? オッ、オオ、オトコノコだあああああっ!」

 トゥリフィリは思わず顔を手で覆った。
 そして、指と指との隙間から再度見て、ついには目を(つぶ)ってしまう。
 以前何度か一緒に戦ったキリコは……その股間には、年相応の未成熟な男性器がぶらさがっていた。だが、確かに胸にはささやかな膨らみがあるし、シルエットは女性の骨格と言ってもいいだろう。
 二人を交互に見て、キリコは溜息を零しつつ側のタオルを手に取った。

「……何しに来たんだ、13班。お前は確か……トゥリフィリ。そして、エグランティエ」
「おやおや、お前さんが噂の羽々斬(はばきり)かい? けったいなことになってるねえ?」
「これは、この(からだ)は……私がキリコの名を継いだ証。そして姉さんの――って、ちょ、ちょっと待てっ! お前っ、何を……こっちに来るな! 触るな馬鹿っ!」

 エグランティエはバスタオル一枚のキリコに身を寄せて、その内股へと手を滑らせる。
 その頃にはもう、悲鳴を聞き付けたナガミツがトゥリフィリの横に立っていた。
 何だか妙な安心感を得て、ナガミツの影に隠れつつトゥリフィリは二人を見守る。
 身を(よじ)って抵抗するキリコを、エグランティエは身体検査しているようだった。

「へえ、 () () () () () () () ()
「そ、それはっ! 俺だって、好きでこんな躰になった訳じゃ!」
「ま、気にしないほうがいいさ。そういう奴は他にもいるし、異能の血を持つ一族では珍しくないからねえ。ただ……お前さんはどうも、先天的な半陰陽(はんいんよう)ではないみたいだ」
「……この躰の半分は、姉さんだ。先代のキリコ……サキ姉さんの死体から子宮や新造を移植して、俺が……私が羽々斬の巫女になるための施術だったんだ」

 今のキリコは、トゥリフィリから見て中学生位だ。そして、時々垣間見える少年の雰囲気がようやくわかった。彼女は以前は彼で、その生まれ持った性を上書きされているのだ。それも、中途半端に。
 神代(かみよ)の太古より日ノ本(ひのもと)を守ってきた斬竜刀、羽々斬の巫女……その一族。
 血を絶やさず使命を全うするためには、手段を選ばぬ一族だとナガミツが呟いた。
 あらかた調べ終えたエグランティエが、落ちたバスタオルを拾って優しくキリコを拭いてやる。濡れた髪にバスタオルを被って、されるがままにキリコは(うつむ)いてしまった。
 だが、トゥリフィリ達が忌避も嫌悪も見せないので、ぽつりぽつりと喋り始める。

「時間が、なかった……姉さんの躰がどんどん死にゆく中で、私の中に詰め込んで……だから、この力は急造品。まだ肉体のあちこちに姉さんの力が馴染(なじ)んでないし」
「その、えと……キリちゃん。それってつまり」
「気持ち悪いよな、私は……もう男でもないし、かといって女でもない。ただ、魔を断ち邪を払って、竜を斬る刀……羽々斬の巫女として戦い、次の巫女を産むだけの存在に作り変えられたんだ」

 トゥリフィリの背筋を戦慄が走る。
 だが、それ以上に心を貫いた衝動があった。
 その感情が素直に、トゥリフィリを一歩前へと踏み出させる。
 気付けば濡れたキリコを彼女は抱き締めていた。

「お、おいっ! 何を」
「それで、こんなとこに一人で……キリちゃん、駄目だよ」
「……しかたない、だろ。私はもう」
「しかたなくない! ね、都庁においでよ。そりゃ、嫌がる人もいるだろうし、キリちゃんの嫌な人もいると思う。でも……ぼく達と一緒に暮らして、一緒に戦おう? そして、みんなで生き残らなきゃ」

 ぽかんとしてしまったキリコが、身をこわばらせる気配が伝わる。
 トゥリフィリは小さな女の子にされてしまった少年を抱き続けた。
 エグランティエもナガミツも、そんなトゥリフィリの言葉を後押ししてくれる。

「ま、一緒に戦う仲間なんだ……そうじゃないなんて言わせないさ、ねえ? 羽々斬」
「貴重な戦力だ、万全の体制で挑むためにも悪環境での休息は非効率。それによ、なんつーか……そういう躰の奴、ムラクモにもいるしな」
「おや辰切、気付いてたのかい?」
「チサキも両性具有だ。今に始まったことじゃない」

 さらりと今、衝撃の事実を暴露されてトゥリフィリは驚いた。
 だが、次の瞬間……彼女は鼓膜に感じる声に震え上がる。
 そう、声……風鳴りのように、地下シェルターの奥から、大勢の人の声が聴こえ始めた。索敵範囲を広げたナガミツが、奥の多目的ホールに多数の生体反応を検知したと伝えてくる。
 そしてトゥリフィリは、引き受けたクエストのことを思い出すのだった。

《前へ戻るTEXT表示登場人物紹介へ用語集へ次へ》