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 池袋駅は今、帝竜(ていりゅう)が支配する迷宮(ダンジョン)へと()した。
 その威容を前に、都庁からやってきたトゥリフィリは言葉を失う。
 帝竜……それは、地球全土を襲ったドラゴンの頂点に立つ存在。日本政府が辛うじてアメリカや各国と連絡を取った次点で、七体のみ存在が確認される天変地異レベルの脅威である。
 その全てが日本に顕現していることに、トゥリフィリは不思議な宿命を感じていた。

「なるほど、竜の住む国ってことね。ふむ……でもなあ、ちょとなあ」

 流石(さすが)のトゥリフィリも、目の前の異次元の空間を前に苦笑いが浮かぶ。
 既に進む先は異界、人智を超えて物理法則さえも無視していた。
 誰が呼んだか、その名は『山手線天球儀(やまのてせんてんきゅうぎ)』……今、目の前に邪悪な気配を(みなぎ)らせる小宇宙が浮かんでいる。その全てが、山手線沿線から引剥された線路で構成されていた。
 列車の車両が浮かぶ中、重力に逆らい(いびつ)な球形は異常だ。

「あれに進むのか、はぁ……」
「どうした、班長。心拍数が乱れている。体温も上昇……体調不良か?」
「んや、いいんだけど……あとね、ナガミツちゃん」

 トゥリフィリはまるで主従のように側に立つ少年を見上げた。
 頭一つ程背の高い無表情のナガミツは、端正な表情でトゥリフィリを見下ろしてくる。
 いつも通り、自分を守るべき対象として見てくれている。
 その上で、管理者と定めているのだ。
 その視線は苦手なのだが、無下にできない。
 彼はまだ、巣から出たばかりの雛鳥(ひなどり)なのだ。彼は本来、人類の隣人として共有する平和のために羽撃(はばた)く。そのための翼も今は、産毛にも似た羽根が生えているだけに等しいのだ。
 だから、トゥリフィリは彼を兵器としては見ていない。
 仲間であり、一緒に成長していける友達だと思っている。
 今、この時点ではそう思っていたのだ。

「ナガミツちゃん、ぼくの生体データをスキャンするの、やめない?」
「班長の健康管理に貢献するのは、13班の機材として有意義な活動だと俺は思う」
「や、それは……いやいやそれは。ぼくさ、ナガミツちゃんのこと機材だなんて思ってないから。君さ、自分のこと備品って言うじゃん?」
「そうだ」
「そうだ、じゃなくて。君は斬竜刀(ざんりゅうとう)なんでしょ? 人のための刃が、たかがカラクリロボット、命令されて動く機械でいいの?」
「……あのおっさんにも、ガトウにも、同じことを言われた」

 珍しくナガミツが、ハッとした顔をして目を逸した。
 それがおかしいのは、どうやらトゥリフィリだけではないらしい。
 入り口の警備をしていた自衛隊の若い男達も、ヘルメットを目深(めぶか)に被って震えている。
 そう、トゥリフィリは前から思っていた。
 ナガミツは自分でどう思っていても、どう振る舞ってもトゥリフィリには一緒だ。同胞、仲間、そして友達……人間ではないことに配慮するが、人間じゃないという態度は取れない。
 人間ではないけれども、機械として扱うにはナガミツはあまりにも精密過ぎた。
 無個性で無感情な機械に見えて、仏頂面(ぶっちょうづら)鉄面皮(てつめんぴ)は意外に表情が多彩なのだ。

「わかった? ナガミツちゃんさ、昨日もガトウさんに言われたよね? 機械としての正確無比な拳じゃ、限界が見えてるって。人との接し方も一緒だよ?」
「……わかった。確かに班長の言う通りだ。俺は、自分が機械であり備品だという主張に関しては、時と場合を考慮しつつ自重することにする。すまなかったな」
「あ、うん。ってか、こら!」

 ナガミツは無表情のまま、わしわしとトゥリフィリの頭を撫でた。
 彼なりの「すまなかったな」の謝罪の表れらしい。
 だが、何だか子供扱いされてるようで憎らしく、それなのに大きな手を振り払えない。女学生として普通に暮らしてた頃も、何度か男子と仲良くなったことはある。でも、こんな不器用な距離感は初めてなのだ。
 それに、無骨な硬い手は嫌いじゃないし、ひんやりと気持ちいい。

「わ、わかればいいよ……ナガミツちゃん、斬竜刀だからね? キリちゃんと二人で大小だからね? しっかりやってね、ホント。ぼく、応援してるからさ。一緒にがんばろ?」
「一緒に……あの、なまくら――あ、いや! 不適切だった。キリコと一緒に、善処する。それを、班長は、応援、して、くれる」
「ん、そだよ? 嫌?」
「……全然、嫌じゃない。何故(なぜ)だ……キリコとの連携効率は6%未満、個々で戦った方が高い戦果を得られると予想される。なのに、班長!」
「は、はいぃ! ……な、何さ」
「嫌じゃ、ないんだ。何故だ」
「嫌じゃないの、嫌?」
「……わからない。でも、俺とキリコとが、班長の大小……そうロジックを成立させると、何の負荷もエラーも感じない。俺は……それで、いい。それが、いい」

 本当に不器用だなあと笑った、その時だった。
 自衛隊の隊員と詳細を確認していた、もう一人の仲間がやってくる。
 彼女は……彼女にしか見えない彼は、にっぽりと(うれ)いを帯びた色っぽい笑みを浮かべていた。

「フィーさ、終わった? ナガミっちゃんとの話」
「あ、うん……ってか、何? 何でそんなにニヤニヤしてるの」
「いやあ、だってさあ。ムフフ……わたし、応援してるからねぇん?」
「な、何を」
「色々とだよん? ま、ほら……ナガミっちゃんって () () () () () () () () ?」

 不意にシイナは、しなりとナガミツに身を寄せた。
 そのまましだれかかるようにして、彼の股間に手を当てる。
 詰め襟の学生服を着ているナガミツは、それを脱げばメカニカルな合金と特殊繊維のボディがあるだけだ。もちろん、シイナが期待しているような器官はついていない。
 だが、それがないことを知らされたトゥリフィリの想像力は、(あるじ)を赤面させた。

「シイナ、あまりひっつくな。邪魔だ。それと、俺にそういった器官はない」
「そうなの? 外付けとかは?」
「そのようなオプションパーツは存在しない」
「えー! じゃあ、そだ、今度買いに行こうよ。って、街はあの有様だから……掘りにいこうよ。そういうショップ、無人になってるから掘りたい放題でしょ。掘るってなんか……えっちだよねえ、ウフフ」
「不要だ、そして邪魔だ。離れろ」

 シイナは女装しているが男だ。
 そして、こんな見た目でもナガミツと同等の格闘戦能力があるデストロイヤーである。初めての迷宮でもあるし、持久力と継戦力を重視した編成をカジカが考えてくれたのだ。
 だが、シイナはどうにものらりくらりと掴み所がない。
 協力的だが、あまりに刹那的で戦闘も調査も不真面目だ。
 何よりトゥリフィリは、彼の自分を顧みない耽美で退廃的な自虐感が苦手だった。

「それよりさ、フィー……何? 大小って」
「あ、うん。ガトウさんが、ナガミツちゃんとキリちゃんが斬竜刀の大小だって。太刀(たち)と脇差しだって」
「それてつまり……フィーがその主ってこと? むふー! つまり、二刀流?」
「そういう意味はないけど……ただ、まだ連携の上手くない二人の間に立ちたいんだ。ね、ナガミツちゃん。ナガミツちゃんもキリちゃんも、単体での能力はずば抜けてたかいんだから」

 ナガミツは「ああ」とそっけなく、そのまま線路が宙へ捻れて舞う先に歩き出す。
 その背を追いかけるトゥリフィリに、シイナは並んで笑っていた。
 まるでチャシャ猫みたいな意味深な笑みだ。

「キリちゃんさあ、チサキと同じなんだって? その……中学生の両性具有美少女」
「気にしてるんだから、変にいじらないでよ? シイナにはさー、いいお姉さんをやってほしいけど……駄目?」
「ん、いいよー? 面白そうだし。それに……フィー、両刀使いっての、あり? 大小、ナガミっちゃんとキリちゃんをキープしてんでしょ? 第三の選択、どぉ?」

 トゥリフィリは思い出した。
 シイナの素行不良、特に夜な夜な避難民の居住区に出入りしては朝帰りという実態にカジカが頭を痛めていたことは事実である。女性なら淫乱な痴女(痴女)というのだが、女装男子の場合はどう表現すればいいのか。
 だが、そんなことがどうでもいいと思える風景へとトゥリフィリは進む。
 ナガミツが振り返る先で、空中で幾重にも折り曲げられて立体化した線路が、邪悪な天球儀となってその中にトゥリフィリ達を招き入れようとしていた。

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