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 東京都内で唯一の人類生存圏、最後の(とりで)たる新都庁庁舎は賑わっていた。
 トゥリフィリ達13班が、常夜の丘を攻略したからだ。四谷を長い夜で包んでいた迷宮は、帝竜(ていりゅう)ロア=ア=ルアの撃破と共に消え去ったのだ。
 今、閉じ込められていた四谷の避難民が、多数保護されている。
 人と物とでごった返すエントランスの中で、トゥリフィリは安堵に胸を撫で下ろしていた。心なしか疲労感が心地よくて、少し眠い。

「よかった……まだこんなに人がいたんだ。まだ、いる……生きて助けを待ってる人が、いるんだ」

 自分に言い聞かせるように、呟く。
 周囲を見渡せば、13班の仲間達も心なしか表情が柔らかい。
 一緒に戦ってくれたキリコも、普段の変に肩肘張った緊張感がない。彼女はシイナやノリトといった仲間達の間で、眠そうに(まぶた)を手で(こす)っていた。
 やっぱり疲れたんだと思う。
 そしてそれは、留守を守って戦っていた仲間達も同じだろう。
 トゥリフィリ達が四谷に行っている間も、マモノが押し寄せドラゴンも襲来した。都庁に立てこもる避難民のために、残ったメンバーが全員で守ってくれたのだ。
 トゥリフィリ達の帰る場所を守ってくれた……それが今、とても嬉しい。

「むふふ、キリちゃんはオネムかなぁ? わたしがベッドに運んであげるね?」
「待つのです、シイナ。危険ですね……私も一緒に行きましょう」
「あ、じゃあノリト君も一緒に寝る?」
「なっ……! 相変わらずふしだらに過ぎます、シイナ!」
「もぉ、冗談だよぉ。キリちゃんはゆっくり寝せてあげなきゃね。それにわたし、子供にはあまり手を出さないんだぁ」
「あまり、ですか……冗談に聞こえませんね」

 ぐんにゃりしてしまったキリコは、シイナに背負われ13班の居住区へと運ばれていった。相変わらずキャラを作って気取るノリトが、そのあとを追う。
 ナガミツとキリコだけじゃない。
 少しだけ、13班の結束が生まれ始めている。
 それはトゥリフィリが生み出したものでもないし、自然と育まれたものでもない。危機的状況が続く中、持って生まれた力を誰もが有意義に使った結果だ。力があるからこそ、できることをする。そして、互いの力を活かして団結するからこそ、力は強さへ変わるのだ。
 そんなことを考えていると、不意に視界ににゅっとペットボトルが差し出された。
 振り向けば、カジカがいつものゆるい笑みで笑っている。

「シロツメクサちゃん、お疲れちゃーん? 疲れてるねー、今回は流石(さすが)に」
「あ、カジカさん……ども。なんか、四谷でも色々あったから」
「うんうん、大変だったねえ。……出たんだって、コレ」

 お茶を受け取るトゥリフィリが振り返ると、カジカは両の手でしなりと幽霊のポーズにおどけてみせる。
 不思議とカジカのゆるい人柄は、いつも疲れた自分を笑顔にしてくれた。
 普段はなにも言わず、年長者なのに説教もお小言もなくて仕事ばかり。その仕事すら、ほとんど見せてくれない……気付けばサボってるか休んでいるかで、そんな姿もトゥリフィリにはどこか緊張感がなくてありがたいことが多かった。
 今もカジカは、身をくねらせてヒュードロドロと笑ってる。

「ん、ガトウさんに会ったんだ」
「あ、そーう。うんうん。なんか言ってた?」
「ううん、なにも。でも……道を指し示してくれた。やっぱりガトウさんは、今もぼく達の道標(みちしるべ)なんだと思う」

 あの日、一人の男が散った。
 彼は死して(なお)、13班の皆を導いてくれてる。
 全員の胸の奥へと去ってしまった今でも、ずっと。

「ガトウさんは黙って月を……天を指し示してくれた。それで、あの迷宮(ダンジョン)のカラクリがわかったんだ。でなきゃ、今頃まだグルグル回って迷ってたかも」
「そっかあ。ほんと、彼らしいねえ」
「うん。忙しく時々しか思い出せないけど……でも、これからも忘れないと思う。それはきっと、みんなもナガミツちゃんも一緒じゃないかな」

 ふと、視線を放れば笑い声が響く。
 疲れ果ててようやく到着した四谷の避難民も、少ない物資をさらに分け合おうとする都庁の避難民も、笑顔だ。勿論(もちろん)、全員がそうではない。今も笑顔になれない人、笑顔を忘れてしまった人は沢山いる。
 だが、この場で笑顔の中心にいる人物が、一番の仏頂面(ぶっちょうづら)なのだ。
 ナガミツは出迎えたキジトラと、なにやら夫婦漫才(めおとまんざい)みたいになって笑いの渦を広げていた。まだ笑顔を知らない彼が、不思議とキジトラとは仲がいいようだった。
 もっとも、どうも悪友という雰囲気すらある親しさなのだが。

「カカカッ! 無事に帰ったか……重畳(ちょうじょう)、重畳!」
「なんだよ、キジトラ。……そっちも無事だったみたいだな」
「当然だ! 俺様と愉快な仲間達がいる限り、都庁の守りは鉄壁!」
「よく言うぜ……こっちはこっちで大変だったんだ。ま、いいけどな」

 豪快に笑ってキジトラは、バシバシとナガミツの背中を叩いている。
 遠ざけようと手を突っ張りながらも、ナガミツは意外にも穏やかな顔をして嬉しそうだった。トゥリフィリには不思議とわかる……いつもと変わらぬ無表情でも、ここ最近のナガミツはどんどん感情や情緒を感じさせてくれる。
 周囲の皆が首を捻る中、トゥリフィリは彼の表情の機微(きび)がわかる気がするのだ。
 そしてそれは、どうやらキジトラも一緒らしい。

「あーりゃりゃあ、珍しいねえ。ナガミツちゃん、すっかり馴染(なじ)んじゃって」
「ですね。あ、あの、カジカさん」
「ん?」
「その、よくある三大原則的なのって」
「ああ、ロボット三大原則? もーち、ナガミツちゃんにも制限かかってるよん?」

 ――ロボット三大原則。
 人間の命令に従い、人間を傷付けないこと。それが守られる範囲でのみ、自分を守ること。大昔のSF小説で定義されたこの原則は、今や現実で使われるロボットのガイドラインになっている。
 だからこそ、トゥリフィリはナガミツとキジトラのじゃれあう風景に目を細めた。
 周囲が笑う中、ナガミツはガッチリとキジトラにコブラツイストを決めている。だが、傷付けている訳じゃない。誰が見てもスキンシップだし、すぐに攻守が入れ替わって……今度はナガミツがアルゼンチンバックブリーカーで持ち上げられていた。
 杓子定規(しゃくしじょうぎ)でお硬い原則ではない……ナガミツにはニュアンスを噛み砕いて、自分で判断して表現する力が芽生え始めているのだ。自分を備品だと言い張ってた頃から比べて、トゥリフィリには成長が感じられた。

「でも、よかった……ナガミツ、ちゃんも、無事……あ、あれ?」
「んー? どしたの、シロツメクサちゃん」
「な、なんか……急に、眠く……なっちゃって」
「はは、頑張り過ぎ、かなあ……? って、これ……違うね。……っ! 何だ? シロツメクサちゃん、しっかりしなさいよ。これは……む、ぐっ……明らかに……」

 グラグラと突然、視界が揺れながら狭くなってゆく。
 倒れそうになって支えてくれたカジカは、初めてシリアスな表情を歪めていた。その緊迫した目元が、いつになく険しく警戒心に揺れている。
 だが、トゥリフィリは眠気に耐えられなくなって、意識を失ってしまった。
 遠くでナガミツが叫んでいるような、そんな声を聴いた気がしたのだった。

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