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 巨大な避難所と化した都庁に、ついに公衆浴場が完成した。
 紆余曲折(うよきょくせつ)()て、一部のシャワースペースを除き混浴である。これは、都庁自体が複数の組織で運営され、昼夜を問わず大勢の人間が働いているからだ。時間で男女を区切れば、入浴できない者も出てくる。なにより、都内から押し寄せる避難民の数を考えれば、混浴で次々と入浴してもらうしかないのだ。
 そんな訳で、久々にトゥリフィリも湯船の中で手足を伸ばしていた。

「はぁ、癒やし……極楽、極楽」

 湯けむりが優しく包む視界は、誰もが輪郭を(にじ)ませながら行き交う。
 最初こそ男女両方から反対意見もあったが、すぐに混浴は受け入れられた。忙しい中での汗と臭い、そしてボランティア作業等での疲労……誰もが二十四時間入浴自由の魔力に(あらが)えなかったのだ。
 そして、こんな竜災害の絶望的状況でも、日本人というのは驚くほどに律儀で礼節をわきまえている。約一名、のぞき穴を作った老人少年が拘束されたが、今の所大きなトラブルは聞こえてこなかった。

「そういえば、江戸時代にも混浴の浴場があったって聞いたことあるな……ま、自然にしてればそんなに気にならないかもね。個室のシャワールームも併設されてるし」

 なにより、広々とした湯船で全身が温まる、この気持ちよさには勝てない。
 今も周囲には、老若男女(ろうにゃくなんにょ)様々な避難民達がくつろいでいた。皆、笑顔である。リンが規律を一時的に緩めたので、非番の自衛官も一緒だ。
 文明を取り戻し、文化的な生活が復活すると、自然と心にゆとりも生まれる。

「それにしても、生傷が絶えないなあ……ぼく、傷物になっちゃう」

 ぽつりと(つぶや)き、両腕を前に伸ばして手の指と指とを(から)める。
 前より少し、二の腕が引き締まった気がする、それはいい。だが、あんましガチガチの筋肉質になるのも、なんだかなあと思ってしまう。
 トゥリフィリはムラクモ機関のS級能力者(エスきゅうのうりょくしゃ)である前に、年頃の女子高生なのだ。
 そんなことを考えていると、突然背後で聞き覚えのある声が響いた。

「だいじょーぶっ! 女の子は体脂肪率下がっても、つくとこにはちゃーんと柔らかくつくから!」

 振り向くとそこには、肩まで湯に浸かったシイナが笑っていた。
 あの長い長い金髪を頭の上でまとめてるので、初めてトゥリフィリはそれが地毛だったと気付く。こうして裸で会っても、目の前の人物がゴスロリ女装少年とはとても思えない。
 見れば、エグランティエも一緒だ。
 二人はトゥリフィリを挟んで、一緒に並ぶと話に混ざってくる。

「フィーはあれだねえ。ほどよく運動してるし、スラッと細くていいじゃないか」
「ほどよく、ってレベルじゃないけどね……13班の任務」
「でもでもぉ、(うらや)ましいよ? わたしなんか、ちょっと気を抜くとすぐ太るもん」

 そこからは女子力の高めなトークが続いて、トゥリフィリも一時戦いを忘れる。化粧水やシャンプーの話に、服やアクセサリーの話。こんな状況でも、三人寄れば男女の垣根を超えてかしましいのがお年頃というものだ。

「こないだねー、ゆずりはちゃん達が渋谷駅前のマツキヨモトジから、大量の物資を引き上げてきてさ。今度女性用のもの、いろいろ配るって」
「あ、薬局? 助かるなあ……回収班ってほんと、ありがたいよね」
「そうさねえ……男には酒や菓子(かし)を少し配って、バランスをとるみたいだ」

 それから、無駄毛処理のアレコレや、チェロンのラジオの話題で盛り上がった。トゥリフィリも久々に、戦いを忘れてはしゃいでしまった。少しのぼせ気味かなと思って、タオルで前を隠しながら湯船のヘリに座る。
 シイナはよそよそしくなるでもなく、勿論(もちろん)ガン見してもこない。
 それでも、先にあがるからと立ち上がった彼は、さりげない配慮で視界から去ってゆく。
 細くて華奢(きゃしゃ)でも男の裸で、割れた腹筋やしなやかな手足はデストロイヤーの筋力が感じられた。

「んじゃ、お先だよん。フィーもエジーも、湯冷めしないようにねー」

 何の気なしに頭のタオルを()いて、それを胸に巻きながらシイナは行ってしまった。
 混浴でも不思議と、大きなトラブルは今後もないような……それが信じられるような気がして、ぼんやりとトゥリフィリはその背を見送る。
 過酷な状況で(すさ)んだ者も多いが、明日を目指して生きる活力は前向きだ。

「……フィー。どれどれ……ふむ」
「ひっ! ちょ、ちょっとエジー!」
「これは……将来性に、期待? でも、ちゃんとサイズの合ったブラをしてるみたいだねえ。形の崩れや変な(あと)もないし、ほうほう」
「もー、やめてよぉ」

 突然背後に回ったエグランティエが、湯の中で胸を揉んでくる。
 バシャバシャと抗えば、トゥリフィリの言葉にすぐ彼女は手を放した。
 だが、終始眠そうにぼんやりとした印象のエグランティエが、にんまりと笑みを浮かべた。なんだかちょっと、エロオヤジっぽい笑顔で頬が火照る。
 突然名を呼ばれたのは、そんな時だった。

「確か、トゥリフィリ……だったな。13班とかいう連中の(あたま)は貴様だな?」

 声がする方に首を巡らせると……小さな女の子が立っている。
 金髪に真っ赤な瞳、十かそこらの少女だ。
 幼女とさえ言っていい、そんな無垢な印象を裏切る眼差しの鋭さ……壊滅したアメリカ合衆国から脱出してきた、元大統領主席秘書のエメルである。
 彼女は無表情を凍らせたまま、湯船の中へと入ってきた。

「あ、えっと……エメルちゃん」
「ちゃん、ではない。……エメルで構わん」
「わかった、エメル。でね、ぼくは班長だけど、頭っていうか……班長という名の雑用係、みんなが上手(うま)く働けるように働いてるだけなんだけど」
「なるほど、そういう機能を有して発揮しているか」
「や、機能って」

 エメルは(まばた)きすらせず、じっとトゥリフィリを見詰めてくる。
 まるで、見透(みす)かし見極(みきわ)めるようなまなざしだ。
 トゥリフィリが萎縮(いしゅく)しつつぶくぶく沈んでいると、エメルはぽつりと小さく(こぼ)した。

「…… () () () 、なのか? 貴様は」

 ――狩る者。
 エメルは確かにそう言った。
 そのままの言葉なら、狩人(かりうど)なのかと問うているのだろう。
 だが、困惑しつつもトゥリフィリは立ち上がる。

「えっと、いわゆるドラゴンスレイヤー、的な?」
「古来よりそう呼ばれる者もいる。貴様もそうかと聞いているのだ」
「んー、カルモノ……結果的にまぁ、ドラゴン退治はぼく達の仕事だけど」

 腕組み考え込みながらも、トゥリフィリは大きく頷き胸を張る。
 腰に両手を当て、薄い胸を反らして堂々と言い放った。
 そう、断言できる……こんな状況の中でも、決して見失ってはいけない自分自身のことだから。

「みんなが今、できることを頑張ってる。ぼくはたまたま、ドラゴンと戦える……それだけだよ。エメル、ここではみんながそう……苦しみや悲しみに耐えたり、戦ったりしてるんだ」

 自分は特別な人間ではない……そう伝えたかった。
 エメルが「ふむ」と(うなず)く。
 だが、そんなトゥリフィリの堂々たる意思の表明を、全力で裏切る声が響く。

「おい待て、キジトラッ! (きたね)えぞ!」
「クカカカッ! 卑怯だなんだは敗者のたわごとよぉ!」
「お前のそのモーター、おかしいだろ! なんで俺の作ったやつより速えんだ!」
「これぞミヤタ模型の技術の結晶! アルティメットダッシュモーター! ミニ四駆公式戦では使用が禁止されている、幻の超絶モーターよぉ! ワーッハッハッハ!」

 大勢の子供達をキャッキャと連れた、ナガミツとキジトラだ。
 13班のエースアタッカー、一騎当千(いっきとうせん)の二人が……幼子のようにジャレ合いつつ、全裸で横切ってゆく。いつもの学生服を脱いだナガミツは、確かに機械の肉体だとはっきりわかる姿をしていた。
 周囲がほがらかな笑いに包まれる中、プロレス技の応酬を(まじ)えて二人は去っていった。
 流石(さすが)のエメルも目を点にしている。
 格好良くキメた直後で、めまいを感じてトゥリフィリも顔を手で覆うのだった。

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