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 地上を目指して、かつて迷宮(ダンジョン)だった二条城を走る。
 復路を急ぐトゥリフィリたちの道を、誰もが唖然とした顔で譲った。既に、本土決戦旅団(ほんどけっせんりょだん)の兵士たちに戦意は乏しい。
 彼らも見た筈だ……大義名分の影で、なにが行われていたかを。
 口に出すのもはばかられる、残虐非道な行いを。
 先に立って走る仲間たちからも、少しだけ余裕の声が聴こえた。

「ところでナガミツよ」
「ん? どうした、キジトラ」
「そいつはどうするつもりだ?」
「ああ、どうすっかな」
「なんだ、考えあってのことではないのか、カカカッ!」
「笑うなって。……放っとけねえよ。同じ顔してんだぜ? クソッ」

 ナガミツは今、先程薙ぎ倒したカネサダを肩に(かつ)いでいた。
 彼が言う通り、基本的に全く同じ顔立ちをしている。ナガミツと違って、設計者を離れた場所で鍛造された、いわば写しの刃だ。しかし、その切れ味はナガミツに勝るとも劣らない。
 だが、トゥリフィリは今ならはっきりと言える。

「そんなに似てないよ、ね」
「ん? なんか言ったか、フィー」
「ううん、なんでも!」
「こいつはコテツに突き返してやる。ちったあ懲りたろ、今回のことでよ」
「うん、そうだね……許せるかどうかは別にして、今はそれがいいかも」

 あっという間に、再び外へとトゥリフィリたちは飛び出した。
 そこはもう、一面の銀世界……僅かな時間で、随分と雪が降り積もっていた。自然とトゥリフィリは、激動の昭和に起こった政変を思い出す。教科書の中から飛び出してきたかのような、時代錯誤な光景に思わず息を呑んだ。
 青年将校たちの反乱を思わせる、吹雪の中の影、影、影。
 映画のセットにも似た風景は、おぞましい現実そのもの。
 その中で、トゥリフィリの仲間たちは懸命に戦っていた。

「おや、フィー……それにナガミツ、キジトラ先輩。ついでにシイナも」
「ちょっとー、ノリト君? ついでってなんだよぅ。ほら、キリちゃんも一緒だよ」
「それは重畳(ちょうじょう)。では、早速御暇(おいとま)しましょう……と、言いたいところですが」
「なんか、すっごい苦戦してない? 手伝おっか」

 そう、二条城の門前は戦場と化していた。
 全てを覆う雪が、仲間たちの血と汗を消してゆく。真っ白な世界にゆらゆらと、まるで幽鬼のように兵士たちの影が揺れていた。
 無数の戦車が残骸となって折り重なる、その上で痩せた男が声を張り上げる。

「遅かったであるなあ、ムラクモ機関! 不埒(ふらち)な非国民め、巫女様は返してもらおうぞ!」

 この事件の首謀者、マキシマ大佐だ。
 神経質そうな顔に頬をひくつかせながら、彼は苛立ちも(あらわ)に叫んでいる。
 迷わずトゥリフィリは、銃を抜くなり叫び返した。

「返せなんて、言わせない! 絶対にキリちゃんは、東京に連れて帰るんだ!」
「ぐぬぬ、小娘ぇ! 貴様の物でもあるまいに、なんて不敬な!」
「キリちゃんは物じゃない! ぼくたちの仲間は、物なんかじゃない!」

 緊張感に、ビキィ! と音が聴こえるかのような錯覚。マキシマ大佐は額に青筋を浮かべつつ、細い目を見開いて激昂している。その視線に促されて、無数の銃口がトゥリフィリたちを取り巻いた。
 絶体絶命、四面楚歌。
 それでも、トゥリフィリは譲れない想いを言の葉に乗せる。
 ナガミツもまた周囲を見渡し、膝を突いたコテツにカネサダを預けた。

「うし、やるか。フィー、俺の後ろにいてくれ。援護、期待してっからよ」
「馬鹿か、貴様等! この圧倒的な戦力差がわからぬのか!」
「ああ? ったく、うるせえよ。偉そうにほざいてないで、降りてこい。いくらでも相手になってやる」
「ハーッハッハ! 指揮官たるもの、常に身の安全が第一である。この本土決戦旅団、最精鋭はこの私あってこそ!」
「……ハッ、腰抜けかよ」
「なにぃ! きっ、ききき、貴様……これを見てもそんな減らず口を叩けるのか!」

 マキシマ大佐が、小さな少女を引きずり出した。
 戦車の上の彼はもう、軍人でもその亡霊でもない……ただの卑劣漢に()した瞬間だった。そして、彼の旧式拳銃がいたいけな少女にこすりつけられる。
 人質に取られているのは、アヤメだ。
 涙を必死に食い縛る彼女の、その髪を無造作に掴んでマキシマ大佐が笑っていた。

「そこまでだなあ、ムラクモ機関! 女子供に国が救えるものか……お前たちの竜退治ごっこもこれで終わりである!」

 目的のためには手段を選ばない、それは結果への最短ルート。しかし、そこに正当性がなければ、どんな崇高な目的でも意味を失ってしまうのだ。そして、マキシマ大佐の行動は既にトゥリフィリたちの許容できる限界を超えていたのである。
 だが、文字通り手出しのできない状況で立ち尽くすしかできない。
 ギリギリと音が聴こえそうな程に、ナガミツも奥歯を噛み締め拳を握っていた。
 そんな時、か細い声が静かに響く。

「……シイナ、降ろして……みんな、もう、大丈夫、だから……」

 誰もが振り向く先で、一人の少女が地に立った。裸足で雪を踏み締め、よろけてシイナに支えられる。吹き荒ぶ寒風に黒髪をなびかせ、キリコが弱々しく小さな声を絞り出す。

「マキシマ、大佐……彼らは、私の、大切な、人たち。私は、平気だ……また、務めに、戻る、から……だから、彼らは」

 血を吐くような悲壮感が、声と言葉に滲んでいた。
 キリコは涙ながらに、懇願していた。
 その姿があまりに痛々しくて、トゥリフィリも言葉を失う。
 だが、ニヤニヤと勝利を確信するマキシマ大佐に背を向け、ナガミツが振り返るや声を荒げた。

「おう、キリッ! お前、俺たちがなにしに来たと思ってやがる!」
「そ、それは……ナガミツ、でも」
「でも、じゃねえ! 俺は! フィーは! みんなは! お前を連れ戻しに来たんだ!」
「ナガミツ……」
「巫女様じゃねえ、斬竜刀(ざんりゅうとう)でもねえ! クソ生意気でかっこつけで、馬鹿ででしゃばりで、すげえ大事な仲間がいんだよ! ここに! 俺の目の前に!」

 張り詰めた空気の中に、一瞬の沈黙が横たわった。
 誰もが呼吸さえ忘れたかのように、黙って二人を見守る。周囲を取り巻く兵士たちでさえ、銃を構えたまま彫像のように硬直していた。
 トゥリフィリも二人を見詰めて、永遠にも思える一瞬をただただ待つ。
 キリコの返事を信じて待ち、それを求めるナガミツに望みを託した。
 共に戦った仲間、破竜の(きずな)で結ばれた友だから。

「言えっ、キリ! 言っちまえ! ……俺になにができるか、言ってくれ。頼む」
「ナガミツ……わ、私は、わた……っ! 俺は!」
「そうだ、俺に言えよ。俺たちに、頼れ。俺たちだっていつも、お前を頼りにしてたろうが」

 ボロ布一枚を羽織った裸のキリコが、端正な表情を涙で崩した。頬を伝う雫が、流れるままに溢れてゆく。
 数奇な運命に翻弄される少女は、小さく泣き叫んだ。

「ナガミツ、トゥリねえ……みんな。助けて……お願い」
「任せろ、キリ。もう泣くんじゃねえ……泣かせねえ! 俺たちがもう、泣かせねえよ」

 泣き崩れるキリコに、ナガミツは大きく頷いた。
 その全身から、凛冽(りんれつ)たる怒りが闘気となって迸る。凍れる空気がどこまでも張り詰めてゆく、その覇気にトゥリフィリさえ驚く程だ。
 そして、この場の仲間の全員がその気持ちに想いを重ねている。
 絶体絶命の中でも、キリコを救うために戦う決意が、覚悟がそこにはあった。
 マキシマ大佐の腕の中で、小さなメロディが零れ落ちたのは、そんな時だった。

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