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 それは、めくるめく違和感。
 それでいて、あたかも自然であるかのような錯覚に戸惑(とまど)う。
 一歩下がってフォローに徹するトゥリフィリには、その奇妙な二律背反がとても美しく見えた。そう、戦いの中に美醜(びしゅう)があるなんて、初めての経験だった。
 今までの戦いは全てが、無我夢中の死にものぐるいだったから。
 ナノコートをまとってさえ、和装の麗人アダヒメの振る舞いは美しかった。

「っし、片付いたぜ」

 パンパン、と両手を合わせて汚れを落とすと、ナガミツが不敵な笑みでトゥリフィリを振り返る。
 その横には、一緒に前衛を務めるアダヒメの姿があった。
 と、言っても……彼女は先程から、一度も戦っていない。
 なにを見ても珍しいらしく、自動販売機や放置された端末を一生懸命ペタペタと調べていた。調査の先頭には立つが、危なっかしい上に庇護欲(ひごよく)を強制励起させられる。
 そして戦いになると、彼女はナガミツの周囲をウロチョロしてるだけだった。

「お疲れ様です、ナガミツ。流石(さすが)斬竜刀(ざんりゅうとう)、狩る者の(ほま)れ」
「だからなんなんだよ、その、狩る者? ってのはよぉ」
「全ては運命の(つむ)がれるままに……気にせず今は前だけ見て進みなさい、ナガミツ」
「お、おう……調子狂うんだよな、お前といると」
「あっ! ナガミツ、また新しい自動販売機です! まあ……御覧なさい、当たりくじ付きと書いてありますっ!」
「……おめーが前だけ見て進めっての。ええと、小銭はっと」

 今日、何度目かの自販機との遭遇。
 ほとほと(あき)れたのか、ナガミツは自分で財布(さいふ)を取り出した。
 今はもう、日本円の価値は失われてしまった。彼が手にする硬貨は、国家が保証する額面を維持できていない。むしろ、その大きさと重さの金属片として、資材そのもののように使われる方が多い。
 そして、国会議事堂を中心とする小さな文明圏では、Az(エーゼット)と呼ばれる新たな通貨が生まれつつある。物々交換に近い形で、マモノ全般から取れる様々な素材がAzとして流通していた。

「お抹茶は……ないようですね」
「こっちの抹茶ラテにしとけ、ほぼほぼだいたい抹茶だからよ」
「お抹茶に、ラテ? ラテとは」
「牛乳だ」
「ああ、なるほど」

 ついついトゥリフィリは、頬が緩む。
 時々どこかが子供な少年が、見るも麗しい美女を子供のように扱っている。なんだかんだで最近、ナガミツが見せる人とのコミュニケーションは柔らかくなっていた。そして、温かさすら感じるときがある。
 キジトラと妙に張り合ってゲームしてる時もそう。
 避難民たちに物資を配ったり、子供たちの相手をしてる時もだ。
 なんだか、ついつい成長を喜ぶ保護者の目になってしまう。
 そんなトゥリフィリの生暖かい視線に、ナガミツは少しムッとしたように振り返った。

「フィーはどうする? コーヒーでいいか?」
「あ、紅茶があれば」
「待ってろ、俺がおごってやるからよ」
「わあい、おだいじんー」
「たまには、な」

 もう随分、六本木ヒルズを昇ってきた。
 ところどころ断線して電気が通っていないフロアがあるため、(おおむ)ね階段での移動である。そして、その都度(つど)マモノが目の前に立ちはだかる。
 それでも、今日の戦いは驚くほどスムーズに進んだ。

「ねね、ナガミツちゃん。アダヒメちゃん、どう?」
「どう、って……あいつ、役に立ってないだろ」
「だよね。でもさ」
「……今日は妙に身体が軽い。どういう訳か、技も切れてやがんだよな、これが」
「やっぱり?」

 ナガミツはいつになく調子が良さそうだ。
 まだまだ修理後の自分に馴染(なじ)んでなくて、今も四苦八苦なのに……それなのに、不思議と以前のようなギクシャクした体捌きが今日はなめらかに見えた。
 以前の万全な状態には程遠くとも、どこか自然体で力んでいない。

「おい、アダヒメ! お前も少し手伝えっての」
「これが、抹茶ラテ……美味ですね。ん? ナガミツ、どうかしましたか?」
「どうかもこうかもねえよ、お前だって13班の一員なんだからよ。仮にも、一応な」
「ええ。ですからこうして、キリ様の代わりに戦場へと(おもむ)いているのです」
「なら、こぉ、もっと……いや、なんでもねえ」

 アダヒメは両手で温かい抹茶ラテを包むように持ち、コクコクちょっとずつ飲んでは舌鼓(したづつみ)を打っている。この場に場違いな着物姿もあって、そこだけ本来あるべき日常が帰ってきたような雰囲気だ。
 だが、実際にはここは魔境、そして魔窟。
 今もひび割れた天井からは、酸の滴りそこかしこに白煙を巻き上げていた。
 その異臭が、自然と緊張感を励起させてくれる。
 小休止して再び調査続行、そう思ってトゥリフィリが飲み物を受け取った、そんな時だった。

「あら? こちらの方にも通路が。……これは、フロワロ。そして」

 アダヒメの声が突然、黒く陰った。
 楽器が歌うような美声が、こうして時々闇に染まる時がある。
 エメルほど極端ではないが、アダヒメもまたドラゴンに対して強い憤怒(ふんぬ)憎悪(ぞうお)を持っているようだ。そして、それを隠そうともしない。
 ただ、そういう時のアダヒメが不思議とトゥリフィリには酷く老成して見えた。

「どうした、アダヒメ」
「御覧なさい、ナガミツ。竜です。あのフロワロの壁を守っているようですね」
「ん、ああ待て待て、待てっての。今、フィーを呼んで三人で――」

 咄嗟(とっさ)にトゥリフィリは走り出した。
 それは、アダヒメが袖の下から小さな拡声器を取り出すのと同時だった。普段は調理や配膳のボランティアをやっている彼女は、避難民たちに呼びかけるための拡声器を持ち歩いているのだった。
 小さくキーンと鳴って、スピーカーから大音量で凛冽(りんれつ)たる声が響き渡る。

「我が道は滅竜(めつりゅう)あるのみ……そこをおどきなさいっ!」
「ちょ、バカ野郎!」
「野郎とはなんですか、ナガミツ。さ、やりますよ」
「だから待てって! ああくそっ、とんだお姫様だぜ!」

 瞬時にナガミツへ気迫が満ちる。
 常在戦場(じょうざいせんじょう)、ダンジョンを進む時はいつでも臨戦態勢だ。
 そして、ドラゴンの絶叫がビリビリと建物全体を震わせる。
 猛毒を持つタワードラグで、その名の通り尖塔(せんとう)のような四脚でそびえ立っていた。
 だが、無造作に、そして無防備にアダヒメは進んでゆく。

「ナガミツちゃん、フォローするっ! アダヒメちゃんをお願いっ!」
「おうっ! ……って、なんだ? また、身体が軽く……熱くなって、くる?」

 歌だ。
 アダヒメの声が、旋律を織りなし調べとなってたゆたう。
 そういえば、先程からずっとアダヒメは小さくハミングを口ずさんでいた。
 そして今、彼女は優雅な所作(しょさ)はまるで舞踊のように攻撃を避ける。
 逆に、彼女を狙うタワードラグはまるで踊らされた操り人形だ。

「すご……そっか。さっきから、アダヒメちゃんは歌と踊りで場を整えてたんだ。ならっ!」

 阿吽の呼吸というやつで、ナガミツの蹴りがタワードラグの足をへし折る。鈍い音がして、ガクリと竜は膝をついた。その頭部に、狙い違わずトゥリフィリの銃弾が叩き込まれる。
 断末魔の声と共に、散りゆくフロワロの中にタワードラグは崩れ落ちた。
 いつものコンビネーションが、今は音楽でより洗練されている。
 アヤメも使う力、これがアイドルと呼ばれる者たちのS級能力(エスきゅうのうりょく)なのだと納得し、感心してしまうトゥリフィリなのだった。

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