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 ダンジョンの探索は続く。
 六本木ヒルズは、上へと進むほどにその姿を変えていった。
 最上階近くのここは(すで)に、異界……(したた)る強酸の白煙がくゆる中を、トゥリフィリたちは慎重かつ大胆に進んだ。
 キリノが作ってくれたナノコートによって、ダメージは全く無い。
 そして、マモノを蹴散らしフロワロを根絶やしにして、ついに屋上への階段に辿り着く。

「っし、この上だな。ビリビリきやがる……確実にいるぜ」

 ナガミツは階段の先を見上げて、バキボキと拳を鳴らした。
 ここからは屋外になるが、雲海のような煙によって視界は酷く悪い。
 だが、ナガミツは勿論(もちろん)アダヒメにも(すく)むような気配はなかった。

「ビリビリきやがる、って……ナガミツちゃん、ちょっと印象変わった?」
「ん? ああ。カネミツのボディはまだ俺に馴染(なじ)んじゃいねえ。相変わらずクソ重いし、センサー系統にも誤差が出んだよ」
「やっぱまだ、調子悪いんだ」
「けど、そのおかげでわかった、わかった気がするんだ。ガトウのおっさんが言ってたことの意味がよ」

 ナガミツが言うには、各種センサーの数字が不安定過ぎて頼れないのだという。しかし、こういう時に達人は肌で気配を察し、五感を研ぎ澄ませると聞いている。今まで知識でしかなかった人間の感覚を、マシーンであるナガミツが試しているのだ。
 そしてどうやら、完璧とまではいかずともものにしようとしている。
 トゥリフィリもまた、この短い探索の時間で得難(えがた)きものを得ていた。

「ぼくもね、ナガミツちゃん。ちょっとわかった、っていうか、気付いたよ?」
「おう? なんだよフィー、お前もビビッ! と来たか?」
「いや、どっちかっていうと……ぼんやりと感じてる、かな」

 キリノたちの前で、決して無理はしないと宣言した。
 オーバーワークの自覚もあったし、今回は危険を決して冒さないことにしたのだ。それで、ここまでの道程は少し後方で援護に徹していた。
 トゥリフィリは敏捷性Sランク、トリックスターと呼ばれる遊撃手(スィーパー)である。
 必定、誰よりも脚を使って戦う。
 時に撹乱、時に追撃、そしてまた時には仲間の回復に走り回るのだ。

「今日は一歩下がって見てたら、戦いを俯瞰(ふかん)できてる気がする。見えてなかったものが見える気がしたかな」
「そっか。そういや今日はこころなしか、戦いやすかった。アダヒメの歌もあるけど、欲しいとこにドンピシャで弾が飛んでくる。それも、いつもよりワンテンポ速くな」
「ふふ、でしょ?」
「おう」

 ちらりと見やれば、既にアダヒメは階段を登り始めていた。
 慌ててトゥリフィリも、ナガミツと一緒にあとを追う。
 まるで天空、雲の中へと分け入ってゆくような気分である。だが、綿あめのような夢のある光景ではなく、腐食液によって文明が侵食される煙が満ちているだけだった。
 その先で突然、階段がぷつりと途切れている。

「わわっ、アダヒメちゃん! ちょっと待って、そこで止まって!」
「フィー、ナガミツも。これ以上は進めないみたいです」

 アダヒメは平然と上を見上げて、ピコピコと耳を揺らしている。
 その隣まで進んで並ぶと、ナガミツも静かに集中力を研ぎ澄ませた。
 そして、不意に彼は仰天の行動に出た。

「ちょ、ちょっと、ナガミツちゃん!?」
「まあ、ナガミツ! なにを!?」

 突然、溶け落ちた階段のその先へと、ナガミツが身を躍らせた。その場からのジャンプで、濃密な霧の向こうへと飛び込んだのだ。
 ここは既に、地上から数百メートル……落ちれば人型戦闘機でも助からない。
 だが、次の瞬間には呑気(のんき)な声が降ってきた。

「やっぱりか。なあ、フィー! アダヒメも! ここに足場がある。これを伝って登るしかねえよ」

 うっすらと、ナガミツの立つ姿が影となって浮かび上がる。
 空の上、空中に立ってるように見えた。
 だが、さらに目を凝らすと……驚いたことに、彼は岩盤の上に立っていた。
 六本木ヒルズを取り巻くように、無数の巨岩が浮いている。まるで、そこだけが無重力の空間であるかのようだ。
 改めてトゥリフィリは、ドラゴンの恐ろしさを目の当たりにした。
 その中でも、帝竜(ていりゅう)と呼ばれる個体が持つ超常の力……それは周囲のテリトリーを迷宮へと変え、フロワロによって死の牙城を広げてゆく。
 今は黒いフロワロも入り混じり、人類の存亡は以前よりさらに危うい。

「重力制御系、かなあ? アダヒメちゃん、飛べる? 着物だけど平気?」
「問題ありません、フィー。それより……この先に」

 またアダヒメが、少し怖い顔をした。
 その凛々(りり)しい横顔に、不思議とトゥリフィリは不安を煽られる。目も覚めるような美人という形容がぴったりのアダヒメが、時々禍々(まがまが)しいまでの憎悪を剥き出しにするのだ。
 そんな時のアダヒメが、疲れた老婆のように見えることも多々あった。
 だが、彼女はすぐにいつもの自身に満ちた澄まし顔に戻る。
 トゥリフィリはそんなアダヒメと一緒に、ナガミツを真似て地を蹴った。

「よっ、ととと、と?」
「おっと、大丈夫か? フィー、俺の手に捉まれ」

 ナガミツが手を伸ばしてくれて、トゥリフィリが掴めば引っ張り上げてくれた。
 アダヒメはさして苦労した様子もなく、もう次の足場へとジャンプしていた。
 その姿もちゃんと、今のトゥリフィリには注意深く見て取れた。大丈夫、アダヒメは無防備かつ無造作に進んでるように見えるが、無茶はしていない。そして、それをトゥリフィリは無理なくスムーズにフォローできている。
 だが、意外なことが頭からすっぽりと抜け落ちていた。

「な、なあ、フィー」
「うん? ああ、大丈夫だよ。アダヒメちゃんはああ見えて、こぉ……なんだろ、勘がいいというか、運がいいというか」
「あ、ああ。それで、その……手」
「手?」
「もう離していいか?」
「……ほい? あ、あっ! う、うん、ありがとね! アハハ、ハハ……」

 気付けばトゥリフィリは、ナガミツの手をしっかりと握り締めていた。
 固くて大きくて、そして冷たい手。
 機械のマニュピレーターである以上に、繊細な力加減が握り返してくれている。不思議とそこにぬくもりすら感じられるような気がした。あるかないか、熱を発してるどうかではない。自分を気にかけてくれる少年の気持ちが伝わってくると思えるのだ。

「フィー、頼みがある」
「う、うん? なな、なっ、なにかな。えと……うん、いいよ」
「まだ言ってねーって」
「……言わなくても、いいよって意味」
「お、おう。じゃあ……あ、ありがとな?」
「うん。じゃ、片付けちゃおう。議事堂のみんなに今度こそ、安心して暮らせる毎日を」

 決然とした覚悟と一緒に、ほんのりあやふやな熱源が心に灯る。
 声に出さなくても、言葉に乗せなくてもいい。
 ただ、もっと触れたい、触れ合いたい……不思議とそう思い合ってる確信だけがあった。
 そして、そんなトゥリフィリを祝福するように歌が響き渡る。
 とても澄み切った、周囲の白い闇を払って消し飛ばすような歌声だった。

「アダヒメのやつだ! そこにいたかよ……帝竜!」
「えっと、エメルさんが付けてくれた識別コードは……オケアヌス? なるほど、ほっとけば東京は酸の海に沈むって訳だね。行こう、ナガミツちゃん!」

 二人は離れて走り出す。
 互いに引き上げ合うように、上へ上へと駆け上がる。
 そして不意に視界が開けた。
 屋上のヘリポート、煙る(かすみ)の中に異形が身をくねらせているのだった。

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