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 六本木ヒルズ、最上階の更に上……泣き止まぬ天を仰ぐヘリポート。
 そこに広がる光景に、思わずトゥリフィリは絶句していた。
 ありえない惨状がそこかしこに広がっている。
 衝撃的な現状に、ナガミツやアダヒメも言葉を失っていた。

「え……な、なに、これ……どうして? えっ、なんで!?」

 強酸の雨に煙るヘリポートに、無数の人影がいた。
 その数、ざっと数十人。
 皆、焦げた臭いを白く(くゆ)らしている。頭からフードをかぶって外套(がいとう)を着ているが、それがどんどん溶けるままに立ち尽くしている。
 勿論(もちろん)、トゥリフィリたちが着込んでいるナノコートではない。
 その場の、まるで幽鬼か影かという人たちが一斉に振り返る。

「……誰?」
「ああ、あなたも……救われたいのね」
「さあ、こっちにいらっしゃい」
「この雨に清められて、私たち……フフフ」

 誰の目にも、光がなかった。
 そこには、生気のない(ほら)が二つ開いてるだけ。
 虚ろな瞳に映る自分自身の顔が、トゥリフィリには無数に見えるだけだった。そして、その自分は悲しいほどにうろたえ動揺している。
 だが、相棒はこんな時も冷静だった。
 すぐにトゥリフィリに駆け寄ると、背中をバン! と叩いてくれる。

「フィー! しっかりしろ、フィー! 要救助者だ!」
「あ、う、うんっ……でも」
帝竜(ていりゅう)による、なんらかの集団催眠とかか? それにしちゃ、竜の気配があまりねえ」
「……と、とにかく、保護しなきゃだよね」

 ヘリポートの奥に、まるで大樹のようにそびえる異形が見える。
 その周囲を、六本木ヒルズの各フロアで戦った職種が(うごめ)いていた。
 間違いない……あれが帝竜オケアノスだ。
 だが、報告にない能力があるのか、周囲には多くの民間人が集まっているのである。
 すぐにトゥリフィリは活動を開始した。
 無理はしないという前提で参加したからには、自分の領分を守る。そして、なによりも要救助者の無事を第一に動く。

「皆さん、ぼくについてきてください! 安全地帯まで誘導しますっ!」

 だが、トゥリフィリの呼びかけに反応する声がない。
 皆、朽ちた枯れ木のようにその場から動かなかった。
 やはり、尋常じゃない。
 そして、帝竜とは別の力が働いているように感じられた。
 次の瞬間、絶叫と共にオケアノスが動き出す。
 すかさず、ナガミツとアダヒメが前に出た。

「フィーはその方たちを! ナガミツ、やれますねっ!」
「誰に言ってんだ、誰に! 慣らし運転には飽きてきたとこだぜ」
「この雨の中では、長期戦は不利。……一曲で決めます」
「オーライ、任せな」

 おぞましい風切り声と共に、無数の触手が人々を襲った。
 すぐにトゥリフィリは二丁拳銃を抜き放つ。
 左右の手がそれぞれ、別々の敵意を次々と迎撃した。
 だが、撃ち損じた触手は人々を襲う。
 中には、迫る死に両手を広げて歓声をあげる者までいた。

「な、なんで……どうしてっ! みんな、もっと生きて! 生き残れるよう、こっちに――」

 (すで)にもう、半分以上の人間が喰われてしまった。
 残る者たちも、この強酸の雨でボロボロだ。
 はやく後方の自衛隊に保護してもらわねば、被害者は増える。しかし、トゥリフィリには今は、襲い来る触手に対処するので精一杯だった。
 そして、諸悪の根源たる本体には、二人の仲間が相克(そうこく)していた。
 信じて頼る二人の背が、同時に地を蹴る。
 瞬間、(むしば)むような冷たい空気に波紋が広がった。

「あれ、この歌……ミクちゃんの? アダヒメちゃんが?」

 以前保護した、初音ミクの歌だった。
 それは、見えない空気に旋律を彩ってゆく。
 雨に踊るアダヒメを中心に、あっという間に弾んだ調べが広がった。
 戦慄の光景を前に挫けそうだったトゥリフィリにも、不思議と心の底から熱意が燃え上がる。それはあっという間に、かじかんだ肉体へ伝搬して燃え盛った。
 一人舞台に踊るアダヒメは、まるで太古の巫女か姫君のよう。
 そして、彼女に迫る全てをナガミツの蹴りが切り裂いた。
 トゥリフィリも気を取り直して、強引にでも要救助者を保護し始める。

「ちょっとゴメンッ! 死なないでもらうよっ!」

 無理矢理手を引いて、トゥリフィリは人々を集めて回った。
 ヘリポートの隅にある、給水タンクの影へと次々に放り込む。
 本当に、虚無そのものを連れ回してるような錯覚があった。だが、自分に言い聞かせる。この人たちはまだ生きてて、助かるべき人間なんだと。
 その間にも、音楽は空に満ちてゆく。
 まるで、猛毒の雨さえも押しのけるような空気だった。
 アダヒメの歌と踊りが、ナガミツをかつての領域へと加速させてゆく。

「ナガミツ、遠慮は無用です!」
「おうっ! この旋律に乗せて……ブチ抜けっ、奴よりも速くっ!」

 気付けば、トゥリフィリたちを襲う触手は消え失せていた。
 オケアノスは今、互いを庇い合うように踊る二人に攻撃を集中させている。人間たちを捕食するよりも先に、身の安全を考えているのだ。
 その怯えたような本能が、トゥリフィリにもはっきりと伝わった。

「凄い……ナガミツちゃんもアダヒメちゃんも、凄い。武と舞の融合、ユニゾン……!」

 トゥリフィリが見詰める先で、徐々にナガミツの動きが洗練されてゆく。まるで、かつての自分を思い出してなぞるように、イメージする姿に重なりぶれなくなってゆく。
 ナガミツは先日、弟にして予備機であるカネミツのパーツをもって修復された。
 まだ、各部品同士が馴染(なじ)んでいない部分もある。
 それでも、彼が辛く苦しい中で足掻(あが)いてきたことをトゥリフィリは知っていた。
 闇の中を手探りで藻掻(もが)くように、ナガミツは自分を取り戻し続けてきたのだ。

「ハッ! 調子が出てきたぜ、アダヒメッ!」
「当然です! (たけ)るままに踊りなさい、ナガミツッ!」
「返ったらノリトにも歌ってやったらどうだ」
「彼には解釈違いとかなんとか、わけのわからないことを言われました!」

 二人には、軽口を叩き合う余裕すらある。
 そして、電子の歌姫が紡いだ歌は今、より深みを増して透き通り、全く違う音楽を生み出していた。そのビートとリズムが、アダヒメのステップでオケアノスに迫る。
 ナガミツの蹴りがそのまま、触手を切り裂き薙ぎ倒して……本体に迫る。
 折しも、歌う楽器とかしたアダヒメの声が最後のリフレインを歌い上げた。

「っし、トドメだ。悪ぃが俺は精密機械だからよ……雨と湿気は、鬱陶(うっとう)しいんだよ!」

 ナガミツの強い踏み込みと同時に、バキッ! と足元のアスファルトが割れる。広がるヒビが奏でる悲鳴さえ、アダヒメの歌の中で小気味よいリリックとなっていった。
 そして、ナガミツの渾身の蹴りが振り抜かれる。
 まるで居合の抜刀術、研ぎ澄ました刃のような一撃だった。
 残った触手を集めてガードを固めたが……オケアノスの本体が一刀両断に断ち割られる。
 おぞましい断末魔が薄れゆくのと同時に、徐々に悪夢の雨も収まってゆくのだった。

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