心を
晴れた空は夕焼けに染まって、そして星々の
久しく忘れていた、それはとても静かな夜だった。
ムラクモ機関にだけ開放されたフロアにも、避難民たちの歓喜の宴が聴こえてくる。笑い声と、音楽と歌と。薄氷を踏むような勝利の果ての、ささやかな生が謳歌されていた。
だが、トゥリフィリはあまり気持ちが晴れない。
「ふーむ、シロツメクサちゃん。それ、おじさんが少し調べておいたのヨ」
ここはフロアの片隅にある休憩スペースだ。同じ13班のカグラによって、廃材や余剰資材を使ってバーカウンターのようになっている。ソフトドリンクや軽い食事もできるので、ここを経由して自室に戻るメンバーは多かった。
しかし、今日はトゥリフィリの隣で深刻な顔が溜息を零す。
カジカは疲れた顔で、静かに缶ビールをあおった。
「カジカさん、なにかわかりました? その、なんていうか」
「集団自殺、ねえ……まあ、自殺行為だよねえ。
そう言いつつ、カジカはタブレットを見せてくる。
そこには、避難民たちのインフラとして提供されたSNSの画面が映っていた。
だが、ネットワークの中の『もう一つの現実』には、恐るべき情報が潜んでいた。
「え……このツイート。ちょ、ちょっと待って、カジカさん。これって」
「巧妙に名も顔も隠して、自殺を煽るような書き込みが多数見つかった。よかれと思って作ったサービスなんだけどねえ……こういうのは、ちょっと」
「こっちにも、ここにも。引用リツイートで、あちこちに拡散されてる」
「絶望するのを責めちゃいけないけどねえ。そこにつけ込むのは、ほんとーにっ、ヤな話だよん」
確かにあの時、帝竜オケアノスとの決戦時に……大勢の人間が集まっていた。皆、無力な避難民たちだ。彼らは酸に濡れるままに、自分の命を放棄していたのだ。
そして、トゥリフィリには心当たりがある。
こうした卑劣な手段を救いだと説く連中は、以前にもいた。
だが、今回はどうやら違うらしい。
ポン、とバインダーで優しく頭を叩かれた。
振り返ると、フレッサが立っていた。
「フィー、調べてみたわよ。例の件は
フレッサも医療面から、心当たりをあたってくれていた。
受け取ったバインダーには、大勢の人たちの記録がある。
それは、かつて竜こそが救いとうそぶいた、カルト教団の元信者たちの記録だ。立ち直れた人、洗脳が解けた人もいれば、今も絶望にとらわれている人もいる。
真に恐ろしいのは、人の弱みに漬け込む人間の存在だったのだ。
飲み物を注文して、カジカとは逆側の隣にフレッサが腰掛けた。
「今もカウンセリングに通っている人がいるの。でも、当時の聖竜光浄会関係者は、既に組織的な活動はしていないわ。カルト教団としては完璧に消滅した形ね」
だが、フレッサの苦悩は目にもあきらかだ。
竜災害は神の意志、摂理なのだと説いた聖竜光浄会。その教祖は、竜災害で心の傷を負った者たちを集め、救いと称して竜に喰わせていたのである。
今思い出しても、トゥリフィリは背筋に冷たい悪寒を感じる。
しかし、今回のSNSでの不可解なツイートは、どうやら聖竜光浄会とは無関係のようだ。
「ねえ、カジカ。IPをたどって個人を特定できないかしら」
「そーれはできるんだけどねーえ? もうやってみたのヨ」
「あら、仕事早いわね。それで?」
「この国会議事堂の中だけの、クローズドなネットワークなのよん? なのに……おじさん、追い詰めつつあったけど逃げられちゃったんだなあ」
小さく狭いローカルネットワーク故に、そこかしこにセキュリティーホールが存在するとカジカは言う。この短時間で、少しでも避難民のためにとカジカが突貫工事で組み上げたシステムである。
どうやら事件の首謀者は、このSNSを利用して巧妙に絶望を振りまいているらしい。
しかも、
それは、甘い死への
決して看過できぬ行為だ。
フレッサは出されたノンアルコールカクテルで唇を濡らして、思い出したように話題を変えてきた。
「ところで……フィー、ナガミツの様子はどう?」
「あ、はい。ようやくパーツが
「そう。彼にも一度、カウンセリングに顔を出すように言って頂戴。フィーの言う事なら、きっと聞き分けてくれるわ」
「は、はあ」
ナガミツは人型戦闘機、AIで制御されたマシーンである。
同時に、幾度も成長を繰り返してきた中で、確かに感情や情緒が育っていた。人格形成に大きな影響もあったし、彼はトゥリフィリを一人の女の子として見てもくれたのだ。
そういう訳で、機械でも面談とケアが必要だとフレッサは思っているらしい。
しかし、ナガミツが医務室を訪れることはなかったようだ。
「まあでも、あの年頃の男の子ってそうなのよね……フフ」
「男の子、ですか」
「そうよ、フィー。あなたが一番よくわかってるし、よくやってくれてるわ。だからこそ、ね? あまりフィーにばかり負担が集中しないようにと思って」
そういえば、今日もトゥリフィリは戦闘で一歩引いたポジションを守り抜いた。無理はしない、無茶はしないと約束したからだ。帝竜オケアノスは強敵だったが、その場で放心する市民たちを避難させてまわったのだ。
トゥリフィリは13班の班長だ。
だが、仲間たちと戦い始めてから丸一年以上が経過していた。
気心知れた連携も勿論だし、役割分担や互いの気遣いも阿吽の呼吸である。
そういう中で、トゥリフィリも大人たちの期待に応えているのだった。
「男の子、かあ」
「そうよ……ほら。噂をすれば、ってやつね」
ちらりとフレッサが背後に目配せした。
その眼差しに視線を重ねれば……今しがた話題にあがった少年と目が合った。
ナガミツはスマートフォンを手にするキジトラと一緒である。
「おう、フィー。お疲れさん」
「う、うん。ナガミツちゃんとキジトラ先輩は……?」
「いや、ノリトに聞いたんだがよ。……この辺にいるらしんだ。ピカチュウが」
「はあ、ピカチュウ」
「そうだぜ、ピカチュウだ」
その間もずっと、キジトラは難しい顔でスマホのカメラをあちこちに向けている。
そして、不意に彼はガッツポーズでのけぞった。
「フハハハハハ! 見ろナガミツ! 俺様、ピカチュウGETだぜえええええっ!」
「ちょ、まじかよ! 本当にいたかあ。ちょ、ちょっと見せろよ」
「見るがいい! そして
「一部のGPS機能とかも生きてるからな。竜も宇宙では暴れたりしないんだろうよ。それより」
「やらん!」
「まだなにも言ってねえよ、けど交換しようぜ。って、逃げるかーっ!」
「ククク、目的は達した! さらば!」
慌ただしく二人は、ドタバタと出ていった。
ああしているところを見ると、同世代の若者となんら変わらない。それどころか、生真面目ながらも無邪気で純真な姿は、あどけなくさえ見えることがある。
フレッサもカジカも、気付けば苦笑が柔らかい。
そして、改めてトゥリフィリは思った。
彼が……ナガミツが、自分を戦う理由にしてくれている。その期待に応えて、彼の理由でありつづけてあげたいと今は思うのだった。