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 トゥリフィリに束の間の休息が訪れた。
 13班としての仕事はまだまだあるが、今のところ帝竜攻略のための活動は小休止となった。今まで集めた帝竜の検体を、キリノが分析してくれているのだ。
 他のメンバーも、国会議事堂の補修と改装で出払っている。
 避難民の中に悪意が(ひそ)んでいる、その危険は今も人知れず膨らんでいるが……トゥリフィリには珍しく、多少の書類仕事だけが残る日々が続いていた。

「……こういう時に限って、ナガミツちゃんがメンテ中なんだよなあ」

 今日もトゥリフィリは、中庭のベンチで一人タブレットにタッチペンを走らせる。
 急ぎの書類ではないが、こういう手続を(とどこお)らせるのはよくない。13班の班長というのは、現場では最高責任者に等しいからだ。報告書は勿論(もちろん)、使った消耗品の補充も必要だし、新たなマモノのデータだって仲間と共有しなければいけない。
 猛毒の酸性雨も晴れて今、暖かな日差しの中で自然とあくびが溢れ出た。
 背後で声がしたのは、そんな時だった。

「トゥリフィリ、えっと、いい? あの、これ……」

 振り向くと、ルシェの女の子が立っていた。
 マリナである。
 そして、トゥリフィリはまたもそこに懐かしい面影(おもかげ)を感じてしまった。その人はもういない、永遠に去ってしまったのに。それなのに、おずおずと見詰めてくる眼差(まなざ)しに胸が締め付けられる。
 マリナは両手で胸に書類を抱いたまま、ぽてぽてと歩み寄ってきた。

「あっ、マリナ、さん。えと、大丈夫ですよ」
「ホッ……よかったあ。あの、これ、フレッサから、預かってて」
「ん! 忘れてた! ぼくも今週、メディカルチェック受けるんだった!」
「うんっ。だからね、トゥリフィリを探して、これ」

 フレッサからは、心身の疲れを細かく検査するように言われているのだ。というのも、ここ最近のトゥリフィリは自分でも働き過ぎの自覚がある。だから、カジカは今日みたいな日を作ってくれるのだ。
 トゥリフィリは少し横にずれて、マリナをベンチに座らせる。
 書類を受け取れば、几帳面(きちょうめん)なフレッサの字が日程を催促してきた。

「ふむ、いつがいいかな……ありがと、マリナさん。確かに受け取りました」
「う、うんっ。……トゥリフィリ、病気? フレッサに、お注射、されちゃう?」
「ううん、そうじゃないんだけどね。健康診断みたいなの、受けるんだ」

 マリナは不思議な少女だ。
 彼女のことをセクト11の戦士たちは殺竜兵器(さつりゅうへいき)と呼ぶ。希少民族ルシェとはいえ、ただの一人の女の子なのに、だ。そして、その意味をまだトゥリフィリたちは知らない。
 フレッサは勿論、キリノやカジカも彼女を調べたが、なにもわからなかった。
 かつてムラクモ機関の総長だった女性、ナツメ。彼女によって造られた殺竜兵器を巡って、トゥリフィリたちはセクト11の面々と交戦した。そうして護衛した対象は、マリナというか弱いルシェの少女だったのである。

「あ、そうだ。マリナさん、おやつ食べます? はい、これ」
「わわっ、嬉しい。トゥリフィリ、私に?」
「フィーでいいよっ。これはね、チョコバー……きっと、気に入ってもらえると思う」
「ありがとう。いただきまーす」

 ポケットからチョコバーを二つ出し、片方をマリナへ渡してやる。  トゥリフィリの見様見真似でビニールの包装を破いて、マリナはチョコバーにかじりついた。
 その姿がやはり、かつて自分を先輩と呼んだ少女に重なる。
 ありえない話ではない……ナツメはムラクモ機関に所属する全てのS級能力者の遺伝子情報を管理していた。もし、マリナが人造のルシェだとしたら、そのベースになった人間がいてもおかしくはないのだ。
 だが、今目の前にいる少女はマリナであり、それ以外の何者でもない。
 そして、トゥリフィリの想像をマリナ自身に打ち明けることは憚られた。

「おいしい……おいしい! フィー、さくさくなの。それに、チョコレートもふわふわ!」
「ああほら、ほっぺにチョコが」
「チョコバー、おいしい。なんだか、懐かしい、味」
「……そっか。また手に入ったらあげるね」
「うんっ!」

 殺竜兵器がどのようなものか、それは今のトゥリフィリにはわからない。
 だが、帝竜やフォーマルハウトに対する切り札だったとしても……それが一人の少女を犠牲にしてまで使うべきものではないと感じた。セクト11の兄妹にも、できればわかってほしい想いがある。
 絶対強者たる竜を殺しうる兵器……それは、今のマリナを見ていると全く想像できないくらいにかけ離れた概念だった。
 13班の仲間たちは、何も言わなくてもトゥリフィリの気持ちを察してくれている。
 勿論、同じルシェであるこの人物も同じだとトゥリフィリは思っていた。

「フィー、キリ様を見かけなかったでしょうか。あら? あらあら……?」

 割烹着(かっぽうぎ)姿のアダヒメが現れた。
 その表情が、顔を上げたマリナを見て驚きに固まる。
 いつもいつでも唯我独尊(ゆいがどくそん)、謎多きルシェの麗人は目を丸くしていた。トゥリフィリにとっても、初めて見るアダヒメの動揺がそこにはあった。
 何度もまばたきを繰り返したあと、固まっていたアダヒメが駆け寄ってくる。
 その口から、意外な言葉が零れ出た。

「ウラニア様……ウラニア・テ・クアンブル女王陛下! ど、どうしてここに……いえ、何故(なぜ)現代に!?」

 どうやら初対面のようだが、アダヒメはマリナを知っているらしい。ウラニアというのが本来の名なのかと思ったが、当のマリナ本人はきょとんと首を傾げている。
 ルシェ同士の邂逅(かいこう)は、アダヒメを珍しく狼狽えさせているのだった。

「えっと、アダヒメちゃん? この人、マリナさん。この間保護した――」
「フィー、不敬なのです! いけませんっ。ああ、まさか陛下にこのような時代で」
「……アダヒメちゃん、えっと、これはどういう」

 相変わらずマリナは、不思議そうにアダヒメを見上げている。
 そのアダヒメだが、神妙な顔で二人の間にぐいぐい強引に座った。そして、ちらり横目でマリナを見つつ、トゥリフィリへと声を(ひそ)めてくる。
 放たれた言葉に、思わずトゥリフィリは目を点にしてしまった。

「フィー、いけません! この御方は……アトランティスを統べる女王陛下です」
「……ほへ? それはどういう」
「真竜ニアラに攻められたアトランティスで、亡き父王の跡を継がれた方ですっ!」
「おおう、ソ、ソウデスカ……わかった、わかったよアダヒメちゃん」

 トゥリフィリも一瞬混乱したが、無理もないと溜息を一つ。そして、優しくポンとアダヒメの両肩に手を置いた。

「アダヒメちゃん、ぼくと一緒にフレッサさんのとこに行こっか」
「わたしは正気ですっ、フィー! この方は本当に、ウラニア様なのです」
「きっと疲れが出たんだね……うんうん、大丈夫だから」
「何故です、フィー! そういう妙に生優しい目はやめてください! ああもうっ!」

 アトランティス、それは失われた未知の大陸。かつて大西洋にあったとされる、誰も知らない王国の名だ。それが突然、アダヒメの口から飛び出したのだ。トゥリフィリならずとも、混乱する。心身の疲労を心配するのも無理からぬことと思えた。
 だが、そんな二人のやり取りを見つつ……ぽかんとしてしまったマリナが「あ」と小さく声をあげる。彼女は不意に、手にしたチョコバーを二つに割った。

「あ、あのぉ……アダヒメ、は、あなた? その名、どこかで」
「ウラニア様……御覧(ごらん)なさい、フィー。やはりこの方は――」
「うー、えっと、えっとぉ……半分、あげる。チョコバー、美味(おい)しい、よ?」

 マリナは迷う素振りを少し見せてから、二つに割ったチョコバーの大きい方を差し出した。それを見詰めて、アダヒメは無言で黙ってしまう。
 その横顔を見て、不思議とトゥリフィリは奇妙な感覚に心が(きし)んだ。
 あどけないマリナを前に、どこか悲痛な切実さをアダヒメは滲ませていた。
 それでも彼女は、礼を呟きチョコバーを受け取る。その手は、トゥリフィリには震えて見えた。何が彼女を苛んでいるのか、今のトゥリフィリには知るよしもないのだった。

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