《前へ戻るTEXT表示登場人物紹介へ用語集へ次へ》

 一難去ってまた一難、というお話。
 残念ながら、トゥリフィリと仲間たちのささやかな平和は終わった。休息の日々は、長く続かなかったのである。
 今、ナガミツやエグランティエと共に、走る。
 全力疾走で、周囲の緑は渋谷の景色ごと背後へ飛び去った。

「ナガミツちゃん、SKY(スカイ)のみんなの反応は?」
「大人数の熱反応がある。まとまって動いてるから、組織的な避難ができる状況で踏ん張ってるみたいだな」

 SKYのイノとグチが、へろへろに疲労困憊で国会議事堂に駆け込んできた。
 今、渋谷で異変が起きている。
 そして、ネコとダイゴがピンチらしかった。
 今の渋谷はまだ、復興が全然進んではいない。それもそのはず、政府とムラクモ機関は別の地域を優先しているのだ。何故(なぜ)なら、渋谷にはSKYという頼もしい仲間たちがいる。一定の秩序は保たれてるし、彼らは率先して弱いものを助けながら渋谷での生活を維持し続けていた。

「フィー、辰切(たつきり)も。ちょいとやばい空気だね」
「エジー? なにか来る感じ? かな?」
「ああ、この感触……妙だ、わたしの知っている敵意。む、空か」

 エグランティエはナガミツのことを、辰切と呼ぶ。文字通り、竜を切る剣、斬竜刀(ざんりゅうとう)だからだろう。そのエグランティエが、走りながら上を見上げた。
 そして、暗い影がトゥリフィリたちを包み込む。
 無数の樹木が奪い合う空を、何かが高速で飛び去った。
 遅れて叩きつけられた風圧に、思わずトゥリフィリが手で目を(かば)う。

「あ、あれは……嘘、なんで!?」

 一秒にも満たぬ一瞬の、邂逅(かいこう)
 それは招かれざる再会だった。
 忌々(いまいま)しい記憶と激戦の古傷が、トゥリフィリの中で(うず)き始める。
 巨大な飛翔体は、過去に戦い倒した帝竜(ていりゅう)だった。
 ナガミツにもそれがわかったのか、忌々しげに歯ぎしりを見せた。

「おいおい、ありゃスリーピー・ホロウじゃねえか……どうして」
「わからない。けど、渋谷が危険なのはわかったよ。急いでSKYに合流しよ」

 スリーピー・ホロウは、かつてこの渋谷に君臨した帝竜だ。空を自在に飛び回り、非常に頑強な巨躯(きょく)を誇る強敵である。なにより、知的生命体の精神力に直接ダメージを与え、幻覚を見せてくるのが厄介だった。鍛え上げた力と技も、スリーピー・ホロウが広げる悪夢の中では無力だからだ。
 しかし、苦難の末にトゥリフィリたちは倒した。
 今もムラクモ機関に保存されてる、スリーピー・ホロウの竜検体がその証拠である。

「辰切、データを照合しとくれ」
「やってる! 俺の演算では、97%の確率でスリーピー・ホロウだな」
「じゃあ、蘇った……黄泉帰(よみがえ)ったとして」
「ああ。事実であり現実って訳だ。問題は、その手法や過程だな」

 トゥリフィリにも、事の深刻さが徐々に浸透してくる。
 一度倒した帝竜が、復活する。
 それは、これからも竜を倒し続けるムラクモ機関にとっては、致命的な危機となる。帝竜は迷宮に一匹だけの強力な個体で、過去に七匹が確認されている。また、真竜フォーマルハウトが出現後もティアマットとオケアノスを撃破してきた。
 それがまた、蘇るとしたら?
 倒しても倒しても、竜には復活のロジックが存在するとしたら……驚異になる。
 そんな考えを振り払うように、頭を左右に強く振る。
 そしてトゥリフィリは、渋谷のセンター街を駆け抜けた。

「いた、SKYの子たちだ。おーいっ、無事ー?」

 ようやく同じ人間に出会えた。
 スカジャン姿の若者たちを見ると、不思議とトゥリフィリは安堵が込み上げる。SKYの皆も同じ仲間、見た目は千差万別で奇抜だが気のいい人たちである。
 若者文化の最先端を走る彼らが、トゥリフィリに怯えた表情で振り返った。

「おっ、13班! よく来てくれたな!」
「助かったぜ……ネコとダイゴが奥に行っちまった」
「例の、なんだっけ? スリーピー・ホロウ? あいつ、また出てきやがった!」

 流石(さすが)の面々も、今は混乱し動揺している。
 トゥリフィリは簡潔に状況を伝え、情報を共有した。人間は現状を正しく把握することで、かえって冷静になることが多い。未知の恐怖よりは、絶望的でも正しい事実が大事なのだ。
 そして、エグランティエの洞察力とナガミツの索敵能力があれば、それは容易(たやす)い。

「みんなは固まって動いて! まずは国会議事堂に避難を。ぼくはネコさんたちに合流するから!」

 トゥリフィリに疲れている暇などない。
 ネコやダイゴもS級能力者(エスきゅうのうりょくしゃ)だが、たった二人では危険だ。
 焦れるように再び走り出そうとした、その時だった。
 不意にグイと手を握られた。
 振り向けば、ナガミツがいつもの端正な無表情で見下ろしてくる。

「落ち着けよ、フィー。今、エジーがSKYの連中に薬とか配ってる」
「あ、ああ……そ、そだね。ゴメン」
「なんか、イキモノってすげえよな」
「ん? ああ、うん。ドラゴンって、本当に凄い。まさか、生き返っちゃうなんて」

 ぼへーっとしたままの表情で、不意にナガミツは右手を動かした。そして、ゆっくりトゥリフィリの鼻先に持ち上げると……突然、指で額を弾いてきた。
 痛くはないが、デコピンされるのは初めてで驚くトゥリフィリ。
 思わず目を丸くしてると、ようやくナガミツはニヤリと笑った。
 あまりにも不器用な笑みは、トゥリフィリでなければ拾えなかっただろう。

「そうじゃねえよ。人間の方だ。人類は、強いな……生きてるってすげえよ」
「ナガミツちゃん……」
「見ろよ。SKYの連中はさっきまで泣きそうな(つら)してた。でも、フィーと話して今は逃げる元気を取り戻し始めてる。ったく、人類ってやつぁ」

 ボリボリと頭をかきながら、ナガミツはどこか羨ましそうに周囲を見渡した。
 その横顔は、どこか誇らしげだし、羨ましそうにも見える。
 トゥリフィリはそんなナガミツを見上げる横で、小さく深呼吸した。
 そして、焦りと不安を胸の奥に沈める。

「……よし! ナガミツちゃん、ありがと。少し、落ち着いたと思う」
「おう。因みにな……あのスリーピー・ホロウが別個体という可能性もあるんだが」
「なくもないだろうけど、今は無視していいと思う。帝竜は迷宮に一匹限り、帝竜自体が迷宮化の中心だから」
「だとすると、前回のやつが残した子供、二代目って線も薄いな」
(つがい)じゃなかったけど、ドラゴンの生態は謎ばかりだしね。でも、はっきりしてることもあるんだ」

 自然とトゥリフィリの表情に笑みが浮かぶ。
 自信や強気ではない……ただただ、そうしてみせねばという意地と見栄(みえ)だった。

「ぼくたちは以前、スリーピー・ホロウに勝った。だから、今回も勝つ。何度でも勝ち続ける。だよね?」
「おうっ! ハッ、調子が戻ってきたんじゃねえか? フィー」
「うん。よく考えたら、戦いはいつだってわからないことだらけだった。何も知らないまま、戦って、勝ってきた。最善を尽くせば、今回もきっと」
「きっと、じゃねえよ……絶対だ。竜は斬る。そしてフィー、お前たちを俺は必ず守る」

 思わず頬が熱くなった。
 真顔で言ってくれちゃって、と妙に胸が熱くなった。
 そういうところに照れや気恥ずかしさを見せてくれない、それもまたナガミツという少年なのだった。

《前へ戻るTEXT表示登場人物紹介へ用語集へ次へ》