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 その迷宮は『塔ノ庭園(トウノテイエン)』と呼ばれた。
 もし平時であれば、世界中の考古学を揺るがす大発見になっただろう。東京都の地下数百メートルに、太古の巨塔文明があったのだ。地底空洞の限られたスペースを活かすため、縦横無尽に無数の尖塔(せんとう)屹立(きつりつ)していた。
 かつてここに、どのような文明の営みがあったのだろうか?
 その浪漫(ろまん)に探求心を燃やす余裕が、今の人類にはない。
 勿論(もちろん)、トゥリフィリにとってもここは敵地、戦いの場でしかなかった。

「まあ、白昼夢……というか、なにか幻覚のようなもの、ですか?」

 警戒しながら歩くトゥリフィリの横で、カランコロンと下駄(げた)が鳴る。
 全く無防備なアダヒメは、今日も和装ではんなりと歩く。
 マモノに遭遇する都度、彼女は歌で援護してくれるが……緊張感が全くなかった。
 けど、薄暗いこの迷宮の中で、トゥリフィリは不思議な頼もしさを感じていた。

「そなんだよね、なんかこう……未来の思い出? みたいな。そうゆうのが瞬間的にフラッシュバックすることがあるかな」
「……やはり、ですか」
「えっ? なにか知ってるの? アダヒメちゃん」

 道すがら、ここ最近のトゥリフィリを悩ませる異変の話をしていた。
 何故(なぜ)か突然、脳裏に全く意味不明なイメージが弾けるのだ。時に唐突に、断片的で、そして連なるように押し寄せる。
 正直、怖い。
 見知った顔が何度も過り、消えてゆく。
 脈絡がないように見えて、そこには悲壮感が高まる気配だけが確かだった。

 ―― () () () () () ()

 仮にそう名付けた、それはあの時に似ていた。
 渋谷で再び、蘇ったスリーピーホロウと戦った時もそうだった。
 あれは夢、強い催眠作用が見せた悪夢だった。
 悪夢というには優しくて、とても穏やかな日常。
 ありえたかもしれない、ありえはしない可能性のまたたきだった。
 そのことをアダヒメは、なにか知っているかのように(うつむ)いた。
 通路の先で声が尖ったのは、そんな時だった。

「おいっ! ちんたら歩いてると終わらないぞ! こっちは片付いた、先に進むんだぞ!」

 暗がりから白いルシェの少女が駆けてくる。
 彼女の名は、カルナ。
 以前、マリナの護衛としてムラクモ機関に保護され、今はA級能力者(エイきゅうのうりょくしゃ)として13班のフォローをしてくれている。今回は迷宮があまりにも広過ぎるため、臨時編成で探索のローテーションに彼女たちも入っていた。
 その白い顔に、生真面目(きまじめ)な緊張感を讃えた瞳。
 それはトゥリフィリには、よく知る少女の姿に似ていた。

「ごめんごめん、カルナちゃん。でも、あまり先走らないでね。危ないから」
「フンッ! こ、このくらいは大丈夫だぞ」

 カルナは唇を尖らせつつ、狐の耳をいらう。
 そこには、銀色に光る小さなリングが光っていた。
 カルナはいつも、気持ちを落ち着かせるために銀のリングへ触れる癖があるらしい。
 短い期間だが、一緒に暮らしててトゥリフィリはその仕草に気付いていた。
 そのことを思い出していたせいで、アダヒメとのやり取りが突然途切れる。

「カルナ、そう()かすものではありません。あなたにも少し、ルシェの品格というものが」
「……アダヒメ様、だって……わたしは本当のルシェじゃないんだぞ」
「ルシェに本物も偽物もありません。そしてルシェもまた人……マリナ様もそうでしょう?」
「マリナ様は、中身はアトランティスの女王様なんだぞ! わたしとは、違うんだぞ!」

 いつもカルナは苛立(いらだ)ってる。
 なにか常に気を張って、自分を許さぬ気概で張り詰めていた。
 そんな彼女にユキノジョウたちは優しいが、やはり見えない壁は薄くなっても消えない。膜になって、それが空気に消えたとしても……カルナはどこかで全てを許せていないのだ。
 それは、彼女の数奇な生い立ちに起因している。

「ねね、カルナちゃん」
「なんだ、フィー」
「ルシェとか人間とか、S級とかA級とか、ぼくはそんなに大切なことじゃないと思うよ」
「……わたしは、でも……生まれが、造りが違うんだぞ。わたしを、造ったのは」

 カルナはマリナと同じく、ナツメの生み出した人造ルシェだ。
 マリナが一万と二千年前の女王、アトランティスの巫女の依代(よりしろ)として造られたように……カルナもまた、とある目的のために実験として造り出された。
 カルナは唇を噛みながら、アダヒメをじとりと上目遣いに睨む。

「わたしを造った……ナツメは。……あの女は」
「カルナ。いいのですよ、いいのです。あなたの言葉でお話なさい」
「……お母様は、わたしを……羽々斬(はばきり)の巫女の、コピーとして」

 そう、カルナはキリコを模して造られたのだ。
 巫女の神秘を追い求めたナツメが、ただ自らの知的欲望のために生み出した命である。
 あの時、真竜ニアラ目指して東京タワーを登る戦いの中で……もしかしたら、ナツメの尖兵としてカルナはトゥリフィリたちの前に立ちはだかったかもしれないのである。
 (めぐ)る因果が今、一人の少女に暗い影を落としていた。
 人竜ナツメが非道の限りを尽くして死した今も尚……カルナは母を慕っている。
 彼女には、心を寄せる人間がナツメしかいないのだ。
 今は、まだ。

「……この耳のリングは、お母様がくれたんだぞ。わたしの、唯一の……宝物なんだぞ」

 トゥリフィリは勿論、アダヒメもなにも言わなかった。
 辛うじて自分が母と呼べる、唯一の女性は大罪人。竜災害を前にして狂った好奇心に身を捧げ、人類の敵へと堕した裏切り者である。
 背徳者、咎人(とがびと)、悪しき人竜……それが、カルナにとって唯一の母なのだ。

「カルナ、気にしてはいけません。わたしは気にしませんし、フィーは気にもとめません」
「って、言われても……ぼくは聖人君子でもなんでもないけど」
「カルナ……わたしの愛するキリ様の写し身なれば。なればこそ、わたしが許しますっ!」

 突然、フンスとアダヒメがカルナを抱き締めた。
 あまりに唐突過ぎて、カルナは固まってしまった。
 だが、胸にうずまるカルナの頭を撫でつつ、アダヒメは優しく言の葉を(つむ)ぐ。

「わたしにはわかります……ナツメとて、常に人の身を捨ててはいません。何度も、何度でも竜に抗い、人と共に戦い……そしてカルナ、あなたを愛したのです」
「えっ? あ、いや、それは……意味がわからないんだぞ」
「わたしは何度も見ました。幾億幾兆(いくおくいくちょう)の可能性を選別してゆく中……何度も」

 トゥリフィリにも意味はわからないし、アダヒメの言動は時としてエキセントリックだ。彼女自身が何かしらの秘密を抱えており、カルナとは別種の孤立を自分の中に抱えている。
 そして、誰にもそれを漏らさず知らせず独りで立つ……アダヒメはそういう女性だった。
 あわあわと慌てて、カルナはアダヒメの抱擁から離れる。

「と、とにかく! 安全なルートを確保したぞ! こっちに来るんだぞ!」

 迷宮の奥へと、カルナが走り去る。
 しかし、その背中が何故かトゥリフィリには二重に滲んで見えた。
 そして、脳裏にまたあの声がこだまする。

『わ、わたし一人でも……キジトラ班長が、ナガミツが……エジー師匠がもう泣かなくていいように、するっ!』

 カルナの声のような気がした。
 口調も語気も全然違うのに、同じ声に思えたのだ。
 ふらつきながらも、トゥリフィリはアダヒメと共に、迷宮の奥深くへと走り出すのだった。

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