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 巨大な地下迷宮『塔ノ庭園(トウノテイエン)』の調査は進んでゆく。
 その中で発見された要救助者もいたし、自衛隊の方でも多くの人員が送り込まれた。
 結果、行き来する人と人とが話題を呼び、興味本位で迷い込む者まで出る始末である。トゥリフィリとしては頭の痛い話だが、そうした人もまた救う命、13班としては捨て置けなかった。
 だが、今日の午前中に引き受けたクエストは奇妙なものだった。

「くまさん、か……なんだろう、熊のマモノって珍しくないけど」

 それは、小さな小さな女の子の依頼だった。
 彼女は幼い兄と一緒に迷宮へと迷い込み、帰り道を失って途方に暮れていたという。

「で、くまさんに助けられて地上に出れた、ってか? おいおい、そりゃないだろ」

 一緒に地下道を歩くナガミツも、露骨に半信半疑の言葉を口にする。
 熊のマモノはポピュラーな大型モンスターで、レイジーベアやマーダーベアなど種類も多岐にわたる。しかし、共通して言えるのは『一般人にとっては死そのもの』という唯一の結果だけである。
 マモノは古来より社会の闇に潜み、影から影へと生きてきた危険な存在だ。
 竜災害でマモノたちも活性化し、より危険な存在へと変化しているのだ。

「まあねえ、ちょっとした与太話(よたばなし)だとは思ったんだヨォ? でも少年、子供たちが嘘をつくと思うかい? シロツメクサちゃんもさあ」

 一番うしろをゆっくり歩くカジカの、ゆるーい言葉に自然とトゥリフィリは頷いた。
 事実、子供たち兄妹(きょうだい)の親からは捜索願が出ていた。
 それで探してみたら、ひょっこりと地下道から帰ってきたのである。
 幼児が二人で来た道を引き返せるほど、この迷宮は甘い場所ではない。
 だとすると、例のくまさんなる存在が助けてくれたという話も侮れなかった。

「けどよ、カジカのおっさん。マモノに理屈は通用しねえ。奴らの本能は、ほぼほぼ竜と同じだ。人間なんて、(えさ)でしかねえんじゃ」
「そこだよ少年。つまり……子供たちの言っていたくまさんというのは」
「! ……そ、それってつまり」

 名探偵カジカの推理が閃き冴えわたる。
 そして、その解明編へ繋がる通路の扉が開かれた。
 (すで)に『塔ノ庭園』に入っていたが、ここはまだまだ未調査の区画である。
 警戒して互いに目配せするトゥリフィリとナガミツ、対してカジカの足取りは無防備だった。まるで、この先に待つ怪異の答えを知っているかのようである。

「つまるところ、あれだネェ……くまさんは、熊のマモノって意味じゃないのかもヨ?」
「――ッ! ナガミツちゃん、カジカさんも! ひ、人の気配が……人? かなあ、これ」

 銃を構えるトゥリフィリは確かに察した。
 鋭敏な感覚と洞察力が、この奥の闇になにかを拾ったのだ。
 それは人の気配で、マモノでないことだけは確かだ。
 そう……ただのマモノとは思えぬ圧倒的な闘気が満ちている。
 くまさんの正体はもう、ここまでくればマモノとは思えない。
 幼子たちを救ったその正体が、ゆっくりと暗がりの中から歩み出た。

「あ、あなたはっ! ダ、ダイゴさん!?」

 そう、現われた巨体はSKY(スカイ)のダイゴだった。
 かつて、地下へと追い込まれた人類が送り出した、決死隊の一人である。あの局面での苦しい選択は、誰にもSKYの優しいサブリーダーを喪失せしめた。そう思っていたのだが、目の前には本物のダイゴが生きているのだった。
 だが、様子が変だ。
 その目に意思の光はなく、濁った殺意が渦巻いている。
 普段のダイゴからは考えられないような殺気だった。

「ダイゴさん、ぼくだよ! 13班のトゥリフィリだよ!」
「トゥ、リ……フィ、リ……フィー、ウゥ、ウ」
「そうだよ、フィーだよ。ね、帰ろう? みんなも、ネコさんも心配してるよ」
「ネコ……マモ、ル……ネコォ! ウオオオオオオッ!」

 ダイゴの全身がパンプアップして、いつにもまして大きく見える。
 それは、闇すらぼんやりと照らす彼の闘志だ。日頃から巨体は熊のようだと言われていたが、目の前にいるのは熊のマモノも裸足で逃げ出す修羅だ。
 そして、突然背後からトゥリフィリは手を引かれた。
 その瞬間にはもう、彼女の立っていた場所が爆発するように弾け飛ぶ。

「ナ、ナガミツちゃん?」
「下がってろ、フィー! こいつぁ、いつものダイゴじゃねえ!」
「そういうことだネェ。んじゃま、少年……ほい、ほい、ほいっと。も一つ、ほい!」

 既にカジカは無数の光学キーボードを広げていた。
 ぽちぽちとゆっくり、人差し指でキーをタッチしてゆく。緊迫感に欠ける呑気(のんき)な所作だが、それは既に先程から準備は万端だったという意味である。
 そして、前に出るナガミツの全身に光が走った。
 ハッカーのスキルによる、一次的な身体能力の強化だ。

「目ぇ覚ませ、ダイゴッ! 手前(てめ)ぇの拳は、そういう使い方じゃねえだろ!」

 風切る速さでハンマーのようなパンチがナガミツを襲った。
 だが、それを見切って最小限の動きで避けつつ、ナガミツもまた蹴りを放つ。(むち)のようにしなるハイキックが、ダイゴの顔面を捉えた。
 だが、押し出す拳の風圧が止まらない。
 ダメージを浴びながらも、強引にダイゴは正拳突きを押し通した。
 体格差もあって、体勢を崩されるナガミツ。
 そこに容赦なく、打ち下ろしのパワーフックが落ちてくる。

「クソッ、普段より速ぇえ!」
「も少しバフ、いっとく? けどねえ、少年。よく見て、しっかりねえ。速いだろうけど」
「速い、だけかっ! そりゃ、そうだよなあ!」

 トゥリフィリも援護をと思ったが、躊躇(ちゅうちょ)し下がるしかない。
 仲間に銃は向けられないし、今日は威力に主眼を置いて選んだ弾薬しか持ってきていないのだ。弱装弾とかゴム弾があればと思うが、ないものはないのだ。
 しかし、ナガミツがその分前に出て戦ってくれた。
 彼の拳と蹴りは変幻自在、既に機械を超越した匙加減を体得している。
 大昔の洗濯機にファジー機能があるが如く、手加減が可能なのだった。

「起きるまで付き合ってやる……あんた、守ったぜ? 守り切ったんだ。だからっ!」

 さながら嵐のような乱撃に()(すさ)ぶダイゴ。その真正面にナガミツは自ら突っ込んでゆく。零距離(ゼロきょり)の乱打戦で、わざわざダイゴの拳を浴びながらナガミツは蹴りを放った。
 まるで踊っているようで、肉体言語による対話とも思えた。
 そして、トゥリフィリにも次第にはっきりとわかってくる。
 今のダイゴは暴走したダンプカー、あらゆる全てを粉砕する乱気流のようなものである。だが、そこに本来の知性はなく、鍛え抜かれた技もなかった。
 だから、ナガミツは足を止めての打ち合いでも負けてはいないのだった。

「っし、こいつで……目ぇ覚ませえ!」

 乱れ飛ぶ拳を全て避けつつ、ナガミツが高いジャンプで宙に舞う。
 見上げるダイゴの脳天に、垂直落下の高高度踵落とし(ハイアングル・ネリチャギ)が炸裂した。
 同時に、怒りを孕んだ凍れるプレッシャーが霧散してゆく。発散された、という言葉が近いかもしれない。ダイゴは大の字に倒れて、そして上体を起こす。
 そこには、普段と変わらないSKYの頼れるサブリーダーの笑顔があるのだった。

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