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 旅立ちの朝はいつだって、トゥリフィリを不安にさせる。
 まばゆい朝日の光も、胸中の闇を完全には払ってくれない。

「ふう、さて……準備もできたし、行こっかな」

 今日もまた、帝竜(ていりゅう)が潜む迷宮への挑戦が始まる。
 13班のリーダーとして、いつだってトゥリフィリはベストを尽くしてきた。当然のように仲間たちも、その信頼に応えてくれる。幸いなことに、あの国会議事堂での惨劇以来、ムラクモ機関は大きな犠牲もなく人類の生存地域を取り戻してきた。
 それでも不安なのだ。
 トゥリフィリの判断ミス一つで、全てが瓦解(がかい)し無に(かえ)る。
 一人の少女が背負うには、東京も日本も、全人類も重過ぎた。

「今日で七つ目の迷宮(ダンジョン)……その次は、きっと」

 ふと、意気込む中でテーブルに目を止める。
 そこには、小さなメモ書きと共にお弁当箱が置かれていた。
 誰かの差し入れだと思って、そっとメモを手に取る。

「あっ、ムツとナナからだ……ふふ、気を使わせちゃったね」

 ナビゲーターの二人からの、心温まる差し入れだった。
 そういえば最近、イズミやキリノからもおやつ等が時々贈られてくる。
 みんなの期待の現れであると同時に、優しい気遣いだ。
 トゥリフィリはその都度、肩が軽くなる想いだ。
 背負ったものは重くとも、一人に課せられた重荷ではない。
 皆で背負って分かち合うものだ。

「おっ、フィー。起きたか、おはよう」
「カカカッ! おはようだな、班長!」

 ドアを開けるとすぐ、ナガミツとキジトラの姿があった。
 今日はこの三人で、首都高速道路に救う帝竜を駆逐する。そこが最後の魔宮で、真竜フォーマルハウトが準備した最後の困難だった。
 ここまで来て、失敗は許されない。
 多少の気負いはあるものの、心強い仲間の存在に心が晴れやかになる。
 皆でベストを尽くす、それだけだ。

「よし、行こうっ! ナガミツちゃん、キジトラ先輩も」
「おうっ」
「外でカグラが車を用意してくれてるらしいぞ? ちらりと見たが、うむ、あれは」

 腕組み唸って、キジトラがニヤリと笑った。
 そのまま三人、エレベーターを使って一階のロビーに降りる。その間もずっと、普段通りのバカ話がトゥリフィリの頭上を行き来する。
 時々彼女も言葉を交えれば、妙にゆるい雰囲気で緊張が消えてゆく。
 エレベーターを降りれば、そこにはいつもの光景が広がっていた。
 ボランティアや自衛隊の人たちが忙しく働き、避難民たちも規律と統制を守って互いに暮らしている。そして勿論(もちろん)、13班の仲間たちは今日も元気だ。

「フィー! おはようございますっ。これを持っていってください」
「アダヒメちゃん。わわっ、薬をこんなに? いいの?」
「各種必要なものは揃ってます。どうか、気を付けて」
「うん、ありがとっ。留守はみんなに任せるね」

 アダヒメの話では、先んじてノリトとシイナ、そしてリコリスの三人が首都高に出発したという。フロワロを蹴散らし、雑魚や壁となる竜の駆除が目的である。
 ここまで戦って、勝ち抜いて、ようやく見え始めた希望……竜殺剣(りゅうさつけん)
 そのための最後の竜検体(りゅうけんたい)を求めての戦いが、今まさに始まろうとしていた。
 更に進めば、玄関の外ではカグラが紫煙(しえん)(くゆ)らしていた。トゥリフィリたちに気付くと、携帯灰皿へと煙草(たばこ)を葬り身を正す。

「よ、トゥリフィリちゃん。よく眠れたかい?」
「おはようございます、カグラさん」
「今日は俺が運転手だ、大船に乗ったつもりでいてくれ」
「ありがとうございます、そうしてみます」

 そして、カグラの背後では暖気中の車両が微動に震えている。
 抜けるような青空よりも尚も(あお)い、ソニックブルーに塗られた地上の戦闘機。あらゆる荒野を走破するために生まれた、スペシャルな一台である。
 トゥリフィリのようにスポーツカーに詳しくない人間でも、名前だけは知っている。
 その正確な名称を呟き、キジトラがクククと全身を震わせた。

「インプレッサ22B-STi Version! 現存してる実物があるとはな!」
「お、流石(さすが)に詳しいねえ、キジトラ」
「カグラ、こいつぁ……」
「ツマグロさんたち回収班が、ほぼ無傷で持ち帰ってくれた。……本来の持ち主は、もう、な。けどよ、こいつはまだ走れる。動けるんだわ」

 へらりと笑うカグラの横に歩み出て、ナガミツも息を飲む。
 だが、彼は人型戦闘機(ひとがたせんとうき)らしく人間とは違った感性に驚いていた。

「こいつ、すげえ音だ……なんだ? それにこのリアスポ……うーむ、これがシイナの言ってた『下品だからこそいいエロス』なのか」

 あのやろーめ、と一瞬トゥリフィリは苦笑に肩を(すく)めた。
 キジトラの話では、世界に数百台しか存在しない幻のインプレッサだという。既に20年も前のモデルだが、整備状態は良好のようだ。本来の水平対向四気筒エンジンを200ccボア・アップし、2.2リッターのツインターボ仕様に仕上げたオンリーワンなのである。
 独特のボクサーサウンドが腹に響けば、流石の迫力に気圧されるくらいだ。

「さ、乗った乗った! ……地獄への片道切符、とはいかねえよな?」
「勿論です、カグラさん。あ、ちょ、ちょっとナガミツちゃん! キジトラ先輩も!」
「クーペだからな、後が狭い。しかし見ろ、ナガミツよ! この内装、最高ではないか。無駄なく軽量化されてるが、シートは本革仕様ときている」
「もっと奥に詰めろよ、キジトラ。……へへ、いい音してるぜ」

 これだから男の子は、というやつだ。
 補助席を元の位置に戻して、トゥリフィリもバケットシートに収まりシートベルトを締める。ふと見れば、車内のバックミラーにお守りが複数ぶら下がっていた。
 交通安全のがいくつかと、あと、安産祈願のものだ。

「……こいつの本当の持ち主は、どういう奴だったんだろうな」
「カグラさん、これって」
「そこいらへんはいじってねえのよ。……ま、生きててくれりゃいいが、酷い有様だったみたいだからよ」
「……うん。じゃあ、行こう。この子も、もっと走りたがってる」

 頷くカグラがアクセルを踏む。
 ゆっくりと、しかし力強くインプレッサは走り始めた。
 同時に、ワンテンポ遅れてターボのパワーがアスファルトを蹴り上げる。
 なめらかなカグラのシフトアップで、あっという間に国会議事堂が遠ざかった。
 心なしか、軽快なリズムで車体が喜んでいるようにすら感じる。
 しかし、背後では男の子同士の実にくだらない話が盛り上がっていた。

「へえ、ボクサーエンジン……ああ、そうか。ポルシェとかのあれか」
「うむ! 2.2リッターながら、ツインターボで280馬力を叩き出す名機なのだ!」
「キジトラ、詳しいな。ひょっとして、お前も以前は」
「……うむ、乗っていた」
「そ、そうか。じゃあ、やっぱり」
「グランツーリスモでクソデカシングルタービンに換装して800馬力、しかし最後まで完璧には乗りこなせなんだ。ククク、とんだ暴れ馬よ!」
「わり、聞いた俺が馬鹿だった」

 そんなこんなのいつもの流れで、カグラがラジオのスイッチを入れる。すぐにアヤメの声が軽快なジングルに乗って流れ出した。
 とりあえずトゥリフィリも、普段通りチョコバーを片手に流れる車窓の外を眺めて過ごすのだった。

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