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 ユイは夢を見ていた。
 もう随分と昔のような、つい昨日のことのような、それは明晰夢(めいせきむ)。ユイはお屋敷にいたころの自分を俯瞰(ふかん)して、手を繋いで歩く湯津瀬(ゆつせ)の叔母のような女性を見詰める。

『かあさまが帰ってきたんですね! 早くお会いして、強くなったわたしを見てほしいのです! むいっ!』

 その人は……アダヒメは、なにも言わずにただ微笑む。
 いつにもまして(はかな)げで、どこかかげりと哀愁がただよう、そんな笑みだった。
 そのアダヒメが、多くのメイドが頭を下げる中、奥の障子を開け放った。登り始めた太陽の光に、一人の女性が縁側に腰掛けていた。
 ユイの母、キリコ……かつてトギという名の少女だった人だ。
 そのキリコが億劫そうにこちらを振り返る。

『キリ様、こたびの行幸まことにお疲れ様でした。……また、こんな時間からお酒を』
『うるさいわね、アダ! 私の勝手でしょ! それに、その子を私の前に連れてこないで!』

 子供のころから薄々気付いていた。
 ユイは母親に嫌われている。疎まれているのだ。それというのも、自分がまだまだ弱くて、正式にキリコの名を継げていないからだと思った。
 だからこそ、毎日鍛錬に励んだし、力と技とが研ぎ澄まされてゆく実感はあった。
 だが、それはどうやら普通の巫女の家系の中では、酷く遅くて鈍いらしい。
 子を産み力を失っても、母親がキリコをやってるのもそういう訳だった。

『あ、あの、かあさま』
『……今回もあちこちで言われたわ。大器晩成、いずれ必ず偉大な巫女にって……でもね、ユイ! 私は、知ってるの。あなたは――』

 ――羽々斬(はばきり)の巫女。
 今という時代のエデンでは、斬竜刀(ざんりゅうとう)としての羽々斬ではなく、祭事を執り行う古き血の巫女が民から求められていた。
 竜などいない、存在しない。
 かつて襲来したが、それも大昔の御伽噺(おとぎばなし)だと誰もが思ったのだ。
 ユイの母はあちこちの国に出向き、祝詞(のりと)を捧げて神楽(かぐら)を舞った。
 ごくまれに、ただ一人のサムライとなってしまった身を引きずりマモノの駆除などもした。ユイが弱いから、彼女はまだキリコをやらされているのだとあとから知った。

『……キリ様、くれぐれも御身を粗末になさりませぬよう。さ、ユイ。キリ様はお疲れの様子、あちらでアダと書でも』
『待って! ……アダ、あなたは側にいて……私の、隣にいて』

 弱い自分が悔しかった。
 母が恋しくて、でも認めてもらえない弱さが辛かった。
 でも、ユイはそのことを誰にも話したことはなかった。
 アダヒメにさえ、寂しさを打ち明けたことがない。
 こんな時はいつも、ユイは笑顔で自分を覆うようになっていた。

『アダおばさま! わたしはもっと剣を練習、特訓しまする! どうか、かあさまと一緒にいてください。むいっ!』

 ああ、そうだった。
 昔みたいに、幼い頃のように母に甘えたかった。
 最初は母は、キリコを終えてトギに戻るはずの人は優しかった。
 だが、キリコに本来の力、凶祓(まがばらい)の血がほとんどないと知るや……徐々に苛立ちを持って接し、ユイを遠ざけるようになったのだった。

「むいー、それでもわたしは。かあさま、わたしは……はっ!? あれ? こ、ここは」

 目が覚めたら、見知らぬ部屋でベッドに寝かされていた。
 記憶が混濁する中で、竜の襲来を思い出す。身を起こして肌を調べるが、こういうところだけは血の力が濃いのか、致命傷の傷跡はほとんど残っていなかった。
 そして、すぐ側の枕元に温かな微笑みが見守ってくれていた。

「おはようございます、ユイ様。ようやくお目覚めになられましたね」

 和服姿のその人は間違いない、普段からユイがおばさまと呼んで懐いていた湯津瀬の姫君……アダヒメである。先程夢に出てきた姿とかわらぬ美貌のルシェがそこにはいた。
 そのアダヒメが、そっと一振りの太刀を手に身を寄せてくる。
 朱色の鞘に装飾が絢爛と輝く、稀代の名刀だとユイは知っていた。

「こ、これ、かあさまの……おばさま、アダおばさま! かあさまは」

 静かにアダヒメは、首を横に振った。
 渡された太刀を手に、ユイは愕然(がくぜん)と絶望の言葉を受け入れるしかない。

「キリ様は……あの子は、トギは……戦って、死にました」
「ど、どうして! あ……竜が、襲って、きて。でも! かあさまにはもう巫女の力は!」
「羽々宮の女として、宿命からは逃れられなかったのです。竜の実在、そして脅威が襲う中で……各国は思い出したように羽々斬の巫女に頼りましたわ」

 その力の源は、穢れなき純血……神代の太古より受け継がれし、血脈。
 だが、それを次代の巫女たるユイに受け渡したあとの母はただの人だった。せいぜい、達人クラスのサムライでしかない。ハントマンにはゴマンといるレベルの、普通の人間だったのである。

「あの子は、力を失った身に鞭打って、戦って、戦って、戦い続けて」
「そんな……」

 気付けばユイは、ボロボロと大粒の涙をこぼしていた。母の太刀を握る手に、一つ、また一つと雫が落ちてゆく。
 いつか一人前の巫女になり、母に認めてほしかった。
 いつも疲れて帰ってくる母の笑顔が見たかった。
 そして、そんな未來は永遠に奪われ終えていたのだった。
 泣きじゃくるユイを抱きしめ、そっとアダヒメがささやく。

「さ、ユイ様。選択の時です」
「選、択?」
「このままキリコの名を襲名して羽々斬の巫女になるか……ただのハントマンとして穏やかな人生を選ぶか」

 今、エデンのそこかしこに竜とマモノが溢れかえっているという。
 ただのハントマンとして暮らすなら、そこそこの腕もあるユイなら生活には困らないだろう。そういう生き方を選んでも、アダヒメは決して咎めないと思った。
 だが、母の太刀が、その重みが自然とユイに教えてくれる。
 (いばら)の道、修羅の道とわかっていても……ユイが進む先が自然とわかるのだ。

「アダおばさま……わたし、なります。羽々斬の巫女に……キリコになりますっ!」

 決意を叫んだら、もう涙が止まらなくなった。
 そのままユイは幼子のように泣きじゃくり……アダヒメに強く強く抱き寄せられる。

「ユイ様……いいえ、キリ様。このアダが終生お側に。決して一人になどさせませんわ」

 この日、実に三年ぶりに数人のハントマンが昏睡状態から覚醒した。
 そして、この小さな目覚めが……後の歴史の転換点になる。
 キリコの名を正式に襲名したユイはもちろん、マメシバやレオパ、スズランにニーナ、ノリトといった者たちが再びエデンの大地へ帰還を果たすのだった。
 これが、再びこの星に満ちて歌われる偉大な叙事詩、狩る者たちの復活なのだった。

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