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 その屋敷は、アイゼン皇国の郊外にひっそりと建っていた。
 御殿(ごてん)、大豪邸といった荘厳な雰囲気だが、静まり返って不気味でもある。
 スズランは、これが噂の羽々宮(はばみや)の本拠地化と思うと身が硬くなる。
 だが、先をゆくキリコは満面の笑みだった。

「むいっ! ただいまです! みんなも入って休むのです!」
「す、すごいおうちだね、キリちゃん」
「今は使用人もいなくて、がらんどうなのです」

 ちょっとだけ寂しそうな顔を見せたが、すぐまたキリコはスズランに笑顔を見せる。そうして一同は、重々しい門をくぐって巨大な和風建築へと進んだ。
 庭は手入れされておらず荒れ放題で、室内に灯る明かりも一つもない。
 かつては活況に満ちていたであろう屋敷は、無言の静寂で主たちを迎えた。

「っと、マメシバ。こういう屋敷じゃ玄関で靴を脱ぐんだよ」
「えっ、そうなの!? ナガミツは来たことあるのかな」
「いやまあ、遠い昔にちょっとな」

 キリコやアダヒメは普通に脱いで上がるので、スズランたちもそれに倣った。
 時はすでに夕刻、真っ赤な斜陽に染まって長い廊下がどこまでも続いている。木造建築で、部屋は紙の扉で仕切られている。こんな古風な建築物なんて、小さい頃の絵本でしかみたことない。
 改めて、キリコがお嬢様でお姫様なのだと思った。
 だが、彼女は仲間たちに屈託(くったく)のない笑顔を向けてくる。

「好きな部屋を使ってほしいのです。アダおばさま、夕餉(ゆうげ)をお願いしても?」
「ええ。そうね、スズラン? ナガミツもちょっと手伝って頂戴」

 ぴゅーっと走ってキリコは奥の方へ行ってしまった。
 呆気(あっけ)に取られていると、すぐにアダヒメが部屋へ案内してくれた。どの部屋も広いが、たった数名で使うにはどこも妙に落ち着かない。長らく人の気配がなかった、その沈黙がそこかしこに沈殿しているようで、酷く陰気である。
 だが、荷物を整理してすぐにアダヒメとナガミツは働き出した。

「んじゃ、ま……なにか食えるものをこさえるか。レオパとノリトもすぐに戻ってくるだろうしな」
「スズランもよくて? あと、ニーナはマメシバと大浴場を掃除してきてくださいな」
「だ、大浴場! ま、まあ、家がこのサイズだからなあ」
「合点おけまるー。んじゃ、さっさとやっちゃお? マメシバ」

 鎧を脱いだ二人が、バタバタと奥の方に行ってしまった。ややあって、浴場特有の反響する声が仰天を叫んでる。マメシバがあまりの大風呂に驚いたのだろう。
 野宿でないのはありがたいが、普段との格差があまりにも激しい。
 それでいて、野の鳥や虫が鳴くようなこともなく、静かすぎる家に夜の(とばり)が忍び寄る。

「こっちよ、スズラン。面倒だから使用人用の台所で済ませちゃいましょう?」
「は、はあ。って、こんな広いキッチンが?」
「何百人もの使用人が住んでたんですもの。こっちは狭い方の台所よ」

 すぐにナガミツがぐるりと見渡し、かまどや水道は使えるようだと教えてくれる。もっとも、何年も放置されていたのでまずは軽く掃除からである。
 得意とは言わないが、スズランはこの手の作業は苦とも思わぬ性格であった。

「アダヒメさん、まずは大掃除ですね。えっと、こちらをお借りしても?」
「ええ、お願いねスズラン。わたしは少し蔵の方を見てくるわ。保存食が残ってるかもしれないし」

 (もち)は餅屋、屋敷に詳しいアダヒメに探索は任せて、スズランは「よし!」と気合を入れる。もともと整理整頓され常に清潔を保ってきた場所なので、そう大がかりなことにはならなそうである。
 ここにもかつて、活気あふれる人々の営みがあったはずである。
 それが今は、ナガミツと二人きり。
 そのナガミツは、黙って手を動かし始めた。
 妙に手慣れてるので、謎のローグが今は普通の青年に見えてしまう。傷だらけの男は、スズランの視線に気付きつつも、せっせと雑巾を絞って広げた。

「俺の顔になにかついてるか? スズラン。はは、なにか書いてあったりしてな」

 こういう時のナガミツが、妙にほがらかなのに枯れてみえる。どこか寂しげな異物感というか、スズランの胸の奥がキュンと引っ張られるように感じるのだ。
 ナガミツを見てたなんて言えなくて、慌ててスズランも拭き掃除に加わり話題を探す。

「キ、キリちゃんはどこに行ったのかな?」
「ああ……母親の部屋だろうな、多分」
「お母さまの」
「アダヒメの話じゃ、飲んだくれのぐーたら巫女……もとい、元巫女だったらしいがな」
「でも、巫女様は小さい頃にわたしの村にも祭で……よく覚えてないけど、とてもキラキラしてたわ」
「他にやることがねえからな。だがどうだ? この竜災害の数年ですっかり変わっちまった」

 最近ようやく戦闘にも慣れてきたスズランにとって、キリコはとても強い女の子だ。その太刀筋は清水のように、そして濁流のようにマモノを薙ぎ払ってゆく。ボロボロに刃こぼれした刃が、半ば強引な切れ味をいつも冴えわたらせていた。
 そんなキリコも14歳、まだまだ母が恋しい年ごろなのかもしれない。
 眠っていた数年で、世界は激変してしまった。
 彼女の母親は再び羽々斬(はばきり)の巫女として、今度は本懐を果たせと求められたのである。
 その超常の力を失って久しいだろうに、戦って、戦い続けて、戦い抜けて――

「おーい、スズラン。手が止まってんぞ」
「は、はいっ! すみません、つい」
「まあでも、人間ってすげえわな。このエデンの時代まで血を残して……確かにあのキリは、俺の知ってるキリにそっくりだ。剣の腕こそまだまだだが、キリなんだよなあ」

 その後、とりとめもないことを話しながら台所をピカピカに掃除した。
 その頃には丁度、大荷物を抱えてアダヒメが戻ってくる。風呂掃除が終わったのか、マメシバとニーナも戻ってきた。

「凄い……口からお湯を出す金のライオン、初めて見た」
「あれ、誰の趣味なんだろね? アタシはちょっとなあ」
「……代々の御当主の誰か、ね。さて、お餅や梅干し、干物なんかがあったわ。質素で申し訳ないけど、夕食の支度をしましょ」

 どうやら外出してたレオパとノリトも帰ってきたようで、アダヒメに言われて慌てて玄関に靴を脱ぎに戻ってゆく。屋敷が広すぎて、空虚な陰影が暗く夜に沈んでゆく中……明かりをともして、スズランはすぐに料理の準備に取り掛かった。
 旅でどこへ向かおうとも、日が沈めば夜がくる。
 今日という日の無事を感謝し、精いっぱい腕を振るうつもりだった。

「おい、アダヒメ。調味料はもう少しないのか? 料理のサシスセソくらいお前でも知ってるだろ」
「まあ、ナガミツ。わたしだって料理くらいは……ああ、向こうの台所になら多分」
「ちょっとわたし、行って取ってきますね。ついでにキリちゃんも呼んできます」

 ちょうどアダヒメは火をおこしにかかったところだし、他のメンバーも手分けして使える食器を一度洗っている。ナガミツに「頼んだ、迷子になるなよ」と微笑まれて、スズランはついつい頬が火照(ほて)る。
 それでも外へ出て、ちょっとした幽霊屋敷の大冒険気分。
 庭は荒れ放題だが、星空が訪れれば季節の虫たちが合唱を始めていた。

「大きい方の台所……って、あの別館が全部台所なんだ。凄い……ん? あ、キリちゃん」

 目的の場所を前に、戸の開いた部屋を見付けたスズラン。彼女は見た……縁側の隅で膝を抱えて泣いているキリコを。どうにも声がかけられなくて、スズランは呆然としばし立ち尽くし、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にするのだった。

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