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 染み入るような甘さのカクテルは、胸中の苦々しさを洗うことなく胃袋へ吸い込まれてゆく。
 シヨは今、一人でサヴィルロウにある小さなバーを訪れていた。物静かな若いバーテンダーが、精緻な無表情でジェラルミン色の髪を僅かに揺らしながらグラスを磨いている。
 飲酒も初めてなら、こんな雰囲気のバーに来るのも初めてで。紳士淑女が歓談を交わす中、逃げるようにシヨはカウンターにかじり付いた。チェックのプリーツスカートにブレザー、そしてお気に入りのネクタイはマーズブルー。シヨがクローゼットから、悩んだ挙句に引っ張り出した一張羅は、とどのつまりその程度の……バーテンダーが未成年の女学生と間違える程度のものだった。
 それでもシヨが身分証明も兼ねて、もそもそとモバイルから上司のくれた優待券を表示させると。何も言わずにバーテンダーは最初の一杯を出してくれた。その次の杯も、次の次も。

「たまには、息抜き。息抜き……でも、一人は、つまんない。それに――」

 事実上、MARZウィスタリア分署は海賊騒ぎで壊滅状態。目下、第一小隊のテムジン411号機だけで街の治安維持を行っていた。そして驚く事に、大きな事件が無いとはいえ……エリオンの駆る411号機だけで、ここ最近は何事もなく街の平和は守られていた。
 その立役者であるウィスタリアのエース様は勿論、その機体を指揮車(急遽整備班が用意したが、驚いたことにベース車両はリタリー特査の私物……何と今時ガソリンエンジンの1.6リッター)で追い掛け回すリーインも忙しく。整備班の皆は三機の半壊したテムジンに付きっきり、息抜きを進めたリタリー本人は、部下の相談に乗って愚痴を聞くまでの時間は持てないようだった。署長がカンカンだから。
 何より、相方のルインはシヨが声を掛けるまでもなく――雑務を完璧に片付けるや、帰ってしまった。

「それに、ここじゃ……この子を見てちゃ、息抜きにならないもん」

 機械的に働くバーテンダーの背後には、地球圏のあらゆる国から集められたボトルが並び……その奥のガラス越しに、清水を純氷で飾ったような彩色のマイザーが一機。駐機場に面したカウンターで、シヨは今日は浮かれた気分にはなれない。目の前の機体が、現物は初めて見るマイザー・ガンマでも。
 どうしてもリアルカラーに髑髏マークのマイザーを、何よりモノクロームの死神を思い出してしまう。

「――あちらの方からです、お客様。不躾な話で恐縮ですが、余り飲みすぎませんように」

 不意にバーテンダーが、そうあるべきと思えてならない機械的な声でシヨにグラスを差し出した。彼の手が示す『あちら』を向けば、中性的な笑顔が立ち上がった。にこやかにその人物は、空いたシヨの隣に腰掛ける。

「あの機体は私の新しい愛機さ。上は嫌がったけど……私は仕事の道具にはこだわる性質でね」
「あ、マビーナさん……こんばんは。あの子、フレッシュ・リフォー監修の限定仕様カラーですよね」
「御名答。酷いんだ、上はF型のモックアップみたいなのを押し付けて、私に試験運用しろって」

 ――私は、あの女性とは次元が全く違うというのに。
 そう苦笑して、マビーナ=トルケはバーテンダーに「彼女と同じものを」と注文を投じる。何の話をしているのか、シヨには半ばチンプンカンプンだったが。要するに目の前のウォーライターは、上層部の無理難題を蹴って、自分の扱いやすい相棒を得たという話なのだろう。
 確かに強行偵察型として情報収集能力の高いマイザー・ガンマは、マビーナの仕事に即したバーチャロイドだとシヨには思えた。

「そうそう、私の本は読んで貰えたかな? できれば感想が聞きたいね、お嬢ちゃん」
「あっ! ああ、あのレヴァナントマーチの……す、済みません、忙しくてつい」
「近々映画化するから、急いで読む必要もないけど。まあ、キャスティングで今、ちょっとね」
「はあ……それより、その『あの女性』ってのは」

 手の中のグラスで氷を鳴かせ、マビーナが金髪を僅かに揺らした。含んだ笑みを湛えて、その話をしたそうな素振りを見せながら……近付く気配に口を噤んで別の言葉を選び出す。

「そうだね。この火星戦線で去年、最も撃墜数を稼いだ……マルスに祝福された女神のような人さ」
「あっ、解りました。リーネさんですね、多分。ううん、きっとそう、だって、リーネさんは――」
「あたしがどうかしたかい? 机仕事から解放されて憂さ晴らしに繰り出せばこれだよ、っとに」

 不意に響いた声は、バチリと炎が弾ける様に耳朶を打つ。
 振り向くシヨは、グルグルと不機嫌そうにハンドバッグを回すリーネ=リーネを見た。正しく紅蓮の炎の様に、今日は真っ赤なチャイナドレスを身に纏っている。それは大きく露出した白い肌を、苛烈なまでに鮮やかに強調していた。
 リーネはマビーナ同様、断りもせずシヨの隣に腰を下ろす。つい先日敵対した二人に挟まれ、意味もなくシヨは緊張に胸を高鳴らせた。心なしか動悸が早く感じるのは、酒気を帯びたせいもあるかもしれない。
 リーネはバーテンダーの声を待たずに、ビールを大ジョッキで持ってくるよう言い放った。

「では、数奇な再会とリーネ中尉の戦勲を祝って……乾杯といきましょうか」

 特大のジョッキを受け取るリーネの、訝しげな視線がシヨの眼前を通過した。それは露骨な敵意を持ってマビーナに注がれる。しかしマビーナは、平然とその矢を抱きしめるように受け止めた。

「東部戦線での戦果が認められた結果ですね、リーネ中尉。おめでとうございます」
「嫌味な奴だねぇ、まったく。物書きには全部筒抜けなんだろ? ……返しては貰ったさ」

 意味も解らずシヨは、左右を交互に見やって首を傾げる。しかし左右からグラスとジョッキが交差するように伸びてくると、自分もグラスをそこに交えた。短くガラスの触れる音を三者は三様に共有する。

「まあ、かいつまんで説明するとね。お嬢ちゃん、あの隅の機体が見えるかい?」

 自然な仕草で、マビーナがシヨに身を寄せた。長くしなやかな手が伸びて、華奢なシヨの肩を抱く。そうして急接近したことにさして動揺もせず、シヨはマビーナの指差す方へ目を細めた。
 駐機場の端に、深紅の……そう、凄絶なまでに紅い一機のライデンが片膝を付いていた。

「あたしゃエースだからね、パーソナルカラーってもんがあるんだよ。それをあんなベタベタと」

 そう言う声には、不満と自慢が同居していた。しかし前者が強いらしく、リーネは豊穣なる麦酒を豪快にあおるや、シヨの肩に乗るマビーナの手をつねり上げた。慌ててマビーナが苦笑しつつ離れる。
 その間ずっと、シヨの視線はライデンに釘付けだった。

「あの子、前の子と違う……なんだろ、色もだけど。もっと、こう、懐いてる感じがします」
「お嬢ちゃん、あれがレヴァナントマーチと呼ばれる悪夢の撤退戦で、38機の――」
「42機。マスター、ビール!」
「兎に角、大量のテムジンを屠った機体です。今まで、アダックス本社の社屋に飾られてたんですが」

 見た目は、ただの赤いライデン……フラットランチャーを携えたE1型に見える。しかし、シヨは確かな存在感に意識を引っ張られた。指揮官用に頭部をカスタマイズされたそのライデンは、火星戦線東部戦域戦功表彰機「砂の勲」に塗られている。まるで、血の赤。

「今まで借りてた機体も良かったけどねぇ……市販機、随分いいじゃないか」
「貴女が実戦データをあの機体で取ったからですよ、リーネ中尉。ライデンは第三世代型も素晴しい」
「結局取り上げられちまったけどね、あたしは。でも、取り戻した。色はまあ、中間管理職の性かね」
「エースにはエースの、有名税というものを払う義務がありますからね。戦功の表彰は本音でしょうし」

 昨年、アダックスの大攻勢で演じられた大規模な限定戦争……この星にレヴァナントマーチの伝説を刻んだ、撤退戦であり追撃戦。そこで実際、リーネが駆った先行量産型のライデンが今、シヨの遠くで佇んでいた。それは距離があるのに、目の前のマイザー・ガンマよりも強くシヨを圧してくる。
 アダックスはフレッシュ・リフォーが撤退を完遂するや、自分達の追撃戦の巧みさをアピールする必要に迫られた。それ程までに、レヴァナントマーチは鮮やかすぎる遅滞戦闘だったのだ。
 ――多くのテムジンが、一人の女神と一人の英雄に救われた。
 結果的にアダックスのプロパガンダとして、リーネ=リーネ中尉のライデンが持ち上げられ、本社にその機体は飾られた。英雄となったリーネが、雑務と激戦に忙殺される中……ライデン伝説がでっちあげられたのだ。
 無論、戦果は真実であるが。

「エースと言えば……お嬢ちゃん、MARZウィスタリア分署のエース君も凄いね」

 それに可愛いと付け足して、マビーナは杯を傾ける。連日WVCのニュースは、単機で鮮やかに事件を解決する一機のテムジンを報じていた。

「いま、ちょっと、うちは、みんな怪我してて。エリオン君の子だけなんです、動けるの」
「見たよ、ニュース……海賊風情に随分とまぁ、こっ酷くやられたねえ」

 さして同情した様子も見せず、その痩身の何処へと納まるのか……どんどんビールがリーネの中へと注がれてゆく。満足そうに喉を鳴らして口元の泡を拭うと、彼女はシヨに向き直ってカウンターに頬杖を突いた。
 怜悧な笑みにドギマギと俯きながら、シヨは上司の言葉を思い出す。息抜き――つまりは大いに酒を飲んで、騒いで歌って踊って、相手がいるなら愚痴って。気分を一新して、機体が修理を終える頃には精神的に強く成長して欲しいのだろう。
 さといと思いつつも、シヨはそう解釈した。我ながら、そんなとこだけ妙にさとい。

「わたしは、強く、なりたい、です……エリオン君みたいに、強く……」
「あの坊やですね……うーん、でもお嬢ちゃん、人には才能というものがあってですね」
「物書きは理屈ばかり先走って嫌だね。あたしは努力に勝る才能なんて、ないと思うけど?」

 体内に初めて招きいれた酒精は、甘くとろけて眠りへとシヨを誘う。だから彼女は、自分の頭上を飛び交うマビーナとリーネの言葉を拾い尽す事ができなかった。
 ただ、朦朧とした意識が零しつつ掻き集めたのは……マビーナの『人には定められた才能がある』という主張。無論、マビーナ自身がパイロットとして、何よりウォーライターとして才能がある事。同時にリーネが『才能は目安に過ぎず、結局は努力がモノをいう』という声もどこか遠く。リーネがテムジン殺しのエースパイロットの座を、いかにして築き上げたかという話が飛び去る。
 シヨは結局、ふらふらと二人の友人――意外なことだが、二人ともシヨが挨拶をすると好意を返してくれた――に別れを告げ、官舎としてあてがわれたアパートに戻るべくバス亭目指してサヴィルロウを出た。
 マビーナとリーネがその後も語らい、対立したまま臥所を共にするとも知らずに。

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