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「今、動いた?よな?な?早く出て来ないかなぁ…きっと男の子だぜ?」

 大きなお腹に耳を当て、命を聞く。その鼓膜を震わす僅かな振動を、両手で包むイメージで拾い上げる。フリック=セプターは今、幸福の絶頂を満喫していた。今この瞬間だけ…何故なら、憂慮すべき極めて深刻な事態を、この時だけは忘れられるから。優しく髪を撫でられながら、束の間の安堵感に身を委ねる。

「…早く出せ、って言ってるみたいだ。フリック、この子も会いたがってる」

 この所毎晩、夫は夜遅くまで起きている。ハンター上がりの自分には解らぬ、何やら難しい書物を相手に。それだけがここ最近、クリオの心配の種だった。少し疲れた顔も今は、子供の様に輝いているが。時々は頼もしく思うものの、基本的に夫はクリオにとって大きな子供…自然と温かな笑みが零れる。

「コイツの為にも、ちょーっち気張らないとな。オマエの為にも、さ」
「…フリック、何を一人で抱えている?私は心配…」
「フリックさん、手紙!速達で」

 バーン!と勢い良く、吹き飛びそうな勢いで扉が開いた。飛び込んで来た銀髪の少女は、膝に手を付き呼吸を整える。呆気に取られながらも、気恥ずかしそうにモジモジと離れるフリックとクリオ。二人を別段気に留める様子も見せずに、トリムは封書を差し出した。

「……………………だからノック位しろっつーの」
「ん?あ、ゴメン。でもほら、今日で最後だから」

 引っ手繰るようにトリムの手から封筒を受け取り、書斎へと歩くフリック。書物が散乱する机の上から、ペーパーナイフを探しながら…彼は差出人の名を呟き厳しい表情。嘗ての好敵手の名を久々に聞いて、クリオも思わず立ち上がる。じれったそうに卓上をフリックが掻き乱せば、王国の紋章を刻んだ本が床に零れる。既に返却期間を過ぎた図書票が、何枚もひらひらと舞った。

「そいえばさ、フリックさん…村長呼んでた」
「あ、そ…チッ、予定より早いな」

 ぶつぶつと独り言を呟きながら、フリックは手紙を何度も読み直した。既に自分の世界へと没頭しながら、古い巻物を紐解き熱心に読み耽る。もはやその耳には、クリオの声もトリムの声も聞こえては居ない。

「うわ、聞いてないし…すっごい集中力。そいえばブランカさんって」
「…ん、ああ。昔の馴染みだ…腕は立つ。私の次にな」

 私が一番、お前は二番…二人は互いにそう言い合う仲。それも今は昔の話。昔の話を思えば何故か、無いはずの右腕が痛むような気がした。肩掛けを引き寄せながら、クリオは少し懐かしそうに目を細める。

「んじゃ、ブランカさん本人に会ったら聞いてみます。同じ事言いそうだけど」
「…ん、会ったら?それに…最後と言ったな」

 首を傾げるクリオに、トリムは満面の笑みで応えた。待ちきれぬといった面持ちで、発する言葉を追い越し駆け出しそうな勢いで。幼さを残す少年のような笑みに、ラベンダー色の瞳が大きく輝く。

「オレ、ミナガルデに行くことにしたんだ」
「クソッ、最悪だ…何故だ?まるで何かに追われるような…」

 ルーペを持ち出し、額を机に擦りつけながら。何の脈絡も無いフリックの独り言。だが一瞬、彼は面を上げて少女を見詰めた。あの日の落ち込みようが嘘のように、その表情は鋭気に満ち溢れている。いつか来るべき日が、遂に彼女の中で具現化したのだ。

「…そうか。で、何時村を発つのだ?少しは餞別も持たせてやりたいが」
「あー、うん、その…今日これから。今すぐにでも」
「…!?…急な話だな、それは。そうか…今日発つのか」
「うん。もうじっとしてられない…だからオレ、もう行かなきゃ」

 確かに改めて見れば、身形を整え旅装姿のトリム。用意周到なそのいでたちは、近場でランポスを狩る装備では無い。村一番の元気娘が、今日を良き日として旅立とうとしている…一抹の寂しさから、トリムを抱き締めるクリオ。華奢なその身は頼りなくもあるが、自分も同じ位の年頃にはもうあの街へ…ミナガルデへと旅立っていたのだから。

「でんこ、ナル姐さんにも挨拶してけよ?あとな…暫く帰ってこなくていいぞ」
「うん、そのつもり」

 それは言葉通りの意味では無いが。フリックの言葉にくぐもる声で答えて、トリムは名残惜しそうにクリオから離れる。そのまま彼女は、まるで弾かれるように飛び出していった。今はもう、一片の迷いも無く。

「あとな、でんこ!あいつら焔龍と后龍の討伐に…」
「いいよっ!会ったらそれも聞いてみるから!…オレ、解ってたし」

 手紙片手に、フリックが玄関に立つ。だがもう、少女の影は遥か遠くへ…村の門へ向けて小さくなっていた。芯の強い娘故に、挫けて逃げ帰ってくる事は無いだろう。それでもここは彼女の…そして多くのハンター達の故郷だから。何より最愛の家族が暮らす家だから。旅立つ少女に匹敵する決意で、フリックは未来の勇者を見送った。彼が守るべきこの場所、ココット村から。

…THIS IS ONLY THE BIGINNING!

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