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 いつか殺してやる…毎夜毎晩、シーツを噛みながら誓った、幼くも暗い憎悪の念。だがしかし、少年の願いが適う事は無かった。彼の飼い主はあの日、ただの肉塊となり果てたから。西シュレイドに悪名を轟かせた、山賊紛いの三流狩猟団。その首領こそが、彼の殺意の対象だった。
 それは突如としてキャラバンを襲った。砂漠を横断する一隊は、偶然にも踏み込んでしまったのだ…鋭龍モノブロスと呼ばれる一角竜の、広大にして絶対なるテリトリーへ。チンピラ揃いのハンター崩れなれば、銘入の飛竜に抗える筈も無く。荒れ狂う純白の巨体を前に、戦う間もなくキャラバンの車列は…まるで竜巻に遭遇したかのように宙を舞った。

『酷い有様だぜ…少なく見て三日は経ってる。生存者は絶望的か?』
『当然の報いだわ!こいつ等、ハンターズの面汚しよ…清々する』

 久方ぶりに聞く人の声。ミナガルデからの救援…だがしかし、荷車の残骸に潜む少年は、息を殺して身構えた。その手には血塗られたハンターナイフ。鋭龍が過ぎ去った後、辛うじて生き長らえた者を襲ったのは、血に飢えた砂竜の群れ。一睡も許されず続く緊張が、武器を握る手を緩めさせない。

『俺は奴を…鋭龍を追う。クェス、あとは頼めるかい?』
『鋭龍は放っておけば?こいつ等は自業自得、戦う理由なんて無いんだし…』
『大丈夫、無理はしないさ…でも放ってはおけない。何せ俺はハンターだからネ。んじゃ!』
『ちょっと…んもぅ!無茶ばっかしてると死んじゃうんだからっ!…死んじゃうんだから』

 ハンター達は二手に分かれた。男は恥ずかしげもなく愛を叫びながら、徐々に遠く砂漠の奥へ。見送る女は頬を赤らめながらも、不安げにその背を見送る。八年経った今でも忘れられぬ、義母となる女性の最初の記憶。砂塵に佇む不安げな立ち姿。

『さて、っと…出てらっしゃい。お腹空いてるでしょ?手当てもしないと…ね?』

 不意に振り返る、その琥珀色の瞳と眼が合う。待ちに待った救助…だがしかし、咄嗟に身を隠す少年。その身を震わす極度の怯え。気力体力共に尽き果て、正に極限状態となった今でさえ。彼は"救いの手を差し伸べられる"という事に恐れを抱いていた。まだ十に満たぬ幼子は、生まれてから今まで、それを経験した事が無かったから。

『もう怖くないわ…坊や、一緒に帰りましょう。ね?まだ日が高くない内に…んっ!』

 弾かれるように飛び出し、弱った足腰で砂を蹴る。少年は絶叫と共に、女ハンターへと刃を翻した。防具の隙間を縫うように吸い込まれてゆくハンターナイフ。迸る赤い鮮血が、熱砂の大地に染みを作った。突き刺さる刃を握る手から。

『っ!…ふふ、駄目よ坊や。これは人に向けるものじゃないわ。さ、放して』

 不思議と言われるままに、唯一身を守ってきた武器から手が離れる。同時に緊張の糸が途切れ、少年は意識を失った。倒れ込むその小さな身体を、抱きとめる優しく温かな胸…既にもう、あの痛ましい事件は遠い過去となっていた。その時一命を取り留めた、マーヤ少年にとっても。そうあれから既に…

「八年、か。立派になったもんだ…と、言うとでも思ってるのかい?マーヤ」
「ええ…俺、この若さで第三王女殿下の騎士ですよ?何が、いけな、いんです、かっ!」

 青い長髪を編み込み靡かせ、少年は熱心に剣を振るう。今はもう、焔龍が居た檻の残骸すらない、王城の広い中庭で。少女と見紛う程に線の細い、華奢で頼りない印象とは裏腹に。巨大な剣を彼は難無く振り回して見せた。どこか悔しい気持ちを隠しきれぬが、ナル=フェインは感嘆の笑みを零す。よくもまぁ、ここまで立派に育ったものだ、と。残念ながら新作の大剣は、良き使い手に出会ったと認めざるを得ない。

「殿下!お待ちください殿下、どうか御再考を…我々としましてもですね…」
「ええい、聞く耳持たぬ!お、ここに居たか!探したぞマーヤ君。喜べ、特命である!」

 大股でドシドシと歩く足跡が、気弱な声を引きつれ現れた。振り向くナルには眼もくれず、煌びやかな男がマーヤに近付く。その態度は無言の内に、彼が王族である事を物語っていた。赤毛の書士が後ろに続く。殿下と呼ばれた男は、この西シュレイド王国第二王子。

「ん、例の新しい剣かね?何処の田舎者が打ったか知らんが、まぁまぁではないか」
「殿下、これは職人の手による業物ですよ…何時戻られたんですか?国境の方はまだ…」

 砕けた口調と裏腹に、臣下の礼を取るべく剣を納めるマーヤ。眉を顰めるナルに気も留めず、王子は若き騎士の肩に手を置く。全幅の信頼を貼り付けた、国民を魅了して止まないその笑顔。既に制止を諦めた書士は、深い深い溜息を一つ。胃でも痛いのか、脇腹を押えるその姿に、ナルは同情を禁じえなかった。

「マーヤ君、キミは第三王女たる我が妹の騎士だ。そうであろう?」
「その栄誉、謹んで賜りましたが…殿下、はっきり仰って下さい。特命って何です?」

 若さゆえか、物怖じせぬマーヤの瞳。王子はニヤリと唇を歪めて、その耳元へと囁いた。

「妹は飛竜を御所望だ…今度は伝説の蒼火竜だよ、マーヤ君」
「!?…まぁ、王女殿下の飛竜好きは、今に始まった事じゃありませんが…何故です?」

 ナルはその時、王子の表情から素早く読み取った。発する言葉でこれから、真意を覆い隠そうとする悪意を。無論、それをマーヤが悟る筈は無い…彼はまだまだ未熟な、十七歳の子供なのだから。

「殿下、どうか御自重を…それでは私が、筆頭書士殿に怒られてしまいます」
「黙れカロン!…マーヤ君、私は妹が可愛いのだよ。引き受けてくれるかね?」
「殿下の命とあらば。で、その蒼火竜とやらは何処に…森ですか?砂漠?それとも…」

 更に小声で王子は呟いた。マーヤの義母が営む、ハンター達の憩いの場を。ミナガルデにある冒険者の宿…山猫亭。ふと彼はその名を聞いて、何年も会っていない義母を思い出そうとする。だがしかしどうしても、追憶の憂いを帯びた後姿以外、何一つ思い出すことは出来なかった。結局マーヤは、王子より任を拝命して城を出る。実力行使も止むを得ず…そう囁く王子の、偽りの笑顔に見送られながら。

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