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「ふぃ〜!こりゃ大変、朝から腰が…」

 火竜の卵ほどもある岩石を下ろし、メル=フェインは大きく伸びを一つ。疲労が溜まった腰を逸らして、彼女は一人天を仰いだ。朝霧に煙る渓谷は冷気を纏い、汗は乾く事無く体温を奪ってゆく。ここはココット防衛の最前線…左右を切り立つ崖に囲まれた、村へと延びる天然の回廊。
 災厄の名は老山龍。太古の彼方、歴史の最果てより来るモノ。竜を狩るハンター達でさえ、その刃を向ける事適わぬ…神話の時代より龍と呼ばれる存在。老山龍は人の英知がこの星に満ちる、その遥か以前より…人類がまだ栄華の限りを極め尽くす以前より。龍脈を辿って周遊を続けている。たまたま今の時代、その進路上に人の生活圏があるに過ぎない。

「フリックは几帳面だよね、しっかし。てけとーに積んどけばいいのにさ」

 早朝のフリック宅から引っぺがして来たのは、事細かに書かれた谷の地図。フリックは細長い谷を数個のブロックに分け、それぞれの境界に堰を築かせようとしていた。その工程が几帳面に記された、小さな文字を指でなぞりながら。連日大人のハンター達が従事していた作業を、今はメルが一人でこなしている。まだ誰もが寝静まる、鳥も鳴かない早朝から。

「ええと、何々…堰の高さは…っと、っとっと…おひゃー!?」

 一際大きな石を運んで、メルはよろけ躓き派手に転んだ。抱える岩石の大きさに、そのまま前のめりに一回転。大の字で大地に背を預け、少女は大きな溜息を一つ。もしこれが火竜の卵なら、木っ端微塵に割れてるのだが…さっさと運べと言わんばかりに、石は目の前に無言で転がる。

『あちゃー、めるめるやっちゃったスね?もったい無いス〜…じゅるり』
『マァ、俺等ノ分ヲ納品スレバ無問題ダナ。めるちょ、護衛ヨロスク』

 あれが卵で、ここが何時もの狩場なら。すぐさま仲間の言葉が聞こえるだろう。食い気ばかり一人前の奴も、飄々とさばけた奴も…自分が転べば、顔を覗きこんで声をかけてくれた。そして…

『んもぅ、みんな卵の心配ばかり?まったく…メル、立てる?ほら、つかまっ…あ』

 蒼髪の少女がいつも、真っ先に手を伸べてくれた。運搬中である事も忘れ、いつも引っ張りあげてくれた。結果、四個中二個の卵が駄目になり、四人で再び巣へと走る羽目になっても…そんな日は何時も、朝から晩までが輝いて見えた。それは確かに、仲間がいたから。輝いていたのは、自分と肩を並べる仲間達。

「あーあ、馬っ鹿みたい…さっさとやっちゃお」

 そんな日々に別れを告げて。メル=フェインは帰って来た。自ら封印した過去が眠る、危機に瀕した故郷へと。無論、予想はしていたが…村の大多数に拒まれるのは、思いのほか小さな身に堪えた。特にその幼い心に。それでも決意は揺らがず、覚悟は鈍らない…ただ、胸の奥が痛むだけ。

「メルさん、都会暮らしで鈍ってる?よっ、っと…これ、オレが運んじゃうから」

 不意に銀髪の少女が、倒れたメルを覗き込んだ。その姿は快活な笑みを浮かべて、直ぐに視界から消え失せる。視線で追い切れずに身を起こすと、彼女は既に岩石を拾って歩き出していた。その背中には見覚えがある…よろけながらもその背を追うメル。

「まーね、オレもミナガルデにちょっと居たから解るけど。なんてゆのかな…とっとっと」
「あぶなっ!…田舎暮らしの方がどうかと思うよ?大体、こんな重いの運べないんよ、女の子は」
「あー、だからかな?普段は大人のハンターが担当だもの。オレ等は外で飛竜追い払ってばっか」
「むふ、テキザイテキショって奴だねぃ…って、別に手伝わなくていいって、でんこ」

 トリムは突然現れた。メルが追った時にはもう、石を運搬してよろけ、転びそうになっていた。慌てて立ち上がると、メルは傍らに寄り添って重荷を分かつ。

「でも個人的には、こゆのを朝飯前って言うでするよ…今朝のメニューは何でするかね?」
「今日は〜、ウォーミル麦で御粥とか思ってたんですけど。御肉でもいいですね〜」

 両脇に岩を抱えて、のっしのっしとゼノビアが追い越してゆく。それを追うラベンダーも、大量の岩石を苦も無く運んでいた。気付けばもう、予定されていた工事は大半が済み、東の空に朝焼けが燃えている。

「な、何してんの…別にメルが勝手にやってるだけなのに」
「オレだって、メルさんに負けない理由があるから。それに…」
「それに、勝手が気に食わない人も居るみたいでする。ほら」

 形良い顎をラベンダーがしゃくると、その先に無数の人影。晴れ始めた朝霧を払って、村のハンター達が姿を現した。誰もが皆、大きな岩を抱えて。フリックが割り振った仕事を全うすべく、どんどんメル達を追い越してゆく。

「勝手は困るんだよな…これは俺等の仕事だからよ」
「そそ、ガキ共はお外で遊んでな?飛竜が寄ってくんだから、追い払ってもらわにゃ」
「なんだそのツラぁ…俺等毎日これやってんだぜ?人の仕事、取るなっつーの」
「我々とてココットを愛しているのだ…ん?どうした?納得出来ないようだな、メル=フェイン」

 瞬く間に堰が積みあがり、鳥達が朝の囀りで祝福する。手に手を取って喜ぶトリム達の傍らで、男達は、メルへ不敵な笑みを向けた。いぶかしげに俯き、その心情を率直に零す金髪の少女。

「何で?…こんなの、メルにやらしときゃいいじゃん。メルは独りでも別に…」
「はっ、俺等はプロのハンターだぜ?何より確実性を取る…ガキに任せてられっかよ」
「納得いかねぇか?まぁ、本音を言ってやらぁ…聞いたら手前ぇら、さっさと行けや」

 ニヤリと口元を歪める大人達は、トリムを見やって笑い合う。

「村一番の悪童が、俺等とひぃひぃ汗を流すとこが見たかったのさ」
「だってさ…んじゃ、行こうよメルさんっ!俺等の一日はこれからだから」

 トリムはメルの手を取り、強引に引っ張って走り出す。後に続くゼノビアと、大きく頷いて追うラベンダー。冷え切った空気を追い出すように、谷間に輝く太陽の光…雰囲気に推し切られながらも、メルは故郷への帰還をこの時感じていた。守りたい場所へ、同じ想いの元へ。

「ちょ、まっ、待ってよでんこ!ふふ…メルね、まだ頑張れるよ…見ててね、いっちゃん」

 一人小さく少女が呟く。その声は霧を払って、広がる青空の彼方へ吸い込まれていった。

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