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「メル!?…ん、空耳かぁ。あの…今、何方か私を呼んだでしょうか」

 ドアの脇に立つスペイドは、その問いに丁寧に応える。いいえレディ、とだけ紳士的に。同時にドアを挟んで立つ少年騎士に視線を送るが、そっけない言葉が返るだけ。それもその筈、護衛任務中の二人は、要人との会話を許されていないから。

「そうですか…すみません」

 蒼髪の少女は俯き呟いて、再び出窓に腰掛ける。憂いを帯びた表情もまた、年端もゆかぬ少女とは思えぬ程美しい。が、監禁に程近い軟禁状態で、その頬は少しやつれて見える。不機嫌なマーヤと一緒の、スペイドにとっても気が重い任務は続いた。
 ここは文字通り最後の砦…西シュレイド防衛の最前線。急造仕様の小さな砦は、対老山龍用兵器が犇く強固な要塞。だが、召集された騎士団と狩人達が集う場所にしては…この部屋は余りに場違い過ぎた。決戦の地に相応しくない、豪奢な内装の個室。天蓋付きの羽毛のベットには、色とりどりのドレスが並べられている。ここは誰であろう、西シュレイド王国第二王子殿下の私室。

「おや、着替えはまだでしたか…流行の服はお嫌いですかな?イザヨイ殿」

 ノックも無くドアが開いた。部屋の主は、護衛の二人が身を正すのを見て満足気に頷く。緩慢な横柄さを体現したかのような第二王子に、イザヨイも立ち上がって頭を垂れた。馴れ馴れしくファーストネームを呼ばれるたび、背筋に嫌な感覚をぞわつかせながら。

「今は御国の一大事なれば…私ごときには勿体無いお言葉」

 スペイドは内心、感嘆の意を禁じえない。王族たる者と比べるまでも無く、イザヨイの何と堂々たる事か。大蛇丸家が古くからの名家とは言え、とても豪商の娘とは思えぬ気品。王子を同じ視界に入れるだけで、王国の未来が暗く感じる。同じ思いなのかは知らないが、隣のマーヤが深い溜息を一つ。

「殿下、恐れながら…私だけ特別扱いはおやめ下さい。私は仲間の所へ戻ります」
「特別扱い?私が?君を?…ふむ。任務遂行御苦労、二人とも下がりたまえ」

 冷淡な笑みを噛み殺して、王子は護衛を下がらせる。護衛と言う名の見張り役を。この砦に集められたハンターズの中で、イザヨイだけがこうして自室へ招かれている…そこには卑しい下心よりもドス黒い、秘められた陰謀が色濃く匂う。ドアが再び閉じられると、イザヨイは凛とした声を張り上げた。震える自分を奮い立たせる為に。

「殿下、私はっ!」
「特別ではない…至極当然、普通の事。特別な人間には、特別な待遇が普通なのだよ」

 特別な人間…当然、自分が先ずそうだと王子は語る。喋らずとも、その不遜な態度が全身で語っている。では、イザヨイの何処が特別?裕福な家庭に育ち、高名な商家の血筋だが。王族でも無く、自身の財も才も有りはしない。望むまでも無く望みもしないが、西シュレイドの第二王子殿下と同列に扱われる理由が彼女には解らなかった。たった一つ、僅かな心当たりを除いては。

「東方の島国、シキ国。今は戦国の世だが、嘗ての朝廷は絶大な…昔話はお好きですかな?」

 問い掛けを装う笑顔の圧力。じりじりと身を寄せる王子から逃れて、イザヨイはソファへと追いやられた。長い話になるのだろう…座るように促され、身構えながら腰を下ろす。唐突に始まるシキ国史の講義は、イザヨイの僅かな心当たりを徐々に広げてゆく。高鳴る鼓動は胸を押えても収まらない。
 嘗てシキ国を治めた朝廷…その鼎立は血と炎に彩られて。朝廷派は帝を奉り、自らを公家と名乗って覇権を極めたのだ。同時に、数え切れぬ土着の信仰を根絶やしにした。シキ国の辺境に住まう、超常の力を持った異能の民と共に。争いを好む部族は死に絶え、争いを好まぬ部族は国を追われ海へ出た。

「この地を始め、各地に散らばるシキ国縁の者共…古い血筋はこの時代からあるのですよ」

 ドクン!心臓が飛び出るかと思われる程に。それは体内を駆け巡る血の脈動。語られる言葉が真実であるかのように、それを証明するかのように。イザヨイの鼓動は早鐘の如く高鳴った。

「古い文献によれば大蛇丸とは…シキ国を最初に出航した八隻の名の一つ」
「我家の古い言い伝えです!それはでも、今の私には何の関係も…!?」

 動揺が全身を強張らせ、イザヨイは不覚にも王子の抱擁を許した。身を捩って抵抗するが、温室育ちとは思えぬ力が自由を奪う。そのままソファに押し倒され、全身で圧し掛かられた瞬間。王子の瞳にイザヨイは垣間見る…狂気に取り付かれた人間の、深く澱んだ衝動を。

「特別なのだよ…脈々と受け継がれし絶血!私と同等か、それ以上にギャン!」
「蒼丸っ!駄目、本気で噛んだら千切れちゃ…離して、私は大丈夫だから」

 騒ぎを聞き付け、先程の二人が雪崩れ込んで来た。ベットの中から飛び出た蒼い翼が、王子の手に深々と牙を突き立てている。興奮しきったイザヨイのボディガードは驚く事に、スペイドが手を掛けても剥がれる気配が無い。主の涙声にようやく離れ、幼い蒼火竜は窓辺へ飛ぶと小さく吼えた。ここ最近落ち着かない様子だったが、まるでその鬱憤が爆発したかのよう。

「私の血に力なんて無いっ!今は…今、この国を救えるのは!私達自身の力だけ!」

 上気した顔で息も荒く、眼に大粒の涙を溜めて。イザヨイは声を限りに叫ぶと、一礼して大股に部屋を出てゆく。低く唸り声をあげる蒼火竜は、やや躊躇した後その背を追った。呆気に取られるスペイドとマーヤはしかし、互いに目線で頷き合う。二人は聞き逃さなかった…流血にも関わらず、不気味な笑みと呟きを。陰謀の渦は今まさに、全てを巻き込み大きくうねり始めていた。

「素晴らしい…ククク、この国を救う?そんな下らない事にその力は…不要っ!」

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