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 あれに乗らずにすんだか、と。兄弟が言った意味が今、トレントゥーノには良く解った。それは身をもって知る経験であり、今後に必ず生かされる事であろう。これからもし、同じような機会に恵まれるなら…全身全霊であらゆる言い訳を駆使し、何をおいても真っ先に辞退せねばならない。天下に轟く稀代の名騎の、その背で青年は低く呻いた。

「これは流石に…殿下は良くも戦場で、キミを駆って剣を振れるものだね」

 時は既に正午を過ぎただろうか?もはや轟天号にしがみ付く荷物と化して、一路トレントゥーノは砦を目指す。老山龍討伐成功の吉報を胸に。だが、勝利の興奮が収まるにしては、その胸中は余りに穏やかさを欠いて。妙な胸騒ぎさえ覚えて、彼の澄ました顔を僅かに歪めさせた。

「しかしあの地は龍脈の真上…つまり、古龍には無尽蔵のエネルギーが供給される訳で…」

 独り言を呟く趣味は無い。それに今は危険…道を道とも思わぬ跳躍っぷりに、喋ればたちまち舌を噛む。トレントゥーノはざわつく胸の内にもう一人の自分を招いて、客観視が具象化した分身へと語り掛けていた。双子の片割れである彼は、もう片方が良くも悪くも楽観主義者であるのに対して…全く真逆の性格。常に最悪のケースを模索しながら、確かめ算に余念が無い。

「考えすぎ、か。後はあのダムだけど…!?」

 突如進路上に人の影。白いマントの立ち姿は、みるみる互いの距離を縮めて近付いて来る。それが細身の女性であり、その背後にもう一人、ハンターらしき者の姿を確認した時…もはや轟天号の手綱を引き締めるには遅すぎた。が、遅い手綱が食い込むより早く、轟天号の鉤爪が大地を掴む。避ける気も無く立ち尽くす二人の鼻先に、轟天号は急減速して立ち止まった。寿命の縮む思いで肝を冷やし、トレントゥーノは白い鱗に伏して安堵の溜息。

「どーどー、はいイイ子…っと、キミは怯えないのね。普通はもっと警戒するんだけど」
「ふぅ…と、止まった。御怪我はございませんか?そちらの方も…」

 白いマントは間近に見れば、ある刺繍が施されている。纏う女性の呑気な態度に、余りにミスマッチな仰々しい紋。ハンターズギルドのエンブレム…パーソナルマークが添えてある事も手伝って、トレントゥーノは眼前の人物が何者かであるかを瞬時に悟った。厳重に呪符で幾重にも封印を施した、恐らく対古龍用であろう剣を背負う彼女。その身分は間違いなくギルドナイト。

「んー、私達は平気よー?ね、殿下?」
「うむ…大事は無いぞ、ソフィ。そこな書士も」

 火山帯に生息する鎧竜の中でも、特に珍しい漆黒の亜種…強固で堅牢な歩く城砦、黒いグラビモス。五体全てをくまなく、その黒甲殻で覆ったハンター。その正体は紛う事なきこの国の第一王女。背負うクイックキャストこそ無いが、グラビドキャップを脱いだその顔は見間違える筈も無い。

「でっ、でで、でっ…殿下!?どうしてここへ?護衛も連れずお一人で…」
「あのー、私が居るんですけど…オネーサン怒りますよ?そゆ事言うと」

 確かに、一軍に匹敵する剛の者が一緒ではあるが。ハンターに身を扮して、徒歩で道行く第一王女殿下を見れば…トレントゥーノならずとも驚かずにはおれぬだろう。王城の年寄りが見れば卒倒は確実。

「ある者の厚意でな…甘えさせて貰った」
「は、はぁ…って、どちらへ行かれようというのですか」

 ココットへ…そう言って轟天号を一撫ですると、再び第一王女は歩き出す。呆気に取られて見送るトレントゥーノは、すぐさま鞍を降りて手綱を引いた。背に主を待ち侘びて、疲れも見せずに轟天が嘶く。

「殿下、では…せめて轟天号を。私は徒歩で砦へ…」
「ならん!吉報であろう?聞かずとも私には解る…早く砦へ。己が責を果たせ」
「護衛なら私が居るから大丈夫っ!番の火竜に襲われたって安全ですよ?」

 王女は見たかった。砦での残務を放り出してでも。東シュレイドの問題や、王国に反旗を翻した弟王子の件…それも大事だったが。勝手な我儘と知りながら、王女は見届けねばならなかった。王都防衛の為に、実質切り捨てられた村を。そして、不利を勇気と絆で補い…見事故郷を守りきったハンター達を。そして出来るなら詫びたかった。

「では殿下、私は参ります…殿下も御身の責を無事果たされますよう」
「私の責?これは…私のわがま」
「違うわ、違うのよ御姫様…貴女はシュレイドの王女。だからこれは貴女の責。そうよね?」
「ええ、ギルドナイト殿の仰る通りですよ、殿下…では、失礼します」

 再び轟天号へと跨ると、情けない悲鳴を噛み殺しながらトレントゥーノは走り去る。

「貴女がこの国の民を想ってくれるなら…いーんじゃない?ちょっと位は」
「…だが、私にしか出来ぬ仕事もある。放り出して来てしまったがな」
「いいの、いいんだってば…周りの人を信用して。何より心底信頼して。ね?」
「…そうさせて貰う。御前達ハンターの狩りが、常にそうであるようにな」

 時に人を信じて用い、常に人を信じて頼る…ココットへの道を一歩一歩、確かめるように踏みしめる王女。その背を無礼にもバンと叩きながら。ソフィは晴れ晴れとした気持ちで、メルやイザヨイ、そして多くの仲間達が待つココットへと再び歩みだした。

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