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「王女殿下は大した人物ですね…我々にまで気をかけて下さって」
「でも突然だったから…ビックリしちゃった」

 水の引いた谷底を今、二人は並んでゆっくり歩く。ここ数日の目まぐるしい状況を反芻しながら。

「そいえばフリックさん、ちゃんと家に帰ったのかな?ずっと働きっぱなしだけど」
「いいえ、まだ奥様にも御子様にも…でも、今日で一段落ですよ」

 長身の少年は今、傍らの少女に歩幅を合わせて。激戦区だった場所を懐かしむように見渡した。僅か数日前の出来事も今は、遥か数十年前にさえ感じる。

「一段落、かぁ…今日の便で最後だもんね」
「ええ。トリム様は結局どうされるのですか?」

 アズラエルの問いに答えず、ついと大きな一歩を踏み出て。トリムは一歩前を黙って歩いた。小さな背中が無言で、迷い悩む胸中を雄弁に語る。

「老山龍を撃退して、ココットを守って。でも…オレ達は勝ったのかな?」
「勿論。代償がいかに大きくとも、皆様があの場所で無事なのですから」

 ココット村は今、古龍の脅威を免れながら…一時その名を歴史から消す事となった。乾季を向かえる前に、村の命ともいえる水源を失ってしまったから。ここでもう、人々が生活を営む事は出来ない。村長は英断を下し、幸運にも王女殿下の援助もあって。村人は皆、散り散りとなって周囲の村々へ住み移る事となった。フリックはまたも不眠不休を強いられ、移住は迅速に滞り無く行われたのだった。

「皆様はでも、この乾季が終わったら…必ず戻ると仰ってましたし」
「でも、一時的にこの村は無くなるんだ。英雄の村、ココットは…オレの故郷は」
「一時的に地図から消えても、この村はまた栄えます。恵みの雨が降る頃には」
「そうだね…長い乾季になりそうだなぁ。あ、そいえば…見せたい物って何?」

 空元気を振り絞って、トリムは振り向きアズラエルを見上げる。その上目遣いの眼差しはまだ、強い不安と動揺を湛え…僅かに赤く泣き腫れていた。精一杯気丈に振舞えば振舞うほど、その姿は痛々しい。だが、決して落ち込む姿は見せずに。まるで落ち込み方を知らないかのように、彼女はアズラエルに微笑みかけていた。

「もう私達はそこに立ってますよ。あらかた洗い流されたと思ったのですが…」

 アズラエルは地面を指差す。その細く白い指がさす先を、トリムはきょろきょろと見渡した。が、特に何があるという訳でも無い。ただ、周りから少し陥没してるだけで、何の変哲も無い谷底の大地。

「んー、何だろ?別に何も…ひゃっ!」
「失礼しますよ…どうです?解りますか?」

 不意にトリムは抱かかえられた。軽々と少女一人を持ち上げたアズラエルは、自らの肩に腰掛けさせて。普段の倍ほどの高さから睥睨する大地に…トリムはアズラエルが見せたがった物を見つけた。巨大な老山龍の足跡が、クッキリとこの星に刻印されている。それは正に、老山龍とハンター達が命を賭してぶつかり合った証。

「改めて見るとでっかいねー」
「山猫亭のクィーンルームがこれ位の広さですから…大した物ですよ」
「あー、オレまだ入った事ないや、その部屋。いいなぁ、オレもいつか…」
「…では、トリム様も行ってみませんか?皆様と一緒にミナガルデへ」

 ふむ、と肩の上で腕組み悩んで。しかし何となく聞かなくても…アズラエルには答えは解っていた。

「そうそう、これだけじゃないんですよ…見せたかった物は」

 丁寧にそっとトリムを降ろすと、今度は長身を屈めて膝を付くアズラエル。その足元へ眼を凝らして…トリムは眼を輝かせた。古龍に踏まれ濁流に抉られた大地に。小さな緑が芽吹いていた。見た事も無い芽が無数に。

「見た事も無い芽です…少なくとも私には。恐らく種が老山龍に付着していたのでしょう」
「老山龍は世界を巡るもんなぁ。どこの植物だろ?花、咲くかなぁ…あ、でも…」
「いやぁ、流されてなくて良かったス…お?御両人〜!何やってるスかー?」

 火竜の大鉈を肩に担いで。谷の奥から現れたサンクも、二人の間から首を覗かせる。良く見れば点々と、老山龍の足跡を埋め尽くす命の息吹。遥か南国の花々か、はたまた此処より以北の草木だろうか。今は名も無い緑の双葉は、小指にも満たぬ葉を懸命に広げ天に翳す。

「でも、もう雨も降らないし…ココットやこの辺の気候で育つかなぁ?」
「それは自然が決める事。村の人々が戻る季節には、この谷は花で満ちるかもしれません」
「しっかし逞しいスねぃ、こんなに小さいのに…あ!しまった!もうこんな時間ス〜」

 腹に手を当て時間を確かめ、サンクは足早に駆け出した。その足取りは一旦引き返して来て、もどかしげに足踏みしながら二人を誘う。アズラエルもトリムも立ち上がり、今日行われる最大のイベントを思い出した。

「延びに延びてた防衛記念パーティ!急がないと食べ物無くなっちゃうスよー!」

 食欲の権化と化したサンクに、もはや焔龍の骸剣は羽根よりも軽い。猛烈な砂埃を舞い上げながら、彼女は村へとすっ飛んで行く。その背を追って、足取り軽く駆け出すトリム。アズラエルも再び、追い越さぬように並んで走り…感謝の言葉に僅かに照れた。

「ありがと、アズさん…オレ、決めたよ」

 とびきりの笑顔が本物の輝きを放つと、アズラエルはその眩しさに眼を細めてはにかんだ。

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