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「あの音、気付いてたか?今夜も聞こえてきやがる…」

 吹き荒ぶ風が運ぶのは、昨夜と同じあの音。大質量が擦れるような、骨身に染みる重い響き。焚き火に枯れ枝をくべながら、ウィルは寝ずの番で夜空を見上げる。満天の星空はどこまでも高く、星明りが照らす砂漠は銀の海。何時見ても荘厳なその景色を、ヴェンティセッテも並んで見渡した。
 既に旅の道連れ達は寝床に潜り、各々に静かな寝息をたてて眠る。ヴェンティセッテ自身も休んでいい筈だったが、状況がそれを許さなかった。その意図を察してか、ウィルも就寝を薦めない。二人は焚き火を囲んで、黙って向かい合っていた。

「やめやめっ!ったく、息が詰まる…野郎と雰囲気作っても気が滅入るだけだぜ」
「…どこでケースDを?あの《鉄騎》と言えど、容易く手の届く物ではない筈ですが」

 ケースD…それは西シュレイド王国建国以来、王立図書院に封印されてきた禁忌の文献。王国を襲った災いを克明に書き止め、未来への警告として残すべく、人知れず管理されて来たのだが。高名な傭兵団である《鉄騎》と言えど、一介の百人隊長が知り得る筈も無い…が、現実にウィルは知っていた。

「ああ、それな。だって俺、当事者だしよ…最新の一頁の、な」
「!?…一番最近の?当事者って、まさか」
「…そこから先は私が話そう。いいな?ウィル」

 不意に第三者の声が介入して、ヴェンティセッテは振り返った。その声の主は眠ってはおらず、ずっと聞いていたのだ…二人の会話を。毛布を脱ぎ捨て立ち上がれば、漆黒の鎧が焚き火に照らされ、不気味な光沢で鈍く輝く。

「…当事者、と言うより死に損ないか。ウィルも…私も」
「第五次シュレイド城防衛戦…俺等《鉄騎》創立以来、最悪の戦いさ」

 二人が語る内容は、ヴェンティセッテですら閲覧できぬケースDの一頁。最も記憶に新しく、最も鮮烈に記録された死闘の断片。シュレイド城…東西問わず、シュレイドの民ならば知らぬ者は居ないという、太古に栄えた都の廃墟である。初めて知るケースDの、それも最新の情報を前に…ヴェンティセッテは思わず息を飲んだ。
 多くの民が知らぬ脅威に、王国は常に曝されている。人智を超えた恐るべき脅威に。人知れず力を結集し、力及ばず倒れながらも…その脅威を退けてきた影の歴史が、西シュレイド王国にはあった。その脅威の名は黒龍ミラボレアス。あらゆる情報が非公開となっている、最も危険な古龍である。

「俺とルティ…いや、クリオさんは当時、選抜メンバーとして参戦した」

 王室からも選りすぐりの騎士が、ハンターズギルドからもギルドナイトが…そして各地から選び抜かれた、一流の狩人達が。無論、傭兵団《鉄騎》からも、団長を始めとする親衛隊クラスの者達が参陣した。その中に居たのだ…才能溢れる少年剣士ウィルと、団長の右腕と言われたクリオ…否、ルーテシアという名の少女が。

「図書院の書士さんも居たっけな。ほら、ちょっとゴツい眼鏡の、戦斧ブン回す…」
「スペイドさんかな?確かにウチじゃあの人が一番…あ、いや、話を進めて下さい」
「…王国中から募った精鋭と、国家予算の一割を投じて。私達は黒龍の撃退に成功した」

 多大な、決して戻らぬ多くの犠牲を払って。これがケースDに刻まれたもっとも新しく、未だ血と汗の匂い薄れぬ隠された真実。噂には聞いていたが、改めてその内容を知って今。ヴェンティセッテは当時を想像して震えが止まらなかった。御伽噺に歌われた伝説の黒龍が実在し、王国は人知れず死闘を繰り広げていたのだ。

「ま、団長がそん時…逝っちまってよ。その後ぁ《鉄騎》も揉めたもんさ。そして…」
「…私は名を捨て《鉄騎》を抜けた。この鎧は戒め…あの日を生涯、決して忘れん…つもりだった」

 黒龍の鱗と甲殻を紡いだ、漆黒の鎧。その胸に手を当て、クリオは唇を噛んだ。当時まだ、若くして親衛隊の中核として、親と慕った団長を守るべきだった自分。守りきれず、身代わりにすらなれなかった自分。そんな過去と、その後の権力闘争に決別して。今こうして、一人のハンターとして、クリオ=スポルトとして彼女は生きる。

「つもりだった?…ああ、忘れろ。忘れちまえよルティ…もう終わったんだ」

 いつになく深刻な、普段の軽薄な素行からは思いもよらぬ真剣さで。嘗ての同志に諭すように語りかけ、ウィルは焚き火に枯れ枝をくべ続ける。渇いた音を立てて燃える炎が燃え尽きるまで、ヴェンティセッテは真実を欲して言葉を待った。長い砂漠の夜は更けてゆく…狩人達の古傷を、その凍える空気で撫でながら。

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