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「よぉ兄ちゃん! ついたぜ。ここがモガの島だ」
 船倉に吊るしたハンモックでまどろんでいたオルカは、厳つい顔に人懐っこい笑みを浮かべる水夫に叩き起こされた。三日間の船旅を共に過ごした仲で、一緒に甲板で働いたりマストによじ登ったりもした。客ではなく水夫として雇ってもらうことで、旅費も節約できたし楽しい時間が過ごせた。海に生きる男達は皆、おおらかで気持よくオルカの友になってくれた。
「ん、んんー! ふう、もう到着か。ようやく仕事にも慣れてきたってのにな」
「ガッハッハ、ナマいっちゃいけねえぜ兄ちゃん。海の仕事が三日やそこらで身につくかよ」
 それもそうだと笑って、オルカはハンモックを飛び降りる。ドアから差し込む光は弱く、船の揺れはいつにも増して激しい。下着姿のオルカは、旅の装束へと着替え始めた。しなやかな肉体は無駄な肉がまったくなく、必要最低限の筋肉だけがシルエットを刻んでいた。
 その身を着衣で包んで、最後に陣笠をかぶって荷物を肩に担ぐ。ズタ袋が一つの身軽な旅だ。
 最後に忘れないよう、これから新たな商売道具になるであろうボーンアックスを腰に背負う。
「そういや兄ちゃん、こんな辺鄙な片田舎に何のようだ?」
「ん? ああ、ちょっと一狩りね」
「そ、それじゃあ兄ちゃん、ひょっとして」
 意外そうにあんぐりと口をあけた水夫の、その岩盤のような肉体の側を通り抜ける。ドアをくぐって外気に身を晒すと、肩越しに振り返ってオルカはニヤリと口元を歪めた。そこにもう、ルーキーの甘ったれた表情はない。
「うん。俺はモンスターハンター、狩人さ」
 呆気に取られる水夫に別れを告げて、オルカは甲板を歩き出す。
 生憎の曇り空は、今にも雫を零しそうだ。遠く彼方では遠雷が低く黒い雲間を駆け巡っている。風は叩き付けるように強く、新天地への第一歩を刻むにはあまり縁起がいい日和とは思えない。
 だが、順風満帆とはいかぬ日々にはもう慣れっこだ。
「嵐がくるのか」
 一人呟いて船を降りる。港に接岸してさえ、荒れた海の波は容赦なく船を揺らしていた。その飛沫は高々とあがって、オルカのすぐ側で波濤を高くそそり立たせる。
 そんな海を背に、オルカはモガの島へと降り立った。
 モガの島……それほど大きな島ではないが、モンスターハンター達には孤島の狩場として重宝されている。島の三分の一程が開かれており、そこには火竜の巣や採掘場跡地の洞窟がある。ロアルドロスやクルペッコといった比較的難易度の低いモンスターから、最近ではあのジンオウガも出ると噂の場所だ。
 だが、狩人達が孤島と呼ぶ東側とは反対の場所に、モガの村という小さな集落があることはあまり知られていない。
「これがモガの村……寒村とは聞いていたけど、随分と小さい」
 オルカは港の周囲を見渡し驚く。
 桟橋を渡って陸地に降り立つと、見える建物は一軒しかない。それはどうやら、出入りする水夫達の姿から資材置き場かなにかだろうか。そして周囲は、それ以外になにもない。その背後には巨木が無数に織り成す暗い森が広がっていた。
「おっと、それは違うね。ここはまだ島の東側、狩場の近くの船だまりさ」
 不意に女の声がしてオルカは振り向く。
 そこにはいつの間にか、同業者の少女が立っていた。自分と同じく、これからモガの村で暮らすモンスターハンター。新参者らしく、レザーシリーズ一式を着込んでいる。ユクモシリーズ一式のオルカ同様、外の世界からこの地に訪れた者だ。
「君は?」
「あたしはノエル。モンスターハンターだよ、ご同輩」
 ノエルは背負った弓をがちゃがちゃ言わせながら手を差し出してくる。拒む理由もなくその手を握って握手を交わし、瞬時にオルカは相手の力量を察した。ユクモ村でデビューしてから、死線を超えて数多の狩場を駆け抜けてきたオルカだ。既にある程度なら、相手の力量を瞬時に見抜く眼力が備わっていた。
 だが、そんなものを鼻にかける気もなく、ただ上を、前だけを見ているのがオルカだった。
「よろしく、ノエル。で、いいかな?」
「ああ、是非そうしてよ。あたしもオルカって呼ぶから。いいだろ?」
 柔和な笑みは気さくでほがらかだ。
 だが、その腕前は尋常ではない、それだけはすぐにわかる。
「前はどこで狩りを?」
「ドンドルマで少しね」
 それ以上オルカは詮索しなかったし、ノエルも武勇伝を並べるようなことなしなかった。モンスターハンターが実力を示すのは狩場で……そこで互いを支える力以外は、いかに雄弁であろうとも意味をなさない。口だけの人間なら掃いて捨てるほどいるし、そうでない者ほど言葉を選んで寡黙になるものだ。
「そっか。で……ここはモガの村じゃない?」
「そう。この海を見なよ。嵐が来る……まだまだ荒れるし島の西側は岩礁だらけ。船はここに足止めって訳」
「参ったな。今日中に村に入る旨、ギルドを通じて村長には伝えてあるのに」
「奇遇だね、あたしもさ」
 ノエルはニヒヒと笑って、その後に引き締めた表情に瞳を輝かせる。その端正な顔立ちはまだあどけなさが見て取れるのに、どこか少年のような凛々しさをのぞかせていた。ふてぶてしくもあり、オルカには熟練の狩人を彷彿とさせる。そしてその予見は恐らく、当たらずとも遠からずといったとこだろう。
「それでね、オルカ。提案なんだけど――」
 腰に手を当て、目線一つ程背の低いノエルが見上げてきた、その時だった。
 突如地鳴りと共に足元が揺れた。激震は激しい縦揺れを呼んできて、たちまち二人は平然と立ってもいられなくなる。強靭な足腰でこらえたオルカは、咄嗟によろめくノエルを支えた。鍛えぬかれたといっても年頃の少女、なだらかな肩は華奢で柔らかい。そんなノエルは悲鳴こそあげなかったが、遠慮なくオルカに抱きついてきた。
 周囲では水夫達が口々になにかを叫びながら、ただうろたえて揺れがおさまるのを待つ。
 僅か数分の地震だったが、ノエルの体温を抱きしめるオルカには酷く長く感じた。
「ふう、終わった。……もういいかな? ノエル」
「ほへ? あ、あっ、うん。その、ごめん……びっくりしちゃって」
 オルカの背中に手を回し、がっちりしがみついていたノエルは急に頬を赤らめた。そのまま弾かれるように飛び退いて、あわあわと自分の前で両手を振る。
 どうやら入港した船も無事なようで、口々に安堵を呟きながら水夫達も顔を見合わせていた。
「これがギルドが言ってた地震か。あ、オルカは聞いていない?」
 照れ隠しに口早になるノエルの言葉へ、静かにオルカは首を横に振った。
 ノエルの話では、モガの島は最近原因不明の地震に悩まされているらしい。村長にはどうやらその原因も心当たりがあるらしく、調査と解決もモンスターハンターに依頼したいとのことだった。
 モンスターハンターにクエストとして舞い込む話ならば、地震の原因はただ一つ。
「なるほど。じゃあ、急いで村に向かった方がいいな。こんなところで足止めされてる訳には」
「だよね? そこでオルカ、改めて提案があるんだけども」
 つい、とノエルが指差す先へオルカは首を巡らせる。
 そこには真っ暗な樹海が広がっていた。生い茂る木々は見上げるほどで、その奥には全く光がさしていない。
「島の西端にモガの村はある。だから、この森を突っ切れば半日ってとこだね」
 狩場として一般的に開けた東側と、島の住民達が住むモガの村。その間に広がるのは、人を寄せ付けぬ原初の森。その深海にも似た漆黒の闇を前に、思わずオルカは息を飲む。
 この森は、底が知れない……なにか、オルカの中で経験からくる直感が警鐘を鳴らしていた。
 そんなオルカの危惧を言葉にするものが背後に現れた。
「待ち給え、君達はまさか……モガの森を抜けて行こうというのかね?」
 そこには自分達を乗せてくれた船の船長が立っていた。どうやら彼の船は入港して安全になったらしく、海図や望遠鏡を手に降りてきたところだ。彼は怯えを隠せぬ表情を青白く凍らせている。
「彼女はそう言ってますけど……聞かせてください、船長。あの森には何が?」
 反論しようとするノエルを制して、オルカは船長の言葉を待った。
 だが、返ってきたのは意外な言葉だった。
「わからん……だが、恐ろしい場所だと聞いている。そこは凍えるほど暑く、うだるように寒いとか」
 船長の言葉に周囲の水夫達も異口同音に頷く。曰く、恐ろしい魔女が住んでいるとか。曰く、ありとあらゆる飛竜が閉じ込められているとか。曰く、地元のモガの村からでさえ森に入る者はいないとか……この島の実に半分以上の広さを専有する樹海で、色々な国や調査機関が人員を送り込んだが、誰も帰ってはこなかったという。
 だが、そうした話を聞くことで逆にオルカは平静になる。同時に好奇心と探究心が疼き出した。
「だってさ。どうする? ノエル」
「まあ、概ね予想通りの反応ってとこかな」
 オルカは冷静に与えられた情報を精査し、その意味を紐解いてゆく。誰もが皆、自分が経験したことを語ってはいない……人伝に聞いた話、又聞きした話ばかり。そして、そのどれもが一貫性がない。根も葉もない噂である可能性は極めて高い。勿論、用心するに越したことはないが、一人前のモンスターハンターなら自然の森で方角を見失う可能性は低い。真っ直ぐ歩けば半日で目的地、モガの村だ。
 ノエルと顔を見合わせ頷き合うと、オルカは踵を返した。
「船長、色々とありがとう。でも、ちょっと急いでるんだ。……それに、興味もある」
「そうこなくっちゃね、オルカ。じゃ、そゆことで。行こう! あたし達の新天地、モガの村へ」
 呆れた様子の船長や水夫達に別れを告げて、オルカとノエルはモガの森へと足を踏み入れた。

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