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 オルカがシキ国から戻ってきた時、タンジアの港は地獄絵図と化していた。既に正面の港湾は戦場さながらの喧騒で、オルカ達は普段は観光客で賑わうビーチ側から揚陸を果たす。だが、そこには肌を焼いたり海水浴に興じる市民の姿はもういない。臨時のベースキャンプとなった砂浜には、港の守備隊やハンター達の姿がせわしく行き来していた。
 だが、誰の顔にも絶望と疲労の色が暗く淀んでいる。
 そして沖には、多くの狩猟船が沈没の煙を上げる中に、巨大な古龍の姿が迫っていた。
「おーおー、随分とまあ派手にやってらあ……こりゃどう見ても負け戦だな」
 呑気に額に手を当て遠くを望むウィルの、その軽口も今はどこか空虚だ。この男は嘘は言わないし、戦況が極めて不利というのはオルカにもわかる。ようやく戻ってきたタンジアの港は様変わりしていて、硝煙と血の匂いが充満した死地にも等しい。四人一組、フォーマンセルでの狩りを掟とする、その挟持すらかなぐり捨ててさえ敵わない……そんな脅威を前に、人々の心は折れかけていた。
 だが、アズラエルが指差す先を見て、オルカは希望の小さな灯火を見出す。
 そこには、声を張り上げながら忙しく働きまわる一人の少女が汗を流していた。
「バリスタをもっと並べて! 怪我人は奥へ、ほらほら手を止めないっ! ぼさっとしてると尻を蹴飛ばすよっ」
 兵達やハンター達を叱咤激励して、人一倍動いているのは誰であろう、ノエルだった。
 彼女は今、煤だらけになった頬を拭おうともせず、火薬を運んで誰よりもせっせと動いている。彼女の指示の下、怪我人が奥へと運ばれてゆき、変わってどんどん弾薬や支給品が運び込まれていた。彼女の存在だけが、この臨時のベースキャンプで僅かな望みをオルカに感じさせる。
 そしてオルカにとって、オルカの仲間達にとって……男達にとって、希望の種は僅か一握りで充分。
 どうにか火薬の山を運び終えたノエルは、こちらの視線に気付いて振り返った。
「あ、オルカ! ウィルも……そっちはお仲間さん? ……戻って、きて、くれたんだ。うう、オルカァー!」
 ノエルはオルカ達を見るや駆け出し、一目散に向かってきた。
 ハハハとさわやかな笑みで両手を広げたウィルが、スカッと空気を抱き締める。その横を通り過ぎてオルカの前まで来たノエルだが、急ブレーキで思いとどまったように立ち止まる。膝に手を当て呼吸を整えると、面を上げてニカリとはにかんだ。
 その眦に小さな光が輝いていたが、彼女は決してその雫を零さない。
「絶対に戻ってくると思ってたよ。そっちの首尾は?」
「ああ、とんでもないのが暴れてたけど……討伐したよ」
「一人足りない、遥斗は? 何かあったの?」
「……エルが。いや、エルの中から湧き出た何かが、遥斗を」
 簡単に事情を説明するオルカは、ノエルに連れられ人まずはベースキャンプの天幕へと導かれる。その後をトボトボと肩を落として歩くウィルは、まあまあとアズラエルに慰められていた。
 オルカの言葉にショックを受けながらも、やはりノエルは取り乱す様子を取り繕って極力見せようとしない。
「そう、そんなことが……それ、絶対エルじゃないよ。エルならそんなことできるもんか」
「俺もそう思う。なら、あれはいったい」
「わかんない。わかんないってことだけ、あたしにはわかる! だから今は、考えるのはよしとくよ」
 天幕の中は休憩スペースになっていて、簡易的な寝台も設置されている。
 そしてそこでオルカを待っていたのは、組み上げられて台座に座る、白亜の闘神の姿だった。太古の神々を、異国の黄泉路を司る冥狗神を象るその武具が、じっとオルカを待ち受けていた。
「ノエル、これは……」
「さっきモガの村から運び込んだんだ。さ、着替えてよオルカ。あんたの新しい鎧だ」
 それとも、そのズタボロで狩りにでる? そう言って笑うノエルが肘でつついてくる。突貫工事で作ったオウビート一式は、アマツマガツチとの激しい戦いで破損していた。僅か一度の狩りでこうまで……そう改めて驚かされ、アマツマガツチの恐ろしさが思い出される。だが、希望のアゲハを素材に作り上げた鎧は、砕けて割れることで衝撃を逃し、オルカを守ってくれたのだ。
 今、役割を終えた防具をそっと脱いで、目の前の新たな力へとオルカは手を伸ばす。
「よぉ、ノエルちゃん。……ヘルムがねえぞ、これ」
 ウィルのロワーガ一式も同じく用をなしていないが、あいにくと目の前には一着の防具しかない。
 そしてそれは、ウィルがわざわざ素材を譲ってくれたオルカのための一着だった。
「あ、うん……頭部だけ、間に合わなくて。まだ、作ってる。けど、四カ所だけでもないよりマシでしょ?」
「ちげえねえ。んじゃオルカ、着替えちまえよ。アズ、行こうぜ……最後の星龍、ブッ潰してやる!」
 だが、腕組み黙ってアズラエルは動かない。その寡黙な目線が無言でウィルを引き止めていた。
「……俺の防具か? ハッ、当たらなけりゃどうってことねえよ」
「ウィル様、貴方ほどのハンターならもうお気付きでは? その防具の破損状況では、一撃で死にます」
 身も蓋もない言葉だが、アズラエルの声は震えていた。
 そして、髪をバリボリとかくウィルが鼻で笑う。
「しゃーねぇだろ? お前やオルカが命張るってんだ。……なら、死んでやるしかねえよ。おかしいか?」
「……いえ、ちっとも。ウィル様らしいです。……あんたはいつもそうだ」
 アズラエルが噛み殺して口の中に呟く北海の言葉が、小さく湿ってくぐもり響く。
 そんな時、背後で天幕が開かれ遠く燃える街の光を連れてきた。
「ウォーレンさん! こんなこともあろうかとっ! 団長からお預かりしたものがありますっ!」
 突然背後に現れたのは、確か鉄騎を束ねる団長と共にモガの村に来た少女だ。確か遺物管理班の――
「よぉ、うにとろじゃねーか。どした? お前、逃げ遅れたのか? ……団長はちゃんと逃げてんだろうな」
「クレア様なら港湾の避難指揮を取ってます。港の管理者達からの正式な依頼でして」
「ったく、商魂たくましいねえ。鉄騎なんぞに頼ったら尻の毛まで抜かれちまうってのによ……ん?」
 突如現れたうにとろは、ウィルに一着の服を押し付けて、そのままオルカにずんずか寄ってくる。
 着替えようとしていたオルカは、目を爛々と輝かせるうにとろに思わず一歩引き下がった。
「オルカさんの封龍剣を、刹一門を貸してください! 五分、いえ七分で仕上げますから!」
「……増えてるよね。や、それより、ええと、うにとろさん? 何を……」
「以前、モガの村で分解整備をしてますよね? その時、封龍ビン回りの改良案を鍛冶屋さんで考えてました! みんなで」
「え? それって」
 うにとろは勝手にオルカの腰から剣斧を取り上げると、瞬く間に分解し始めた。そうしてあらわになるのは、普通のソルブレイカーとは明らかに違う刀身……遥か太古の昔に紡がれし封龍の刃。そしてその変形機構の中枢で怪しく光る、この世にただひとつのオーパーツ、封龍ビン。うにとろはポケットから取り出した工具で慎重にその周囲へと、新たなパーツを取り付けてゆく。
「言うなればこれは、過給器……タービンです。古龍や飛竜に反応して圧縮される封龍ビンのパワーを循環、増幅させる」
「でも、そんなことをしたら刀身は」
「もちます! ……多分。この刀身、刹一門は我々が精製不可能な金属でできた旧世紀の遺産ですから。多分絶対大丈夫です!」
「……た、多分だったら絶対じゃないよね。でも、それで充分かもしれないな、今の俺達には」
 そう、不確かな希望でも充分なのだ。ナバルデウスより削りだした防具に身を包みつつ、オルカは自分にも言い聞かせる。例え僅かな望みであっても、それがゼロではない限り戦える。暗黒の絶望に光る僅かな希望であっても。
 その時背後で、震える声が響いた。
「おい待て……うにとろ、こいつぁ」
 だが、うにとろは作業から目を離さず背中で言葉を返した。
「クレア様から伝言です。……タンジア防衛に鉄騎より最強戦力を派遣、人数は百人隊長を一名。以上です」
「……俺にまたこれを着ろってか。着て、いいのかよ。だって俺ぁ、ナバルの奴を倒すために団長に」
「クレア様が言ってました。その戦衣を着る者こそ、鉄騎そのものだと。さあ、急いで下さい!」
 そのままうにとろは、外観はヘリオスクラッシャーへとなったオルカだけの封龍剣を組み上げる。見た目こそ大きく変わらないが、新たに封龍ビンの増幅機能を埋め込まれた剣斧をうにとろは抱え上げた。
 そして振り向けばそこには、百人隊長の戦衣に袖を通すウィルの姿がある。
「懐かしいねえ。……この島に来た時以来だぜ」
「百人隊長は何人もいますけどね、ウォーレンさん。クレア様が頼りにしてるのは、貴方だけですから」
 そこには、胸に「百」の文字を刻んだ狩人の姿があった。
 正式な鉄騎の団員、それも百人隊長を示す戦衣を身にまとったウィル。彼は感慨深く己の胸を撫でると、パン! と拳を己の掌に叩き付けた。そこにはもう、浮ついてにやけた伊達男の顔はない……一人の熟練ハンターの凄みが満ちる。
「さて、じゃあ俺も着替えを急がないと。ノエル、状況は?」
「ルーン達が沖で足止めしてるけど、続いた狩猟船が何隻も沈められてる。……みんな言ってる、魔女だって」
「エル、そこにいるのか。俺は……いや、今は迷わない。最善を尽くそう」
 ああ、と頷くウィルに急かされ、オルカは新たな防具を身につけた。ヘリオスX一式はしかし、ヘルムだけがない。それでも、己を包む防御力が今までにない性能を秘めていることはオルカにもわかった。時間があれば装飾品も吟味して、終の一着にしたいくらい。だが、今は急いで狩場へと馳せ参じ、仲間と共に戦わねばならない。既に最終決戦の火蓋は切って落とされたのだ。
「さて、それでは私は先行します。ウィル様、ノエル様も。オルカ様をよろしくお願いしますね」
 黙って成り行きを見守っていたアズラエルだが、懐から何か小さな袋を取り出しつつ外へ向かう。
 この男でもお守りを身につけるのかとオルカは驚いたが、アズラエルは小袋をオルカへと放り投げた。
「オルカ様、これを……以前ユクモ村で、一緒に闘技場へ出かけたのを覚えておいででしょうか」
「ああ、うん。……え? じゃ、じゃあこれ、アズラエルさんの大切な」
「お貸しします。絶対に返して下さい、貴重品なので。オルカ様の手で返してくださると嬉しいです。では」
 アズラエルは最後に青い箱から支給品を取ると、そのまま行ってしまった。
 オルカの手には今、剣聖レベルの剣士に与えられるというピアスが光っていた。

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