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 バルバレの街が見上げる空は、今日も快晴に風を走らせる。
 大陸の奥から吹き渡る風は、この街に接する砂海からの砂埃を押し返してくれる。ここに暮らす者たちは皆、中原からの風に感謝を欠かしたことはない。
 遺跡平原より戻ったオルカもまた、やむことなく砂海へと抜けてゆく風を見送り見上げる。
「オルカ、宿の前に少し話したい。先生もいいか? そうだな、飯でも食いながら」
 隣でト=サンが(あご)をしゃくるので、オルカはニャンコ先生と一緒に頷く。
 ちょうど空腹も限界だったし、腰を落ち着けて話したいこともあった。先ほどの遺跡で見た、古龍のレリーフ……その壁画は無言で、忘却の彼方へと消え去った太古のロマンを語っていた。
 だが、何故だろう……オルカには今、そうした感受性とは真逆の気持ちが動く。
 それは危機感……狩人としての経験と直感が、額の奥に警鐘(けいしょう)を鳴らしているのだ。
「例の古龍のレリーフについてですね。俺もなにかこう、底知れぬものを感じました」
「俺は一介のハンター、爆破専門の剣士にすぎん。だが、言葉にできぬものを今、な」
 それを二人と一匹なら言葉にできる、そのいいしれぬ何かに輪郭を与えることができる……そうト=サンは言うのだ。思慮深さを垣間見せるその横顔は、どこかオルカの兄に似ていた。歳も恐らく、そう変わらないだろう。
 兄は今、たしかドンドルマ……そう想いを馳せていたその時、鼻孔をくすぐるいい匂いが風に乗ってくる。見れば、居並ぶキャラバンの荷車がそこかしこに出店を出していた。色とりどりの交易品が並び、どの屋台にも国際色豊かな食材が所狭しと並んでいる。
 そういえば風の便りに、アズラエルがとある旅団の雇われハンターになったと手紙を送ってきたのを思い出す。
「アズさんの旅団は今頃どこかな……このバルバルに来てたりしないだろうか」
「オルカ? ト=サンが店を探してるであるぞ。小生はそうであるな……ジュルリ」
「よだれ出てますよ、ニャンコ先生。……ふふ、そういうとこ、エルは似たんですね」
「……そうであるな。モガの森での暮らしは楽しかった。静かな環境で研究に打ち込む……はずが、拾ったエルグリーズが騒がしいのなんの! 退屈しなかったぞよ、小生は」
 足元のニャンコ先生が遠い目になった。彼は今でも、去ってしまったエルグリーズを愛娘(まなむすめ)のように感じているのだ。口を開けばデクノボーだウドの大木だと言う割には、本当にかわいがっていたのがオルカにも伝わってくる。
 そんなオルカの腕を離れた猟虫(りょうちゅう)のクガネが、慰めるようにニャンコ先生の頭にとまった。
「はは、クガネは優しいな。おっとそうだ、クガネもご飯の時間か、そろそろ」
「猟虫は賢い生き物であるからしてな……小生、慰められたようぞ」
「一緒に旅をしてきた仲間ですからね」
 オルカは小さな背嚢の中へと、虫餌(むしえ)を探して手を突っ込む。
 その時、背後に気配を感じた瞬間、ガシリ! と肩に太く逞しい腕がかかった。
「若者よ! もしや昼飯を求めて屋台を物色してるのかね?」
 すぐ近くに男の顔があった。白い髭を蓄えた、赤い帽子の男だ。恰幅はいいが身は引き締まって、ともすれば同業者に思えなくもない。だが、大剣や片手剣といった武器を持っていないことから、モンスターハンターではないようだ。
「え、ええ、まあ……連れが店を探しにいってて」
「そのお連れさんってのはあいつかい? 火薬の匂いはなるほど、炭鉱の民か」
 男は髭だらけの顎をしゃくる。
 どうやらト=サンは、昼時で混雑する中に空席を見つけたらしい。一匹のアイルーが包丁を振るう、少し手狭な屋台だ。
 オルカはこれ幸いと、客引きと思しき男の手を肩からゆっくり丁寧に払う。
 だが、男は不思議な距離感で、今度はオルカの前に回りこんで親指でト=サンの方向を指差す。その体捌きはやはり、只者ではない。
「いい選択だ! ありゃ、俺の旅団で出してる店でな。どうだい、安くするぜ!」
「そ、そうなんですか。では、お言葉に甘えて……ちょうど連れが席を取ってくれたようですし。……ご、強引な人だなあ」
「ガッハッハ! 聞こえているぞ若者よ! 見たところお前さんもハンターだな?」
 男はのっしのっしとまるで熊のように、自分の店だと豪語した屋台に歩いてゆく。だが、やはりその背にはまったく隙がない。
 ニャンコ先生と顔を見合わせ、苦笑しつつその背に続いた時……突如耳朶(じだ)を打つ声。
 その声はけたたましくて騒がしくて、キンキンとやかましくて。
 だが、懐かしく感じたその瞬間には、足元のニャンコ先生が飛び出していた。
「いらっしゃいませりー! らっしゃっせー、らっしゃっせー!」
 再度響く、その脳天気で底抜けに明るい声は間違いない。
 それはかつて、モガの森の魔女と呼ばれた少女の声。
「ご飯食べていきませんかー、おすすめは棘肉(とげにく)チャーハンで……わぷっ!?」
「エルグリィィィィィィズ! どこへ行ってたであるか! ここで会ったが百年目ニャ!」
「わわ、ニャンコ先生!? お久しぶりですっ」
「お久しぶりじゃないニャ! どれほど探したと思ってるんニャ? このっ、バカ娘ぇ!」
 そこには何故か、裸にエプロン姿で料理を運ぶエルグリーズの姿があった。よく見ればインナーは着ているのだが、何故半裸でエプロンだけを身につけているのか、それがオルカには理解できない。席を取ろうとしていたト=サンが戻ってきて、不思議そうなオルカに「そういう需要も……あるらしい」とだけ言ってくれた。
 ともあれ、エルグリーズの顔面に張り付いて、ニャンコ先生はおいおい泣きながら尻尾を振り乱していた。感極まった故に、普段の落ち着いた口調が今はない。
「およ、エルと知り合いかい? ありゃ、アズたちが拾ってきた女……だと、思う、けど、女だけじゃない娘っ子でな。恰好? ガッハッハ、あれで客足倍増よぉ!」
 赤い帽子の男が豪快に笑う。
 その顔を見たト=サンは、オルカにもわかるほど露骨に表情を激変させた。
「……貴方は、もしや」
「おっと、若ぇの! それ以上は言うねぇ。さ、飯だ飯! 二人とも来い! 俺のおごりだ!」
 ト=サンの言葉を遮り、二人の背を押して男は強引に屋台へと向かう。
 気になることが重なったが、エルグリーズとのまさかの再会にオルカは驚きも吹き飛んでしまった。だが、それでも先程の言葉の中に懐かしい名前を拾う。
「アズたちと先ほど……もしやハンターのアズラエルをご存知ですか?」
「おうてばよ! アズは俺の旅団のハンター……人呼んで、我らが団ハンター! ガハハ、格好いいだろう。アズの奴は微妙な顔しやがるがな!」
 それは、アズラエルじゃなくても、微妙な顔になる。実際今、オルカがそうだから。
 ともあれ、オルカはト=サンと一緒に屋台に座らせられる。
 すかさず首からニャンコ先生をぶら下げたエルグリーズが、冷たい水を運んできた。
「久しぶりだね、エル。紹介するよ、こっちはこれから一緒に仕事をする」
「ト=サン、そう読んでくれ。外地の者たちにはその方が発音しやすい筈だ」
 エルグリーズは一年前と変わらぬ姿で、真っ赤な瞳でオルカを見詰めてきた。
 その白すぎる顔を見上げて、オルカも自然と笑みが浮かぶ。
 だが、同時に……疑念。余りにも都合が良すぎる。運命と言うのなら、それはどのような結末へと流れて自分たちをいざなうというのか? 柄にもなくよからぬことが脳裏をよぎり、その考えを振り払う。
 ここはバルバレ、交易の拠点にして全ての道が交わり連なる街だ。交通の要衝なれば、人と物とが行き交う中での再会は確率的にもおかしな話ではない。
 だが、エルグリーズがいて、アズラエルやキヨノブもいるという。
 ――奇妙な不安は脳裏に、白金(プラチナム)に輝く翼の古龍を紡がせた。あのレリーフの古龍だ。
「オルカと、ええと……とーさん? もしやあなたは、おとーさんですか!?」
「いや、俺の名はト=サン……なんだが、まあ、うむ。好きに呼ぶといいさ」
 ト=サンの仏頂面がやわらかな微笑に緩む。
「エル、それより今までどこに? ええと、何から話せば……そうだ、アズさんは――」
「オーダー! えっと、肉と魚を炒めたり焼いたり、あとは酒と乳製品をありったけです、おふくろさんー! え? エルですか? これは、そう……ウェイトレスです!」
「……相変わらずだね、なんか。その、酷く安心するけど……話、聞こうよ。あと、顔近いよ」
 オルカは、ぐいと顔を近づけてくるエルグリーズを押しやり、調理場の女将さんの威勢のいい声を聞く。ぱたぱたとエルグリーズが他の客に呼ばれていってしまったので、オルカは改めて腕組み考えにふけった。隣のト=サンは、彼は彼でまた例の赤い帽子の男のことを考えているようだった。
 その赤い帽子の男はといえば、二人の隣に遠慮無く座って、既に一杯飲み始めていた。
 天高く昇る太陽だけが、様々な思惑を(くゆ)らしこれから交えようとする男たちを見下ろしていた。

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