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 エルグリーズはほくほくの笑顔で、パンパンに膨れ上がったポーチを上からポンポンと叩く。
「にふふ……大漁ですっ! これはエル、とっても大金持ちな予感……!」
 一人であるにもかかわらず、エルグリーズは自分で自分に語りかけ、立ち位置を入れ替えて二人であるかのように演じながらにんまりと頬を緩めた。
 余人が見たらさぞキモかろうが、彼女はそんなことを気にかける人間ではない。
 ありったけの鉱石を掘り尽くすまで採集して、最後にはピッケルを捨ててまでぎゅうぎゅう詰めにポーチへ詰め込んだのだ。採集を狩りの一部、モンスターハンターとは切っても切れぬ生業(なりわい)の一つというのなら……まさしく彼女の狩果は、素晴らしいものだった。
 この場合、他の仲間が黒触竜(こくしょくりゅう)ゴア・マガラと死闘を繰り広げているという現実は、失念している。だが、そのことを誰が責められようか。責めてもいいが、きっと気にしない……馬の耳に念仏だ。
 誰が呼んだか、モガの村の一流炭鉱夫とはエルグリーズのことだ。
 南海の孤島モガの村で、鉱石の採集や昆虫採集、薬草採りで名を馳せたのは彼女である。
「ああ、どうしよー! エル、この鉱石を売ったら今夜の夕食は……ジュルリ」
 鉄鉱石や大地の結晶がポーチの中で鳴るたびに、エルグリーズの頬はだらしなく緩みきってしまう。ホップ&ステップ&ジャンプで段差を飛び越えながら、彼女は有頂天で洞窟の外、太陽が照りつける遺跡平原へと飛び出した。
 勿論、ゴア・マガラのことは忘れてなどいないつもりだ。
 つもりだが……思い出すことを忘れているのがエルグリーズというハンターだった。
「在庫のある石は売るとして、ですよ? ふふふ、売るとしてですよっ! じゃーん! 今日は意外に多く取れたマラカイト鉱石! これをですね、うふふ……」
 エルグリーズはスキップで軽快に階段を歩く。
 そのエリアに巨大な翼が影を落としたことになど、気づくはずもなかった。
 改めて脚を止め、ポーチの中をのぞきこんでエルグリーズはウシシと笑みを零す。
「そう、このマラカイト鉱石! あ、あれ? マカライト? どっちだっけかな……でも、どっちにしろ! このマカラカイト鉱石でっ! 新しい防具、作っちゃうかもですっ!」
 マカライト鉱石は、ハンターの手頃な武器防具を作るのには欠かせない。モンスターから剥ぎ取った牙や爪、そして甲殻や鱗などを材料に作られる武具も……その材料同士を繋ぎ合わせるのは、鉱石から作られた金具と留め具なのだから。
 勿論、マカライト鉱石くらいのレベルになれば、それ自体が有意義な材料になる。
 だが、エルグリーズが知っているのは「なんか高価な石」ということだけだ。
「よしっ、やることやったです! あとは……オルカたちに合流して、ええと、うん! ゴア・マガラを倒すです!」
 エルグリーズは今更ながら、一人猛々しく気炎をあげた。
 そうして「えいっ、えいっ、おー!」と拳を天へと振り上げた、その時。
 背後に、重々しい質量が着地する音を聞く。
 風圧が舞い上がり、風化した煉瓦(れんが)を踏み抜いて何かが舞い降りた。
 エルグリーズは「おー!」と無邪気で無垢な、悪く言えばアホ丸出しの笑顔で拳を振り上げたまま、固まった。……動けなかった。自分の背に今、強烈な害意を放つなにかがいる。
 それでも、ギギギギと硬い音を引き連れて、表情を凍らせたエルグリーズは振り向いた。
 そこには――
「ほぎー!? ゴゴゴゴゴ、ゴアッ、マギャーラ!?」
 一瞬で浮かれた気持ちが霧散して、瞬く間にエルグリーズは転がるようにその場を離れた。実際転がって這いつくばり、鉱石を散らかし零しながら逃げまわる。
 そこには、傷つき怒れるゴア・マガラが巨躯を震わせていた。
 そして絶叫、咆哮。耳をつんざく雄叫びに、エルグリーズは涙目で両耳を抑えしゃがみ込む。そうしている間も、ゴア・マガラは不気味な足音を響かせながら、エルグリーズへと迫った。
 戦闘不可避の遭遇戦……流石のエルグリーズも脳天気ではいられない。
 そして、膝を抱えて屈み込むエルグリーズは、次の瞬間には脳裏のスイッチを切り替えた。
「……ゴア・マガラ。エルの記憶にない飛竜。飛竜かどうかもわからない、謎の敵性体」
 その時、エルグリーズは数千年の記憶を紐解きながら表情を引き締める。
 既に、仲間を放って採集に勤しむ破廉恥なモンスターハンターの顔はなかった。
「エルに狂竜ウィルスは効かないでするよ……ゴア・マガラッ! 勝負!」
 エルグリーズは立ち上がると同時に、背の大剣を抜刀して駆け出した。
 ブレスで弾幕を張るゴア・マガラの、その正面へと飛び込んでゆく。
 錆びて朽ちた発掘品の剣が、鈍い光を集めて輝いた。
 そして、インパクト……身を翻して舞い上がる闇の波動を避けるや、エルグリーズは渾身の力で大剣をゴア・マガラの頭部へと捩じ込む。手負いのゴア・マガラは、傷もあらわな頭部への一撃に悲鳴をあげた。
 同時にエルグリーズは、固い手応えに弾き返されてすっ飛ばされる。
「んぎぎぎっ! 全っ然っ、斬れないです! やっぱり研がないと駄目ですね」
 エルグリーズの握る大剣は、ただの赤錆びた鈍器だった。刃に鋭さは無く、冴え冴えと光る刀身もない。ただ、その大質量だけが武器の金属の塊……それだけの武器だった。
 それでも、遺跡平原の奥底、未知の樹海から掘り出したこれだけがエルグリーズの頼りだ。
「とにかく、ええと……そう、信号弾! オルカたちに連絡を取るです!」
 油断なく剣を構えつつ、ゴア・マガラと正対しながらエルグリーズはポーチを探る。そのたびに鉱石が、ボロボロと絶え間なく零れた。だが、鉄鉱石や大地の結晶、マカライト鉱石を拾っている暇はない。
 エルグリーズが円筒状の発煙弾を探り当てた、その時だった。
 ゴア・マガラは吠え荒ぶと同時に、その黒衣にも似た闇の翼を広げる。
 そして、周囲の空気が一変した……空に輝く太陽は陰り、その煌めきを失う。
 周囲の空気はドス黒く濁って、エルグリーズは薄暗がりの中へと突如放り込まれた。
「な、なんですか!? こ、こらっ、ゴマちゃん! えっと、ゴア・マガラ! ……さん。ゴア・マガラさん? そのー、なにをなさりやがったですか?」
 おっかなびっくりなエルグリーズが、徐々にその言葉を弱気にさせてゆく。
 今、周囲は真昼の中で夜へと様変わりしてしまった。
 闇夜よりなお薄暗い、日食でも起きたかのような暗黒が広がっていた。
 その中心で翼を、その厳つい副椀を広げたゴア・マガラに変化が生じる。無貌(のっぺらぼう)だった顔には瞳が開き、左右で対をなす角が生えてきた。そればかりではない、一回り大きくパンプアップした巨躯は、まるで古龍。
 全く異なる姿へと変貌を遂げたゴア・マガラは、生まれ出る濁った瞳でエルグリーズを睨んだ。エルグリーズは太古の叡智に記録されていない生命体を前に、驚きの表情で畏怖に震える。そんなエルグリーズの頼りないひきつった表情が、ゴア・マガラの瞳に歪んで映った。
 ゴア・マガラは雄々しい咆哮を張り上げ、エルグリーズへと突進してくる。
「なんのぉーっ、これしきーぃ! エルは、負けないですっ!」
 慌てて身を投げ出しつつ、エルグリーズは発煙弾の発射を諦める。そんな余裕など持てない、まさしく命のやりとりが連続する狩場のまっただ中に彼女はいた。
 そして相手は、未知の恐怖で迫り来る暗黒の襲撃者(イントルーダー)……黒触竜ゴア・マガラだ。
 エルグリーズは態勢を立て直しつつ、冷静に大剣を構える。
 こんな時に、ただただ錆びて重いナマクラが心細かった。
「ふむ! やばいです! エル、超ピンチです……しかし。黒触竜とはよくいったものですね」
 エルグリーズは独りごちてじりじりと後ずさる。
 ゴア・マガラはその膨れ上がった巨躯で、圧倒的な気配を広げながらエルグリーズに迫る。気圧されたエルグリーズはもはや、風前の灯……いかな人知を超えた怪力と生命力のエルグリーズでも、一人ではいかにも心細かった。
 そして、彼女は目の前の威容を改めて分析する。
 その名が謳う通り、黒触竜……暗黒の闇を持って、触れる全てを侵食するがごとし。
 今のゴア・マガラは、飛竜にして飛竜にあらず、古龍にして古龍にあらず……強いていうならば、闇。人類が原初の恐怖をもって崇める、闇そのものだ。
 だが、エルグリーズは人類ではない。
 彼女こそは、かつて人類に仇なし敵対した、龍の権化なのだ。
「よーし……やってやるです! フンッ! 真っ暗が怖くて、ハンターができる、かぁーっ! ですーっ!」
 エルグリーズは気迫を込めて踏み込むと同時に、剣を振り上げ跳躍する。
 それをゴア・マガラは、吸い込む呼気を闇のブレスとして解き放った。

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