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 激しい衝撃を受けて、()けた身体に痛みを感じたト=サンは意識を取り戻した。己を包むレウスシリーズの防具は、未だ音も激しく熱気を放出している。
 自分を今しがた台車から放り出したアイルーが、ガラガラと去っていく音が聞こえた。
 気付けば、ト=サンはベースキャンプに身を横たえていた。
「……そうか、俺は……リオレウスのブレスをまともに喰らって」
 よろよろと身を起こすト=サンは、未だ防具の上で燻ぶる豪炎の残滓(ざんし)に身震いした。全身を焼き尽くすような火焔は、今もト=サンのレウスシリーズに熱気を灯していた。ト=サンはレウスヘルムを脱ぐと、まだ白煙を巻き上げるそれを地面へ置く。
 立ち上がることもできずへたり込んだまま、ト=サンは記憶の糸を辿り始めた。
 あの時、雄火竜(おすかりゅう)リオレウスと雌火竜(めすかりゅう)リオレイアが同一エリアに居座る中で、ト=サンたちモンスターハンターは戦いを挑んだ。その結果、リオレウスを集中攻撃するべく死力を尽くしたが……捕獲できるのではと焦った彼らを待っていたのは、恐るべき底力を発揮する空の王の怒りだったのだ。
 今にして思えば、まだあの巨大なリオレウスは捕獲を許すような体力ではなかったように思える。ト=サン程の狩人にも今、果たして自分たちが優勢だったのかという疑念が拭いきれずにいた。
「……世界は、広い。狩り慣れた火竜でさえ、あのような巨大で強力な個体が」
 呼吸を落ち着け、身体のダメージをチェックするト=サン。
 骨は折れていないし、大きな裂傷や打撲もない。筋も腱も大丈夫、まだ戦える。だが、鍛え上げた肉体がいまだ健在な中で、それらが内包するト=サンの精神は大きなダメージを受けていた。ト=サンほどの玄人、熟練者でさえ手が震える。
 震える手を握りしめるもう片方の手も、まるで自分の物ではないかのように震えが収まらない。
「フッ、どうやら病気のようだな……こんな時に限って、情けない」
 それは、臆病という名の病魔だ。誰もが常に胸の奥に患いながらも、普段は症状がでることはない。皆勇敢で、仲間を信頼する限りは自覚することもない病気……しかし、一度狩りの戦いから脱落してベースキャンプ送りとなった今、ト=サンの中で卑屈な病が首をもたげていた。
 無論、ト=サンには自らを律して心の弱さを振り払う胆力と精神力がある。
 だが、それを動員するまでの僅かな時間、彼はただ一人の弱い人間でしかなかった。
 折れた心を再び立ち上がらせ、震えて縮こまる魂を鼓舞するために……もう少しだけ、ト=サンには時間が必要だった。
 ト=サンは大きく天を仰いで深呼吸すると、呼気を肺腑(はいふ)に留めて腹の下に力を込める。
 そうして立ち上がるや、ひったくるようにレウスヘルムを拾った。
「……よし、急いで戻らねばな。オルカたち三人ではあの二匹は……せめて分断できればいいのだが、そう簡単に転がってはくれぬか」
 再びレウスヘルムをかぶってバイザーを下ろし、ト=サンは自分から表情を追い払う。燃える闘志も熱い想いも、今は胸に秘めて……鉄面皮の冷静沈着なモンスターハンターとして、再び狩場へと戻るのだ。
 その前に、ト=サンはちらりと視線をベースキャンプのテント前へと走らせる。
 そこには、ト=サンが持ち込んだ大量のタル爆弾が鎮座していた。
「巣まで追い込めば、あるいは……どうする、ここで切り札を投入するか?」
 自問自答で動きを止めたト=サンは、その時耳にする。
 再びけたたましい音を立てて、アイルーの鳴き声が台車の車輪を(きし)ませながら近付いて来た。それは勿論、ト=サンに続く狩りの脱落者を意味している。
 アイルーたちは事務的にト=サンの前に、華奢な矮躯(わいく)を放り出して去っていった。
 目の前に大の字になって天を仰ぐのは、誰であろうジンジャベルだった。
「ベル、大丈夫か? ……見たところ、大きな怪我はないようだが」
 ト=サンが手を差し伸べたが、身体を開いて横たわるジンジャベルは反応しない。彼女は肩を上下させて呼吸を貪りながら、焦点の定まらぬ瞳でト=サンをぼんやりと見詰めるだけだった。
 ト=サンがそれでも手を伸べていると、その手を握る代わりに小さな呟きが零れた。
「ボク、やられちゃった……」
 ひどくか細い、弱々しい声だった。
 全身で空気を身体に出し入れしながら、そのゼェゼェと荒げた呼吸の狭間にねじ込まれた、声。ジンジャベルはようやく動かした右の拳で、その手の甲でゴシゴシと目元を拭う。
 悔し涙が滲んで溢れそうになるのを見ても、ト=サンは少しもおかしいとは思わなかった。
「強敵だからな、今回の(つがい)の火竜は。……どこか痛むか?」
「ううん、平気。平気、だけど……大丈夫なんだ、けど」
 のっそりと起き上がったジンジャベルは、普段の小さな身体が何倍にも小さく見えた。無理もない、あれだけの圧倒的な獲物に出会うのは、モンスターハンターにとっては一生に一度あるかないかだ。ト=サンとしても、ジンジャベルを気遣いこそすれ、責める気にはならなかった。
 一流のモンスターハンターほど、狩りで失敗してベースキャンプ送りになった者に優しい。それは、一流へと至る道で誰もが、悔しいベースキャンプ送りを経験しながら成長するからだ。敗北を知らぬ者は、真の勝利も知らぬまま無難にキャリアを終えるものである。
 弱さを知って強くなる者だけが、一流のモンスターハンターになれるのだ。
「ねえ、ト=サン……オルカとアズさんは」
「ああ、まだ戦っている。先ほどのアイルーがクエストエラーを告げにこないということは、二人はまだ健在だ。今、この瞬間も戦っているのだろう」
 ト=サンはあえて、気遣いを示しつつも言葉にだけは現実を実際的に切り取らせた。気休めを言っても始まらない。すぐにト=サンはタル爆弾をチェックし、その一つを固定しているロープから外す。体躯ほどの大きさがあるタル爆弾は、それ自体が一撃必殺の強力な火力を秘めている。まして、幼少期から発破(はっぱ)職人として生きてきたト=サンが自作したものなれば、威力は保証済みだ。
 淡々と作業を進めるト=サンを見やりながら、ジンジャベルはたたらを踏んでいた。
「ね、ねえ、ト=サン……このクエスト、無理じゃないかな?」
「そうか」
「今ならほら、リタイアすれば……ギルドが使った消耗品とかを補填してくれるし」
「そうだな」
 全てのクエストはハンターズギルドが取り仕切り、受注時に契約金を支払うことになっている。払われた契約金は、ギルドの運営費の他に、クエストをリタイアした際のハンターたちの損失補填等に使われることになっていた。簡単に言えば、消耗品等はリタイア時のみ使った分がまるまる保証される。だから、クエストで払われる契約金はハンター業界のために使われる公共の金と言えた。
 だが、震える声をしぼませるジンジャベルに振り返って、ト=サンは言い放った。
「ベル、お前がリタイヤすればお前の使った消耗品は補填される。それで俺も、オルカやアズラエルもお前を責めはしない。自分の実力と状況を判断することもまた、モンスターハンターに必要な技量だ」
「う、うん。……ト=サンは」
「俺はこれから、コイツでもう一勝負挑むつもりだ。既に俺とお前、二人の脱落者を出してしまった。もう一人脱落すれば、ギルドはクエストエラーと判断するだろう」
 ゴクリ、とジンジャベルが喉を鳴らす。
 だが、ト=サンは事実だけを簡潔に喋り続けた。
「ベル、お前はオルカやアズラエルが、俺が戦線に復帰するまで耐えると思うか?」
「それは……わからない、けど。けども、逃げはしないと、思う」
「そうだ。では質問を変えるぞ。俺たちが戦線に復帰すれば、この狩りはどうなると思う?」
「それは……それはっ!」
 グッと小さな両の拳を握って、俯くジンジャベル。彼女は次の瞬間には、前を向いて真っ直ぐト=サンを見詰めてきた。その目には、先程までの恐怖に曇った(うつ)ろな眼差しは微塵もない。
 ジンジャベルの腕に張り付いていた猟虫(りょうちゅう)クルクマが、羽を広げて飛び立った。
「わからない、わからないよ。……やってみないと、わからないよ!」
「そうだ……やるか? 俺はやるが、お前は好きにするといい」
「うんっ、好きにする! 好きでやってるんだって、思い出した……急いで二人の元に戻ろうよ! ボクもそれ、一つ持つから!」
 生気を取り戻したジンジャベルが、ト=サンがチェックを終えたタル爆弾を背負おうと屈む。彼女には少し重いだろうが、よろけながらもジンジャベルはしっかりタル爆弾を背負った。それでト=サンも、急いで二個目のタル爆弾を持ち上げる。
 今、この瞬間から……モンスターハンターたちの反撃が始まろうとしていた。

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