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 草木が芽吹いて蕾を開き、そよぐ浜風に花を揺らす。テロス密林は今、春を迎えた喜びに満ち溢れていた。身を寄せ凍えていた獣達も今は、陽光を一杯に浴びて繁殖の時を向かえて。生み育んで地に満ちながら、弱きを狩って強きに狩られる。生命の営みは今日も、大自然の摂理に従い続けられていた。これまでがそうであったように。これからもそうであるように。

「チィ!これだから繁殖期って奴ぁ!おいファーン!周りの雑魚を片付け…」

 生い茂る樹木を避けながら、腰に下げた得物をガチャガチャ鳴らして。振り向き怒鳴ったその場所に、何時もの少年が居ない事をアレックスは思い出した。代りにそこには、並走して迫り来る牙獣の群。桃色の毛に身を覆うコンガは気も荒く、縄張りに侵入する者へは容赦なく牙を剥く。まして今は繁殖期…その数は尋常では無い。故に、こうして本命の獲物を誘導しながら相手をするのは、熟練ハンターと言えども至難の技だった。
 背後に迫る巨大な殺気を感じ、左右から距離を狭めてくるコンガに目配せしながら。改めてアレックスは、普段からチームでの狩りに慣れ過ぎた我が身を呪った。狩りにおいて危険なのは、多種多様な飛竜達だけではない。むしろ実際の狩りにおいては、あらゆる飛竜を狩りつくしたベテランでさえ、小動物の群を前に命を落とすこともある。

「俺もヤキが回ったもんだぜ…知らず気付かずヒヨッコ頼りたぁな!」

 普段のアレックスなら、煩わしい雑魚相手に悪戦苦闘する事は無い。チームには若いが信頼出来るスィーパーが居て、この手の小物を片付けてくれるから。だからこそアタッカーたる彼が、本命との戦いに専心出来たのだが。今はそんな事を考えても始まらない。
 高速で背後へ吹き飛ぶ景色が、圧倒的な力で踏み砕かれる音がする。灼熱の息吹がもう、首筋に掛かる程に詰められた距離。木々を薙ぎ倒し、群がるコンガを蹴散らしながら。怒りに滾る陸の女王は、息切れ寸前で逃げ惑うアレックスに迫っていた。

「おいこら!手前ぇも手伝えってんだコンチクショー!何で俺ばっかもぉ…」
「何じゃ、ワシがか?御主、尾を斬るだけで良いと言うたでは無いか?ええ?」

 ハイハイそうですかと毒付きながら。アレックスは死力を振り絞って宙に身を躍らせる。彼が先程まで踏みしめていた大地は、巨大な質量の衝突で抉られた。撒き上がる土砂が木漏れ日を遮り、容赦なくアレックスに降り注ぐ。だが、それを振り払う余裕も見せずに、地を這い転げ回って彼はのた打ち回った。死から逃れて生に縋りつく…ただそれだけを行うのに、何を体裁繕う必要があろうか?その答を彼は、長年の狩りで身に付け、実践し続けていた。

「ほれ、早う走らんか。逃げてもワシは笑わんぞ?」
「うっせぇ、こっからがオレサマの見せ場よぉ!見惚れて股ぁ濡らすなよ!」

 強靭な両足で地面を掴み、ゆっくりと持ち上がった巨体が振り返る。姿無き声にアレックスは吼えると、改めて今日の獲物を見定めた。産卵の時を向かえ、一際気性の荒い密林の女王…リオレイア。その真っ赤に裂けた口が天地に分かれ、その奥の暗闇に業火が蠢く。恐るべき灼熱のブレスが今正に、狩人に叩き付けられようとしていた。

「いよぉし、カワイコチャン!カモン、カモォーン…っしゃぁ!」

 ズシリと重いブロードボーンアクスを手に、アレックスは集中力を研ぎ澄まして身構える。雌火竜の搾り出すような一撃を見切って、彼はブレスの発射と同時に地を蹴った。直撃すれば骨も残らず燃え尽きてしまう、火竜の最も危険な必殺の攻撃。それが身に触れる直前、身を丸めて前転…通り過ぎた火球に背が焦げるのを感じながら。すぐさま体勢を立て直したアレックスは、眼前に迫る女王へ謁見した。

「呆れた奴じゃな…命が幾つあっても足らんぞ?」

 親愛なる女王陛下の、その御手へ接吻を寄せるように。脳天へと振り下ろされる渾身の一撃。翼を広げた巨躯がグラリとよろめき、陸の女王は膝を付いた。間髪入れずにアレックスは、返す刀で突き出た顎をカチ上げる。巨大な瞳が眼窩でグルリと回り、悲鳴を上げてリオレイアは大地に沈んだ。いかに火竜種といえど、頭部を痛打されれば脳震盪を起こすのが道理。

「流石と言っておこう。次はワシの番じゃな…閃っ!」

 身悶え足掻くリオレイアの尾が、抜刀の一閃で宙を舞う。抜き放った太刀を背に納めて、シキ国の剣士を思わせる女ハンターがアレックスの背後に降り立った。小柄なその身を得意気に逸らせて、誉めよ称えよと鼻をならす。慇懃無礼な物言いとは裏腹に、その幼い風体はせいぜい「ハンターごっこに夢中な子供」にしか見えなかったが。

「どうじゃ?ゼム殿とてこうはいかん。見事じゃろ?」
「はいはい凄い凄い…っしゃ、さっさと剥いでずらかろうぜっ」
「何じゃ、討伐せんのか?この時期、尾を斬っただけでは報酬も出んぞ?」
「俺ぁ、火竜の骨髄が手に入りゃぁオッケーよ…カワイコチャンはお怒りだしな」

 怒気を荒げて火竜が吼える。が、既にアレックスは既に切断された尾に屈み込んで、剥ぎ取り用のナイフを突き立てていた。ハンマーを新調するにあたり、唯一足りなかった素材…火竜の骨髄を慎重に切り離して行く。未だその尾の持ち主が健在であるにも関わらず。

「…やれやれ、困った奴じゃな。御主、普段からそうなのか?」
「バッキャロォ、オレサマは紳士なんだぜ?見知った仲には甘えるけどよ」

 肩を竦めて溜息を吐く様は、幼い容姿とは裏腹に年寄りじみて。しかし実際の歳相応なのだとは、旧知の者しか知らぬであろう。信頼丸出しの背中を横目でみやりながら、セツカは再び愛刀を背から引き抜いた。本来なら恥ずべき行為も、悪びれ無くやってのける図太い根性。それを許させてしまう実力と愛嬌。惚れた弱みを痛感しながら、彼女の剣は冴えに冴え渡った。

「よっ、セッちゃん!頼りにな…アチ!アチィ!…剥ぎ取り失敗しちまった」
「ええい、気安く呼ぶで無い!さっさとこっちを手伝わんか…バカ」

 火竜の尾より骨髄を取り出すには、かなりの技術と運を要する。アレックスがその貴重な素材を工房へと持ち込むのは、まだまだ先の話だった。無論セツカも、僅かに肌寒さを感じる繁殖期の前半を、彼と一緒に密林で過ごす羽目となったが…本人にとってその日々は、必ずしも災難とは言い難かった。

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