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 彼女は必死に走った。付き従う群をも引き剥がす、強靭な脚力を総動員させて。彼女自身、今年の繁殖期に尋常ならざる違和感を感じてはいたが。今はそれより、我が身の命…ひいては、これより生まれ来る命の為に。彼女はただ、必死に走った。

「チィ、親玉が逃げるぞ!ゼムッ!」

 今季に入って初めて、彼女は本能的な危機を感じていた。この地を訪れる人間達は最近、自分等など見向きもしなかったから。狩人達は狂ったように、喜々として暴君へ挑んでいった…他の生物が遠ざかろうとする流れに逆らって。さながら灯火に集う羽虫のように。無論、その全てが業火に焼かれ身を滅ぼす。

「いやアレク、追い込んだ!」

 人間という不思議な生物の、不可解な愚かさ。それは今季の彼女にとっては、類稀なる幸運をもたらした。狩人に狙われる事も無く、群を拡充させ繁殖の時を迎えたのだから。だがそれも今日で終わり…普段なら黒き双角竜を目指し、自分達を素通りする筈の人間達。それが今、彼女の群に牙を剥いたのだ。

「追い込んだ…ああ、ならよ!」
「うん、だから周りを!」

 後ろへ飛び去る景色を追って。彼女は一度だけ振り向いた。その眼に映る光景は、無残に蹴散らされる群の姿。野蛮で残忍な人間達が、鉄と骨で同胞を駆逐してゆく。主張する縄張りも無く、食して血肉とする訳でも無いのに…人間は常に彼女等を狩りたて、その牙や皮を纏うのだ。ただ次の狩りの為に。
 逃げろ!…自らの血肉に潜む、太古より引き継いだ遺伝子が叫ぶ。種を紡ぐ生命の連鎖を、次の世代へ紡げと訴えてくる。だから彼女は全力で走った。再び前を、前だけを向いて。その進路を塞ぐ影を前に、全身のバネを撓らせて跳ぶ。渇望する生への、縋りつくような跳躍。だが、彼女は二度とその両足を、灼熱の大地に付ける事は無かった。

「ふぅ、終わったか…出会い頭の遭遇戦とは言え、派手にやったな」

 周囲に四散するゲネポスの死骸を見渡し、アレックスは手に馴染み始めたハンマーの感触を確かめる。真新しい撃鉄が日差しを浴びて、鈍い光沢で応えた。以前とは威力、耐久力共に比較にならない…試作品とは思えぬ威力に、振るい手は満足気に唸る。群がる鳥竜の群を薙ぎ倒しても、その威力はまだ翳る素振りを見せない。

「御満悦ですね、アレク」
「おうよ少年!こいつぁ俺の汗と涙の結晶だぜ…ゼム、お前さんのはどうだい?」

 一刀の元にドスゲネポスを切り伏せたゼム。彼は抜刀した大剣の血糊を拭き取ると、剥ぎ取りに駆け寄るファーンと入れ替わりに、アレックスへと歩み寄った。フルフェイスのバサルヘルムに遮られ、その表情は読み取る事は出来ないが。鮮やかな切れ味に十分満足している筈。新たに鋼龍の爪が並ぶ、火竜の翼膜で覆われたタクティクス。

「いい腕だ…最後の一振り、大事にさせてもらう」

 嘗て拠点としたジャンボ村。一時は故郷とさえ思った。仲間が居て友が居て、狩りの日々に明日があった。今はもう、その全てがあの場所に無く…二度とその地を踏む事も無い。その剣を打った友にも、もう会う事も無いだろう。馳せる想いは遥か彼方へ…されど、友の想いはゼムのその手へ。

「へへ、満足の逸品らしいな…っしゃ!狩ろうぜ、ディアブロス!」
「ま、その前に例のディアブロスを見つけないと…出来れば明るい内に」

 大剣を背負い直して、先を急ぐリーダーを追って。その無言の、しかし力強い歩みに二人は並ぶ。広大な砂漠に入って既に半日…未だ漆黒の暴君は、その巨躯を狩人達の前に現そうとはしなかった。既に日は傾き始め、限られた狩猟の期限は刻々と迫る。

「んじゃま、気合入れて探しますかね」
「次は南側を回ってみましょ…!?」

 不意に狩人達は歩みを止めた。互いに顔を見合わせ、黙って頷き合う。自分の耳が感じた、僅かな空気の振動を確かめ合って。アレックスは五感を研ぎ澄まして周囲を見渡した。ファーンは大地に耳を澄ませて蹲り、遥か遠くの音を探る。僅かに感じたのは、吹き荒ぶ風にのって聞こえた銃声…ヘヴィボウガンの射撃音。続いてペイントボールの独特な刺激臭が鼻に突き刺さり、三人は砂を蹴って駆け出した。

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