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「届けっ!」

 その言葉は誰に向けられた叫びか?薬室で火薬に尻を蹴り飛ばされ、ライフリングに身を捩られながら飛翔するボウガンの矢へか。それとも…広い探索範囲を二分した、狩りを共にする仲間達へか。恐らくは両方であり、片方のみの成就で十分。少なくともジゼットにとっては。
 彼女は今、滅多に使用しないペイント弾の封を噛み切ると、展開したヘヴィボウガンへと押し込んでいた。今までこの方、数えることが出来ぬ位繰り返してきた動作…それが今は無性にもどかしく感じる。予備も含めて二発のペイント弾を飲み込んだタンクメイジは、射手の命じるまま不安定な斜面からニ斉射。独特の砲声が尾を引き、一発が見事に命中した。土煙を上げて砂中へ沈む、巨大な双角竜の尾へ。

「そうか、これは…しまった!」

 まだ熱い砲身を抱えながら、高台を滑り降りたジゼットは毒づく。普段では見られない表情を隠そうともせず、隠さねば為らぬ相手が不在である事を呪った。獲物を求めて、待ち伏せるガンナーと探索に回る剣士にチームを分けた。そしてブッシュ戦におけるセオリー通り、ジゼットは何のミスも無く獲物にマーキングして合流を図った。が…それ自体が巧妙に仕組まれた罠だったのだ。
 炎天下の高台に身を伏せ、息を殺して獲物を待ったジゼット。その前に女帝は突如現れた。集中力を欠くまいと、兜に豪奢な金髪を押し込み顎紐を締め直した時…気付けばジゼットの視界に漆黒の暴君は佇んでいたのだ。跳ね上がる心拍数を自信と経験で押し込みながら、冷静に距離を算出するジゼット…眼と眼が合った瞬間にはもう、獲物は砂の海へと潜行を開始していた。距離は遠く、高台からの射撃は無理。

「距離を詰めつつ、炸薬を装填、射撃限界位置で全弾斉射」

 今までの手順を呟きながらジゼットは、その判断自体が間違っていない事を反芻する。判断は間違っていない…その判断の元に行動させられた、という現実を除けば。結果として身を晒してはいけないガンナーが、単身で遮蔽物の無い砂の海に立ち尽くしている。砲に弾薬は無く、収納せねば回避運動すら困難。そして自らが打ち込んだペイント弾の独特な刺激臭は…地響きを連れて近付いて来る。

「音は兎も角…この臭い。10分?いえ、5分で来る筈」」

 狩人達が獲物に付着させる、ペイント弾やペイント玉。その極彩色の蛍光塗料は、強い独特の刺激臭を放ち、その範囲は10キロ四方にまで及ぶ。大物との長期戦を見据えた狩りでは、獲物へのペイントがいわば、戦いの狼煙。鼻腔を突き刺すヒリ付いた臭いで、戦いの火蓋は気って落とされるのだ。
 そんな狩りの様式美とも言える手順を、あの双角竜は知っていた。自らとの闘争において、人間達が最初にとる行動がそれと確信していたのだ。無論、狩人達の中にも役割があり、それぞれに長所と短所があることも。例えば、鉄と火薬で矢を射る者は、その矢の届く距離を熟知した上で待ち伏せてくる。矢の届かぬ距離では手を出さず、届く距離であれば安全な場所を好む。では…届くか届かぬかの微妙な距離では?

「誘い出された…見渡す限り遮蔽物の無い、ただ砂ばかりの海へ」

 ペイントは確実に行われ、狩人達は確実にその包囲の輪の中に双角竜を捕らえた。今頃仲間達が携帯食料を齧りながら、不要な荷物を捨てつつ全力疾走しているだろう。だが、ジゼット自身を取り巻く状況は、予想する事を頭脳が拒否したくなるような惨状だった。砂埃を上げて背後に迫る、熱砂の女王の巨躯。迷わず砲を畳んで背負うと同時に、彼女は全力で宙に華奢な身を放り投げた。
 大海を往く白鯨の如く、真っ赤に焼けた砂を巻き上げて。金色の輝きを纏って、ディアブロスが吼えた。数瞬前までジゼットの居た場所はもう、逆流する砂の瀑布となって天を衝く。端整な顔を醜く歪めて、顔面から落下した彼女が立ち上がると同時に、その身を巨大な影が覆う。なりふり構わず転げるように走り出せば、落下してきたディアブロスが再び砂柱を上げた。

「交戦してからの砲声無しとなれば…ゼムが先行して突出する筈」

 不気味に蠢く尾が、再び眼下へと消えて行く。その間隙を縫って距離を取ると、ジゼットはチラリと視界の端に小高い丘を見た。砂岩質の小さな崖は、先程まで身を伏せていた高台。再びあの場所に陣取れば、大きなアドバンテージが得られるはず。加えて、まともに交戦できていない現状を察して、身軽なリーダーが一足早く現れる事も考えられた。アレクは得物に加えて防具も重く、ファーンは手持ちの荷物が多かったから。

「再度定位置確保、麻痺弾を打ちつつゼムを待つ…駄目」

 洋上の血肉を弄ぶ鮫のように、双角竜は眼下を激しく動き回る。今、あの高台へ走れば、その背後を衝かれるだろう。精一杯の跳躍で両手を伸ばし、武具込みでも決して重いとは言えない体を引っ張り上げる…その瞬間、自分がセクメーア砂漠の新たな悲劇として歌われる事を、ジゼットは瞬時に理解した。着込んだ真紅の甲冑より赤い、全身の血という血の全てを噴出して…壁面の染みになるだけ。浮上した双角竜の質量に磨り潰される。もしくは、鋭い角で貫かれ、干乾びて衰弱しするか…

「この距離、音爆届くの?兎に角っ!ジゼ、耳塞いで!」
「ばっきゃろ、貸せぇ!大老殿ボォル参号…いったらんかぁあい!」

 少年の声が熱波を引き裂き、空気を押し退け少女に届いた。思案は霧散し思考を破棄して。仲間の意図が解ったからこそ、ジゼットはその場で砲を展開。同時に手持ちの貫通弾を全弾装填、投じられた剛速球の爆心地へと振り返った。遠くなだらかな砂丘の上に、三人の人影が一瞬見えた。強肩に呆れる少年も、腕組み頷く狩鎚使いも、全身を岩竜の甲殻で覆った剣士も。三者が三様に耳を塞ぎながら、次のアクションの為に身構えていた。ジゼットは最後まで忠告を叫ぶ少年を無視して、撃鉄を引き起こして空を睨む。甲高い炸裂音と同時に、雲一つ無い青空が黒い影に食い潰された。

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