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 それは極めて理不尽な、性質の悪いペテンのようにすら感じられて。ファーンは虚空の暗闇に男の背を見つけ、手を伸べ叫んで駆け寄った。聞きたい…この事態すら想定していたのか。一変した状況をどう打開するのか。まるで遠くへ歩き去るような鎧姿に追い付き、その肩に触れて名を呼んだ…その瞬間、ファーンは現実世界へと帰還を果たした。生ある命をその身に宿して。

「気付いた…立てる?」

 ここは数日前、四人が拠点として築いたキャンプ。粗末な寝台に身を横たえ、ファーンはぼんやりと薄汚れた天幕を見上げていた。次第に焦点が定まり、視界が開けてくる。首を巡らせ、支給品ボックスに声の主を見つけた時…鈍い痛みが背骨を駆け上った。上体を起こそうとする自然な動作に、身体がダメージを訴え拒否反応を示したのだ。

「無理はしないことね」
「…キミもね、ジゼ」

 こっちを見ようともせず、支給品ボックスから僅かばかりの弾薬を集め続ける。その小さな背中を見やりながら、ファーンは歯を喰いしばって立ち上がった。大きく深呼吸して心を落ち着け、まどろみの中に見出した幻影を思い出しながら。手早く装備品と我が身の怪我をチェックしつつ、現状の整理に専念。
 砂漠を金色に染める光は、狩りの期日の最後の朝日。突如パーティを襲った予期せぬ悲劇から、かなりの時間キャンプで気を失っていたらしい。心の中で勇敢なアイルー達と、事前にネコタクの手配を怠らなかったリーダーへ感謝しながら。どっちが先に?の一言を飲み込み、ファーンは事実の確認を簡潔に試みた。直視せざるを得ない、まだドンドルマの誰もが知らぬ真実を。

「ジゼ、キミも運ばれて来たって事は…」
「そうよ、あの双角竜はつがい…獲物は二匹だった」

 鮮明に思い出せる、狩りの明暗を分けたあの瞬間。巨大な漆黒の暴君を前に、狩人達は確実に場の流れを掴んでいた。それを手繰り寄せる勢いに満ちていた。だが…思わぬ伏竜の存在が、全てを断ち切り粉々に打ち砕く。今季を伝説として語り継がせるであろう、巨大な双角の女帝…誰もが狩り得ぬ謎の正体が今、白日の下に曝されたのだった。突如現れた雄の双角竜に、ファーンもジゼットも一蹴されて。今こうして、キャンプに辛うじて生き長らえている。
 熱砂の暴君は巧みに「唯一絶対の君臨者」である自分を演出していた。そうして何人かの狩人を故意に見逃し印象付ける一方で…真に強者たる狩人に対して容赦しなかったのである。規格外に巨大なディアブロス…ただそれのみを狩ろうとする者にとって、予想外の強敵出現は、どれほど恐怖だっただろうか。不意を衝かれた多くの熟練ハンターが、砂漠の風に骸を浚われたのだ。

「オスは普通…ううん、寧ろ小さい。ひょっとしたら…」
「でも双角竜、その力に偽りナシ。これでは狩り切れない」

 ジゼットの声が僅かに震えている。僅か数秒で撃ち尽すであろう、予備の支給品をポーチに納める彼女の…振り向く顔は普段の無表情だったが。深い疲労の色が滲んで、僅かに憂いを帯びて儚げに見えて。綺麗だ…こんな時に不謹慎なと思いながら、同時にファーンは事の重大さを実感せざるを得なかった。迫る期日を前に、敵がその本性を現し本気になった一方…自分等に残された物資は少なく、縋って掴めるチャンスも無い。その糸口すら…もう、意識を集中しても、ペイントボールの臭いは感じ取れなかった。

「今から索敵…いや、もうアレクやゼムがどっちかと?或いは両方と」

 視線が赤い木箱へ向く。リタイヤを告げる信号弾を上げて、このまま引き下がれば?少なくとも契約上、あらゆる消耗品と、唯一無二の命が保障される。街へ帰って真相を暴き、その功を誇るだけで十分じゃないだろうか?恐らくは誰も責めはしない…勿論、無言で見守る傍らの少女も。自分がリタイヤすれば、仲間達もそれに続いて退き、後は合流して街へ…
 あの人の声が聞きたい。心の底から渇望するのは、尊敬するハンターの一言。ファーンはもう気付いていた…具体的な助言や現状への言い訳等、言葉を欲している訳ではない。ただ声が…ゼムの声が聞きたかった。自分が判断に迷う様を見て、声をかけて欲しかった。

「…退くの?」
「勇気と蛮勇は違う。無茶で無謀な無理を通すのは…」
「無駄という訳ね。貴方らしいけど」
「ゼムならどうする…いや、僕なら…」

 もはや知と理を交えて頭で考える時間は過ぎた。経験に基づく知識が、若き狩人を知性ある獣へと進化させる。今日という日が将来、貴重な経験となるように…今までの狩りもまた、今この瞬間を支えてくれる筈。仲間と過ごし、あの男の背を追った日々だから。

「狩りを続行しよう…残された時間で出来るだけ、雌を重点的に叩く!」

 デッドリィタバルジンを砥ぎつつ、ファーンは吼えた。それが正しい判断だという自信も無く、そうすべき根拠も無いが。今、砂漠を縦横無尽に駆ける漆黒の女王を、そうすべきと信じて追ってる男がいる。期限が切れて迎えが来た時、ズタボロに消耗しきって酷い顔で。それでも笑って街へ帰ろう。帰って言いふらしてやろう…漆黒の暴君には、密かに仕える騎士がいる事を。

「雄は無視、当初の予定通り…居ないものとして考えていいのね」
「うん、ギルドの認知してない飛竜を狩っても、報酬は出ないしね」

 恐らく今現在、この砂漠のどこかで。同じ思いで剣を振るい、同じ気持ちで鎚を振るう男達が居る。まだ身体が動いて気持ちが馳せるなら…一刻も早く共に狩ろう。我が身を後生大事に守りつつ、無様に逃げ惑いながら闘おう。少年の決意は幼い面影を振り払い、続く少女に躊躇いを感じさせず…再び若き狩人達は狩場へ歩を進めた。遥か東に地平を太陽が飛び立ち、砂漠に長い一日が…そして彼等彼女等の短い一日を告げる。しかし三台目のネコタクが蜃気楼の如く、影と揺らいでキャンプを目指していた。

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