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 その国の名は冴津。海に面して港を持ちながらも、ぐるりと周囲を他国……栄津や照津といっった国々と砂原を挟んで国境を接している。少年は今、その冴津の首都にあたる城下町でそびえる山城を見上げて目を細めていた。正午を過ぎたばかりの日は高く、蒼天には雲ひとつない。
「国の中に国がある……これがシキ国か。それでええと、ユクモ村への定期便は、と」
 かぶった笠に手を添えて、少年は周囲をキョロキョロと見渡した。さして目立つ容貌ではなかったが、異人……いわゆる外国生まれの外国育ち、今しがた船でこのシキ国は冴津についたばかりである。今纏うハンターの装束も、受け取ったばかりだ。
 少年の名はオルカ。斬斧を背負う若き異国のハンターだ。健康的に日焼けした肌に、適当に切りそろえた髪。顔立ちは端整だが、これといって特徴もなく辺りのシキ国人に溶け込んでいる。唯一目を引くのは、防具の脇より僅かに覗く、肌に刻み込まれた羽撃く翼の刺青のみ。
 オルカは黒目がちな瞳をくるり回すと、改めてユクモ村行きの荷車を探す。
 防具を支給してくれたギルド出張所の話では、日に数本の定期便があるらしい。
「参ったな。へんぴな秘湯の地らしいし……下手すると城下町で一泊、ってハメになるぞ」
 思わず独り言を零して、ガシャリ背の武器を鳴らしながらオルカは肩をすくめた。
 目の前の往来は今、忙しそうに町人達が行き来している。その活気に満ち溢れた喧騒は、なるほど城下、殿様のお膝元だけあって賑やかだった。だが、探せど探せど目的の便は見つからない。
 改めてオルカが、ふむ、と居直ったその時、
「ねね、きみもユクモ村に行くハンターさん? だよね、そゆ格好してるもん」
 ふとオルカへ向けられた瑞々しい声が耳朶を打った。童女のように幼いその言葉が鼓膜に浸透して、ふとオルカを振り向かせる。
 見れば背後に、同じ防具を着込んだ矮躯が立っていた。
 それは酷く小柄な、傍目には幼子とさえ思えるような少女だった。
「ユクモ村への定期便はあっち。ギルドの出張所で聞いたもん。よし、じゃあ行こう〜!」
 クイと笠をあげてオルカを見上げるや、蒼い髪の少女はニコリ笑って手を伸べる。まだあどけなさを残す、しかし綺麗な深い紺碧の瞳を並べた童顔だった。その無邪気で無垢な笑顔に見とれた一呼吸の間に、少女はオルカの手を取るや、大股にずんずか歩き出した。
「え、ちょ、ちょっと、あの」
「あたし、ルナル! きみも外国から? あたしはね、ドンドルマ。西から来たの」
 尋ねてもいないのに少女はルナルと名乗り、軽妙な弾んだ声音で語りだした。頼んでもいないのに半ば強引にオルカを連れて歩く。不思議と妙なテンポとリズムがあって、気づけばオルカは乗せられ流されてた。
「むふ、ユクモ村にちょっと用事があるのだ。でね、あたしもハンターだし募集に乗ったろう! と」
「あ、ああ、じゃあ君も……ええと、ルナルさんもユクモ村のハンター公募に?」
「そそ。やだなあ、ルナルさんて。ふふ、ルナルでいいよぅ。きみは?」
「俺は、オルカです。今日からユクモ村でお世話に……一緒です、その、ルナルと」
 オルカを牽引して堂々と歩く小さな背中は、巨大な楽器に覆われていた。ルナルはどうやら狩猟笛を扱う狩人らしい。オルカはぼんやりと、自分の目線の高さで主を覆ってる、古びた打楽器を見つめた。極めて簡素で一般的なそれは、吹いて旋律を奏でつつモンスターを打突する……故に笛でありながら打楽器と揶揄される一種のキワモノ武具だ。扱いは難しく、どう見積もっても年下にしか見えない、下手をすれば十代前半にしか見えないルナルとのミスマッチがおかしい。
 オルカの視線に気づいたのか、歩きながらルナルは肩越しに振り向いた。両側で結った髪が揺れて、くりくり目ばかり大きな顔が見上げてくる。オルカはペースを鷲掴みにされたまま、思ったことを告げていた。
「ほへ? あたし? んとね、十七だよ。オルカっちとそう変わらないんじゃないかなー」
「オ、オルカっち……あ、いや、うん。年下とは思ったけど、もう十七なんだ」
「あー、オルカっちもあたしのことお子様だと思ったっしょ! ふふっ、みんなそゆんだよね」
 ころころ笑うルナルに連れられるオルカは、世代的にはそう歳も変わらないらしい目の前の少女に驚いた。だが、歳や性別を問わないのがモンスターハンターだ。実際、オルカ達若手のハンターを募集していたユクモ村は、今まで老齢の男を中心にしていたとも聞いている。だから、ルナルが子供にしか見えなくても、何も驚かない。
「ほら、いた! っと、乗りますー! 乗ります乗ります、二人で乗りますよー!」
 ルナルが不意に角を曲がり、大通りの声が背後に遠ざかる。もはやされるがままのオルカは、その時突然腕に柔らかな感触とぬくもりを感じた。引っ張るルナルが腕を抱いてきたのだ。
 思わず呼吸も忘れて肺腑が停止する、それだけの豊かさも幼い容姿と不釣合いだった。
 何が何やらおろおろしながらも、オルカは辛うじて馴れ馴れしいルナルから気まずさと共に離れた。だが、腕に居座るたわわな残滓が頬を僅かに赤く染める。そんなオルカをルナルは気にした様子もない。
 ガーヴァ一頭立ての小さな荷車が、御者のアイルーと一緒に曲がり角で待機していた。
「よっ、と。とーちゃくっ! オルカっち、乗った乗った。ほら、隣おいでって」
 一足先に荷車に飛び乗るや、積み上げられた荷物を適当に蹴散らしどかして、ルナルは座り込んで隣をポンポンと叩いた。あくまでマイペースな彼女に溜息を零しつつ、その隣にオルカも腰をおろす。
「とりあえず、ありがとう。お陰で無駄な宿代を払わなくて済みそう、かな」
「なんのなんのー、自慢じゃないけどあたしデキる子だから! それにさ、オルカっち」
 胸元から小さな笛を取り出しながら、ルナルは満面の笑みで一言残して楽器を構える。
「今日からユクモ村の仲間じゃん〜。よろしくねー、オルカっち!」
 そう言うなり、オルカの返事も持たずに笛は歌い出した。ルナルが両手を添える、それは白磁に輝くオカリナ。少女の吐息を吸込み、空気に素朴なメロディを刻んでゆく。それはどこか郷愁を感じさせる、優しい音色だった。自然とオルカは、故郷の大勢の姉や歳の離れた兄を思い出した。勝手に遠くへ視線を逃がす目元が、いやに湿っぽい。たゆたう音楽はオルカを突然、センチメンタルな気持ちへいざなった。
 しばしオルカが追憶を振り返っていると、一声鳴いてアイルーの御者が鞭を手にする。ゴトリ荷車が揺れたその刹那、しばし車中の人になったオルカの視界に影が忍びこんできた。
「悪ぃ、アズ! 本当はお前さんを紹介したかったんだけどよ」
「この便を逃すと、次は明日になるそうですね。……妹さんとの再会、どうでしたか?」
「いやー、怒られたのなんのってよ。しばらく顔も見たくねぇと言われちまったよ。トホホ」
「そうですか……あ。キヨ様、最後の便が。あれに乗るんですよね」
 笛の音に満ちてゆっくり、ガーヴァに引かれて荷車は動き出していた。楽しげにオカリナを吹くルナルの隣で、思わずオルカは立ち上がる。御者のアイルーへと振り向いた時にはもう、荷車は自分と同じ支給品の防具姿を置いて走りだした。そう、連れに寄り添う長身の痩躯は、オルカと同じ笠をかぶり、申し訳程度の防備、ユクモシリーズに身を固めたモンスターハンターだった。
「あっ、あの! 乗り遅れた人が……止めてくださいっ!」
「ありゃ、ホントだ。アイルーさん、ストップストップ!」
 気づいたルナルの声と同時に、たおやかな調べが途切れる。代わってオルカはガラガラと車輪が地面を蹴る音に再び振り返った。乗り遅れた二人の影が、徐々に遠ざかってゆく。
 しかし不思議と、オルカの耳にははっきり声が聞こえてきた。
 抑揚に欠く暗くて冷たい、しかし透明で澄み切った声色だった。
「キヨ様、乗り遅れました」
「っちゃー! ……城にゃ戻りたくねぇな、しゃーねえ。今夜は城下で一泊――」
「失礼します、キヨ様」
 ちらりと見えたハンターの顔は、まるで氷河のように真っ白だった。一見して男とも女とも判断のつかぬ、その中性的で整った淡麗な無表情。オルカは彼女が……冴えない男の連れ故にそう思ったのだが、彼女が傍らの男を抱き上げるのを見た。足が悪いのか、突然抱えられた男が慌てて杖を身に寄せる。
「お、おいい!? ア、アズッ」
「まだ間に合いますから。行きましょう、ユクモ村へ」
 凍えるように冴え冴えとした、しかし静かな声は平坦だ。そのままハンターの彼女は、まるで救った姫と共に凱旋する勇者のように、しかし男女真逆の光景で颯爽と地を蹴ったのだ。すでに左右の異国情緒あふれる木と紙でできた家屋が、その風景がかなりの速さで流れ始めている。だが、置いて行かれることなく彼女の長身が近づいてくる。
「っ! 手を!」
 オルカは身を乗り出して手を伸ばした。思わず前のめりに落ちそうになって、腰をガシリと背後からルナルに抱きつかれて支えられる。二房の弾力を背中に感じたが、今もそれは意中の外だ。
 オルカはしっかりと、まずは抱かれた男が応えるように伸べた手を握った。そのまま荷車に引き寄せ隣に招く。次の瞬間にはもう、彼女は小さく呼気を放つや跳躍して、荷車の上に舞い降りていた。
「おいアズ、あんま無茶すんなや。でも助かったぜ? そっちの若いのもお嬢ちゃんも」
「ありがとうございました。キヨ様を引っ張り上げてくれて」
 それがアズラエルとキヨノブ、訳あり風の二人組との出会いだった。
 そして改めて眼前に見上げて、オルカはアズラエルと短く名乗るハンターが、自分と同じ男だと気付くのだった。

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