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 観光客や湯治客で賑わうユクモ村は、今宵一際盛り上がりを見せる。村の中央に位置する柳の社を中心に、出店や屋台が参道を埋め尽くしていた。年がら年中お祭り気分のこの村でも、社の宵宮は別格で華やいでいた。
 オルカは見様見真似で着てみた浴衣姿で、アズラエル達と共にそぞろに縁日を冷やかす。
 地元の装束で寛いだ様子のアズラエルは目立ったし、作務衣姿のキヨノブもオルカにははしゃいで見えた。
「いやぁ、ガキの頃以来だぜえ……おいアズ、りんご飴を食おうぜ! 焼きもろこしもだ」
 ひょこひょこと杖を突きながら、一同の前に立ってキヨノブが振り返る。行き来する人混みの中、その人懐っこい笑顔はオルカ達を連れながらも、待ちきれない様子で先へと進んでいった。
「全く、キヨさんってばまるで子供だな」
「少しキヨ様も羽を伸ばしてくださればいいのですけど」
「……普通、逆じゃない? ねえアズさん」
「私ですか?」
 カランコロンと下駄を鳴らしながら、オルカは並ぶアズラエルの長身を見上げて歩く。この美丈夫は日々献身的にキヨノブの世話を焼く傍ら、狩りの仲間としてもよく付き合ってくれていた。ベリオロスの単独討伐に成功した自信から、今ではオルカも素直にアズラエル達に頼ることができるのだった。
 そんな狩りの日々の合間の、何気ない憩いの時間が今は少し楽しい。
 それはアズラエルも同じなのかと思うのだが、オルカの友はどうにも表面上は感情を面に出さない。今もキヨノブの後を追って追いつき、まるで影のように寄り添っている。
「アズさんは相変わらず、か」
「ふむ! やはりアズラエルは面倒見がいいな! いい婿になりそうだ」
 ひとりごちたオルカは急に、すぐ背後でお馴染みの声を聞いて飛び上がる。
 恐る恐る振り返っての溜息はしかし、いつもの呆れ半分なものではなかった。
「ん? どうしたオルカ、私の顔に何かついているか?」
「や、いえ……その、こんばんは、サキネさん……ど、どうしちゃったんですか?」
 思わず溢れる感嘆の吐息。
 オルカの前に今、綺麗に着飾ったサキネの姿があった。艶やかなな濃紺の浴衣が、散りばめられた涼しげな模様と相まって白い肌を際立たせている。腰に結んだ飾り帯もシャンとしたもので、普段は無造作に縛られている蓬髪も今は、ちゃんと結ってかんざしが飾られていた。
 見るも可憐な麗人へと変身したサキネが、表情だけは普段通りオルカを見詰めてくる。
「ふむ、驚いたか。これはな、チヨマルに教えて貰っているのだ」
「は、はあ」
「嫁やら婿を取るためには、身だしなみにも気を付けねばならん。他にも沢山あってだな」
「……やっぱ、まだ諦めてないんですか」
「勿論だ。チヨマルが親切でな、色々と勉強させて貰っている」
 どこか得意げにサキネは頷いてみせるが、その口からいつもの言葉が飛び出てこない。勿論、オルカは普段通りに言われれば普段通り断るのだが、一連のやり取りはないとないなりに物足りなくもある。
 それ以前に、普段より艶かしい色香を纏ったサキネを見れば、今日は断りきる自信がない。
「その、アズラエルもそうだが、チヨマルのような果報者は里でも好かれるぞ」
「そ、そうですか」
「だが、かっ、勘違いするなよオルカ。あくまで健康で健全な者に限る。嫁も婿もな」
 何やら今日のサキネは様子がおかしい。
 普段なら二言目には婿に来いと言うのだが、今日はその言葉が出てこない。不思議に思いつつオルカが腕組み眺めていると、サキネはその視線を受けて頬を赤らめ俯いた。
 何事かと訝しむのも当然で、オルカが小さな驚きを感じていると、
「おお、馬子にも衣装って感じだな。でも、似合ってるじゃねえか、サキネちゃん」
「珍しいですね、サキネ様がおめかしして」
 屋台の匂いを引き連れて、キヨノブとアズラエルが戻ってきた。冷やかしながらも目を細めるキヨノブは、その手に焼きたてのもろこしを握っている。その隣でアズラエルも珍しそうにりんご飴を口に運んでいた。
 アズラエルを前にしてもやはり、今日のサキネはあの言葉を言わなかった。
「その、似合うだろうか? これはな、チヨマルが選んでくれたのだ」
「おう、コウジンサイん家のお稚児さんか」
「うん、着付けも手伝ってくれてな。これで嫁婿候補を誘う体制は万全という訳だ」
 確かに、今のサキネに嫁婿とまでは言わずとも、声をかけられれば戸惑うだろう。それは多分、嬉しいときめきだとオルカは苦笑を零す。だが、先程からあれこれと饒舌なサキネは、普段とはうってかわって誘いの言葉を投げかけてこない。
 代わりに口を開けば、チヨマルの事ばかり喋っているのだ。
「まぁ、こうして見るとサキネちゃんも女の子だなあ。なあアズ?」
「見た目だけは完璧に近いですね」
 交互に顔を見合わせる二人に、オルカもうんうんと頷く。
 普段なら豪快に笑い飛ばすところで、サキネはやはり嬉しそうに頬を染めてはにかんだ。
「まあその、なんだ。嫁婿探しにも手順というものがある……チヨマルが教えてくれたのだ」
 サキネは手にする巾着を両手でモジモジと握りながら言葉を続ける。
「結婚の前にはダンジョコーサイというのが必要でな、その為にはやはり行儀のいい人間でなければいけないという話だ。こうしてめかし込んだりなどしてだな……むむっ、オルカ……おかしいか?」
 気付けば笑いを隠しきれなくなっていたオルカを、上目遣いにサキネは睨んでくる。その視線には咎めるような強さはなく、濡れた眼差しがまた普段とのギャップもあって笑いを連鎖させた。気付けばキヨノブもニヤニヤと笑っており、アズラエルもまなじりを僅かに緩めている。
「ゴホン! つ、つまりだな、他にも色々とあって、勉強というか特訓……修行中なのだ!」
 どうも本腰を据えてサキネは、この村で嫁か婿を探すことにしたらしい。それも、今までのように闇雲に声をかけていても埒があかないと学んだようだ。ここは彼女が生まれ育った隠れ里ではない、れっきとした男女の社会通念がある外界なのだから。
「サキネさん、こちらにおられましたか」
 オルカ達がサキネを囲んで談笑してたその時。嫌に平坦で抑揚に欠く声が、ひんやりと響き渡った。この大混雑の中から、するりと抜けるように真っ白な矮躯が近付いて来る。
 オルカは挨拶に挨拶を返して道を少年に譲った。
「おお、チヨマル」
 サキネが嬉しそうに破顔一笑、大輪の笑顔が咲いた。それで思わず、オルカは驚き呆けてしまう。アズラエルはせっせと飴を舐めていたが、キヨノブも印象は同じようで、もろこしをかじる手を止めてしまった。
「どうですか、サキネさん。お嫁さんやお婿さんは見つかりそうですか?」
「ん? う、うむ、それだが、まあ、その……なんだ、うん、ぼちぼちだな」
「左様ですか。では、あちらへ参りましょう。こういう場所での振る舞いもまた、大事ですので」
「う、うんっ、そうだな! ちょ、ちょっともう少し、私も勉強するとしよう」
 チヨマルが差し出す小さな手を見下ろし、サキネは自分の手を重ねて握る。そうして二人は、呆気にとられるオルカ達に一礼すると去っていった。
 まさかと思いそれをキヨノブと言い合おうとした矢先に、オルカは振り向くサキネに釘を刺される。
「これはあれだ、オルカ。お前達を婿として迎える、い、いわば練習みたいなものだ」
「あ、ようやく言った。やっぱり俺等のこと、諦めてないんですね」
「当たり前だ。ミヅキやノジコ、アウラ……は、ちょっと痩せ過ぎてるから微妙だが」
「解りました解りました。……でもサキネさん、今夜はちょっと楽しそうですよね」
 オルカが思わず感じたままに笑うと、サキネは顔を真っ赤にした。
「そ、そうでもない! ……くもない。これはその、チヨマルに付き合って貰ってるのだ」
「はいはい、解ってますよ。甲斐性を学んだり、女を磨いたりしてるんですよね。嫁婿の為に」
「そうだ、それだオルカ。うんうん、そうだ。つまり、外界で言う付き合ってる訳ではないのだ」
「……どっちなんですか、結局」
 サキネは再度オルカを指さし「つ、付き合ってる訳ではないからな」と言い残して、チヨマルに手を引かれて消えていった。その歩調が刻む下駄の音は、心なしかオルカには弾んで見えた。
 残された三人はまるで化かされたようで、帰り際に轟く遠雷亭で寝酒を飲みつつ、祭ばやしを聴きながらアレコレ憶測を積み重ねる。女性陣をも交えて議論は高まったが、健全健康な男子女子はこぞって危機感を覚えつつ……あの嫁婿一点張りだったサキネの豹変ぶりを肴に旨い酒を飲んだ。

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