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 その街は物々しい灰色の城壁に囲まれ、全てに挑むかのように空へとそびえていた。独立自治区、ドンドルマ……西シュレイド王国国内にあって、異彩を放つ治外法権の街。母国に帰ってきたのに、ノジコはどこか異国の空気を感じて落ち着かなかった。
「失礼します、総務官。ただいまシキ国冴津、ユクモ村より戻りました。王立学術院の書士殿も一緒です」
 尼僧姿のアウラに続いて、重々しい扉をくぐるノジコ。殺風景な執務室は飾り気がないのに、実用一点張りな調度品が必要最低限並べられている。年代物の本棚には所狭しと文献や古書が並び、なにより目を引くのは中央の巨大な執務机。その中央にちょこんと、自分とそう歳も変わらない娘が座っていた。
 彼女はアウラの声を受けて、手にした文章から目線を上げた。見目麗しい可憐な少女が、白磁のように白い顔に大きな双眸を輝かせている。だが、その目は表情とは裏腹に笑っていない。よく見れば耳が小さく尖っている。
「ようこそドンドルマへ。長旅でお疲れでしょう? むさ苦しい所ですが寛いでくださいな」
 少女は形ばかりはニコリと微笑むと、机の上のベルを鳴らす。
 呼ばれて出てきた男は、どこかアウラに似た無機質な無表情でペコリと頭を下げた。
「忙しいとこごめんなさい、セレス。お客人にお茶を出して頂戴」
 一言も喋らず、人形のような男は再び一礼して去ってゆく。その背を呆気にとられて見送っていると、ノジコは不意に名を呼ばれてしゃんと背を伸ばした。自分の組織の長に、目の前の少女はどこか似ている。似ているのに、その華奢な細身から放たれる気配はまるで別物だ。まるでそう、静かに浸透してきて探るような雰囲気が感じられる。
「改めてお礼を申し上げますわ、ノジコさん。わたくしはトゥスネルダ=V=ハーツ、ここの総責任者ですわ」
「王立学術院のノジコです。この度はお招きいただきありがとうございます」
「いいのよ、素敵なレポートのこれはお礼。お二人の報告は読ませていただきました」
 勧められるままに応接用のソファに腰を下ろすノジコ。テーブルを挟んだ向かい側に座るトゥスネルダは、警戒心を解きほぐすような微笑みを浮かべている。
 古龍観測所……この城塞都市ドンドルマに設置されている組織だ。王室直轄の王立学術院とは違って、完全にどこからも独立した研究機関として知られている。王立学術院は王家の秘匿戦力という側面もあるが、古龍観測所に関しては未知数だ。一般には、世界各地に不定期に出没する古龍種の研究機関というのが一般的だが。その裏には底知れぬ秘密があるとも囁かれている謎の組織でもある。
 ノジコはつい、その長だと名乗った少女をまじまじと見詰めてしまった。
「あら、わたくしのような者が長で驚きまして?」
「いっ、いえ。うちも似たようなものですから」
「そうね、あの魔女……失礼、エフェメラ殿も若くして王立学術院の筆頭書士でいらっしゃる」
 大胆に脚を組んで見せると、トゥスネルダは目を細める。なぜかドキドキと心臓が高鳴り、思わずノジコは俯いた。ユクモ村で出会ったサキネもそうだが、竜人の美しさというのは人間とは別次元で、まるでお伽話の妖精のようだ。幻想的で妖しく、どこか儚く危うい。だが、目の前の女性はそこに底知れぬなにかを隠し持っている気がする。
「さて、本題に入りましょう。レポートは読みましたわ。ご苦労さまですわね、つるこ」
「あ、あのぉ、どうしてその名を」
「なかなかいい名前ね、ネーミングセンスを感じますわ。わたくしもこれからそう呼ぶことに決めました」
「は、はぁ……」
 そんなこともレポートに書いてあったのだろうか。ひたすら恐縮するアウラの隣で、ノジコはトゥスネルダが手にする書類をまじまじと見つめる。あれはそう、今回の二つの大きな狩りを詳細に報告したレポートだ。ノジコはアウラの頼みを聞いて手伝ったのを思い出す。
「それにしても失態でしたわね、つるこ。……よもや正体を知られてしまうとは」
「す、すみません。気をつけてはいたのですが」
 不意にトゥスネルダの気配が鋭さを増した。相変わらず優雅な微笑をたたえてはいるが、今まで秘していた威圧感が瞬く間に室内を覆ってゆく。ノジコは隣に恐縮して縮こまるアウラを感じていた。
 気付けば思わずノジコは口を挟んでいた。
「あのっ、アウラさんは私達を助けてくれたんです。その、人間じゃないのはビックリしましたけど」
 思わず腰を浮かせたノジコを、じっとトゥスネルダは見詰めてくる。その眼差しは感情が全く読めず、静かに激怒しているようにも見えるし、楽しげに観察しているようにも感じる。だが、決して目を逸らさずノジコは視線を受け止めた。
「アウラさんは確かに人間じゃないかもしれません。でもっ、それ以前に同じ仲間なんじゃ、ない、かと……」
 口篭るノジコを凝視したまま、トゥスネルダは小さな溜息を零してソファに身を預けた。そのままやれやれとしどけなく背もたれによりかかって、長く細い脚を組み替える。
「ま、いいでしょ。つるこ、今回の件は不問にいたしますわ。次からは気を付けて頂戴」
「はいっ! その、すみません。わたしの不注意で」
「貴女のことですもの、やむをえぬ事情があったと理解しますわ。違うかしら?」
 それは確認や質問ではなく、断定に感じる一言だった。そして事実、アウラは肯定するしかない。ノジコは漠然とだが、目の前の少女が只者ではないと知り始めていた。
「さて……ノジコさん、でしたからしら? 我々は貴女を歓迎しますわ。お部屋ももう用意してあります」
「え? それは」
「あら、わたくし達古龍観測所を視察しに来たのかと。……あの魔女が考えそうなことと思いましたのに」
 後半は聞き取れない呟きだったが、一瞬トゥスネルダは眉間にシワを寄せた。だが、瞬く間に先程通りの眩い笑顔に戻る。
「ここは世界の最前線、是非勉強してってくださいな。わたくし達も優秀な人材は大歓迎でしてよ?」
「それは嬉しいというか、願ったり叶ったりなんですが」
 アウラに付き添ってこの地に来たノジコは、頼み込んででもドンドルマを、古龍観測所を見せてもらうつもりでいた。未だ世界には未知の飛竜が数知れず、古龍の脅威はそこかしこに点在している。ユクモ村での短くも濃密な経験が、より外への意欲をノジコに芽生えさせていた。もっと知識を……その純粋な思いが今、この場所にノジコをいざなったのだ。
 そして、そのことを見透かすかのようにトゥスネルダは言葉を続ける。
「報告にあった雷狼竜ジンオウガ、そして峯山龍ジエン・モーラン……貴重なデータが得られましたもの」
 ね、つるこ? と笑う顔は、細められた目元が不思議な光を集めて輝いていた。
「貴女はさらなる知識と経験を求めてる。違いまして? わたくし達と同じ匂いがしますもの」
「それは……否定はしません。私はあまりに無知で弱かったのです。でも、それを知ることができました」
「組織は違えど、同じ西シュレイドで探求の道をゆく者同士……ご一緒してはいかがかしら?」
 テーブルにレポートを投げ出すと、そこで一旦言葉を切ったトゥスネルダの口調が僅かに緩む。
「本音を言えば、少しお互い手の内を知りたいってとこかしら。王立学術院のレベルも知りたいし」
「は、はあ。あの、私もできれば両機関の連携の一助になれればとは思います」
「そうね、協調体制の構築は急務かしら。古龍は……ケースDは待ってはくれませんもの」
 ケースD……災厄級の古龍、ドラゴンの脅威を示すアラート。この発令はすなわち、あらゆる生命の危機を示している。今もって人類は大自然の中でか弱い存在でしかなく、世界を跳梁跋扈する古龍種はどれも強力に過ぎる。それでも大事な物のために力を結集する人間達の戦いがケースDの歴史であり、共に戦い全てを記録するのが古龍観測所という訳だ。
「ま、観光だと思ってドンドルマに少しいてくださいな。お互い得るものは得る方向で。ね? ノジコさん」
「はい。私からも筆頭書士にそう伝えます。我等王立学術院の書士を代表して、勉強させて頂きます」
「ふふ、殊勝ですこと……そういう娘、嫌いじゃないわ。じゃあ早速――」
 その時、突如外で轟音が鳴り響いた。執務室のガラス窓が割れんばかりにガタガタと震える。
 何事かと驚いたのはしかしノジコだけで、トゥスネルダもアウラも平然としていた。
「あら、始まってしまいましたのね。つるこ、そういう訳で早速現場復帰をお願いしますわ」
「了解です」
「ノジコさんもご一緒してくださいな。このつるこ、もといアウラが今日から貴女のパートナーですわ」
「引き続き宜しくお願いしますね、ノジコさん。なんなりと仰ってください。わたし、全力でサポートします」
 あまりにも急な話しにしかし、差し出されるままアウラの手を握るノジコ。その間にも外からは、何やら機械の作動音に火薬の爆ぜる響き、そして鎖が巻き上げられる金属の調べが奏でられてくる。この街にいったい何が?
 その答えをあっさりとトゥスネルダは呟いた。まるでそう、それがごく当たり前の日常であるかのように。
「今月はクシャルダオラが来てますのよ? これを迎撃するは我等が使命……アウラ、征きなさい」
「了解です、総務官。了解です……トゥスネルダ=V=ハーツ所長代行」
「相変わらずいいお返事。もうばれてるから隠す必要なくてよ。全力で古龍を撃滅、排撃なさいな」
 その時ノジコは、信じられない光景を見て言葉を失う。隣で立ち上がったアウラは眩い光を放って輝き出したのだ。その輪郭は解けて尼僧の装束が消え去り、いやに細い肢体を金属の鎧が覆ってゆく。それはユクモ村で着込んだアロイシリーズやラングロトラシリーズではない……そう、アウラ自身から装甲が浮かび上がっているのだ。
 眩しさに目を庇った手の、指の間からノジコは見る。まるで伝承にある守護天使のような、純白の神像を。
「さあ、ノジコさん。征きましょう! 全部お見せします……わたしも、この街も」
「安心なさって、ノジコさん。このアウラが全力で貴女を守ります。いいわね?」
 トゥスネルダの声に頷くアウラは、その人形のような顔を既にフルヘルムで覆っている。スリットから輝く四つの光が、まるで飛竜の瞳のようにノジコを見詰めていた。
 圧倒されていたノジコはしかし、膝に手を置き立ち上がる。
「この世界はまだ、私の知らない理で回っている……そして私は、それが知りたい」
「そう、忘却の彼方に失った過去の叡智、太古の遺産。旧世紀の歴史」
「私になにができるか、それはわかりませんが。できることをしようと思います」
「結構、大いに結構ですわ。では……わたくし達の狩りを始めましょう」
 妖艶な笑みを浮かべて見送るトゥスネルダに一礼して、ノジコはアウラと共に執務室を出る。既に廊下は武器を手に行き来する古龍観測所の職員で満ちており、その大半が人ならざるモノで構成されている。竜人達の間を縫うようにして、ノジコもまたその流れに混じってドンドルマ防衛の戦いへと飛び出していった。
 彼女の胸に灯っていた探求の炎は、ユクモ村での経験を経て今まさに燃え滾っていた。

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