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 このパイオニア2で、自分より早く銃を抜ける人間…その数は僅かに片手で足りる。だからこそ彼女を誰もが皆、ブラックウィドウの名で恐れ敬うのだ。だからといって彼女の自信が、過信へと変わることは無い。だからこうしてフェイは今も、物陰に身を潜めて相手の気配を慎重に窺う。例えVR空間内での模擬戦といえども、仕事となれば油断は無い。
 古代の神殿を模したこの空間はVR…いわゆるバーチャルリアリティで。現実のフェイは今、クエストの依頼主である模擬戦の相手と共に、四番艦カリストの名物商店街に居た。表向きは自転車屋を営む、キャスト専門の隠れチューニングショップ。そこの主が関わってると知っていれば、顔馴染みの依頼でも彼女は引き受けなかったが。

「っと、悪ぃなジンクの旦那!正面、いただきだっ!」

 近付く微かな足音を、フェイの鋭敏なセンサーがそれを拾う。同時に彼女はレンガ造りの壁を手で蹴って、開けた大広間へと躍り出た。長身の巨躯が振り向き様にマシンガンを構える、その一挙手一投足までもがハッキリと見て取れる。それは数多の実戦を潜り抜けてきた、老練にして巧みな技だったが。遅い、と呟くフェイにはスローモーションに見えた。

「遅いは百も承知よ。ブラックウィドウ、勝負っ!」

 ヒューキャストのジンクが狙いも定めず乱射するより速く、フェイの放ったフォトンの礫が両手のマシンガンを叩き落す。しかしそれは巧妙に仕組まれた罠だった。トドメとばかりに両手でハンドガンを構えて、正確にジンクの頭部をロックオンするフェイ。勝利を確信して銃爪を引く彼女は、同時に舌打を零して後方へ飛び跳ねた。

「チィ!伊達に修羅場はくぐっちゃいねぇな、旦那!」
「それはお前も同じ事、良くぞあの一撃を避けたものよ」

 それは一瞬の出来事だった。フェイの射撃と同時に、ジンクはデコイのダメージトラップを射出。フェイ本人の意思に反して、ロックオンマーカーが目標を自動選別するのを利用したのだ。そして身を低く、まるで這うようにしてフェイに肉薄、即座にクラインポケットから飛び出るパルチザンを握るなり一薙ぎ。普通のレンジャーであれば、射撃時の硬直を狙われればまず助からない。フェイでなければ、ブラックウィドウでなければ。

「やばいぜ旦那、熱くなってきやがった…本気で行くぜ?避けれるもんならっ、避けてみやがれっ!」
「応っ、それでこそよ…調整後のシェイクダウンはやはり、こうでなくてはな!」

 どんな一流のレンジャーでも、零距離に等しい近接戦闘ではハンターに劣る。それはしかし、超一流の前では無意味な常識で。間近に迫るジンクの巨体へと、迷わずフェイは踏み込んだ。唸りを上げて突き出されるパルチザンの連撃を見切り、その足元へと身を屈めて転がり込むと。床を背に見上げて彼女は、両手のハンドガンをクロスさせるなり全弾をブチ撒けた。
 眩い光を弾けさせて、フォトンの弾丸が炸裂する。その何割かはジンクの鋼の肉体を直撃したが。不意にその像が歪んで掻き消える。同時に跳ね起きたフェイの頭部を、唸りを上げて掠める粒子の刃。それは一瞬でもフェイが遅れていれば、間違いなく頭部を木っ端微塵にしていただろう。

「っと、旦那にゃその手があったか…だが、見えてんだぜっ!」

 振り向かずにフェイは背面へと、脇の下から銃を向けて。撃つなり瞬時に粒圧が抜け切り、二丁のハンドガンは沈黙したが。手放すそれが地面に付く前にもう、彼女の手にはマシンガンが現れている。またも残像を残しながら、弾着を引き連れて回避行動に移るジンク。
 相変わらずのタフネスぶりに舌を巻きながらも、厄介な技だとフェイは笑った。手強い相手を前に自然と笑みが零れる、それは恐らく相手も同じで。二人は喜々として技を競い合い、幾度と無く全力でぶつかり合う。ややフェイに分があるものの、ジンクは気の抜けない強敵だった。

『ククク、見ててこっちまで熱くなっちまうわナ。データは取れた、いったん上がれ』

 不意にVR空間全体に声が響き、同時に世界が歪む。外部からリンクが切断されて、不意にフェイとジンクは現実世界の己の肉体へと意識を戻された。接続されたコードを毟るように引き抜き、作業台に身を起こすなりフェイは、勝負に水を差した男に…ジュン=キタミに食って掛かる。

「ヘイ、キタミ!手前ぇ、折角体が暖まってきたって時に…」
「オイオイ、ブラックウィドウ。お前さん仕事に来たんだろ?依頼主をちゃんと見るんだナ」

 白いツナギを来た、顔に傷のある男がクククと笑う。その表情はどこか、出来の悪いやんちゃな子供を見る眼差しで。やんわりとフェイを制すると、もう一人のキャストに歩み寄った。ゆっくりと身を起こすジンクは、VR空間からの帰還を確かめるように何度も、利き腕で拳を握っては解く。

「キタミ、いい仕上がりだ…欲を言えばもう少しトルクが欲しいが。今のままでも充分…」
「OK、もう少し煮詰めてみよう。ククク、心配するな。何せホラ、時間だけはあるからナ」

 そう言ってキタミは、今の模擬戦で得たデータを宙空のウィンドウに表示して。その値を読み取りブツブツ呟きながら、奥の部屋へと消えてゆく。その姿を目線で追って、フェイはジンクの乗る作業台に腰掛け足を組んだ。

「それにしても旦那、意外だぜ…あのキタミ=ジュンにチューニングを」
「正確にはメンテナンス、後はバランス調整だ。この年になると流石に、な」

 ジンクは第三世代型…いわゆる一般的なキャストの中では、比較的古いタイプにあたる。仮想世界であるVR空間ならまだしも、現実世界での全力運動では、肉体的な限界を感じる時も多々あった。増して彼は体が資本のハンターズの中でも、何かあれば最前面で戦うヒューキャスト。故に己のコンディションには人一倍気を使う。勿論それは、自らが体得した特殊な技の存在も大きかったが。
 長いハンターズとしての人生で編み出した、彼にしか出来ぬ芸当。体内のフォトンリアクターに補正を掛けて、瞬間的にファンクションタービンを絞り切る。結果、脈動効果により一瞬だが、爆発的な瞬発力を得ることが出来るのだ。無論、身体にも負荷が掛かる為多用は出来ないが…全力全開ならば、表面の塗料が発熱で剥離する程の出力を得る事が出来た。白煙を巻き上げる、地金剥き出しのヒューキャスト…ジンクの名は、その亜鉛色の姿から。

「でもよ、奴は地獄のチューナー…オシャカにされた奴は数え切れないぜ?」
「フッ、少し誤解しているな。キタミは依頼に忠実なだけだ」
「ま、いきなり強くしてくれ、なんて言い出す奴ぁ長生きしねぇけどよ。でも」
「うむ、だが腕は確かだ。定期的にキタミに見てもらって、俺は随分助かっている」

 地獄のチューナー、キタミ=ジュン。彼はその名の通り、数多のキャスト達を地獄へと叩き落として来た。ある者はワンナイト仕様の極限チューンでコロシアムの覇者となり、次の日にリアクターが圧壊して死亡。またある者は極端なパワーアップを重ねた結果、自らのパワーに食い潰されて死んでゆく。人工皮膚を強請り人間の姿になった者も、決して幸せにはなれなかったという。地獄のチューナーに関する都市伝説は、パイオニア2出港前から一部のハンターズの間では有名だった。

「まあ、言って貰えりゃ何でもやるのヨ。キャストはほら、機械だからナ…機械は嘘は吐かない」

 戻って来たキタミは一枚のディスクを、作業用の端末に差し込んで。非常にデリケートなジンクのパワー出力マネジメントを調整し始めた。その作業をぼんやりと見やりながら、改めてキタミの仕事を評価するフェイ。耳を覆いたくなるような噂に反して、ジンクに施す術はどれも丁寧だった。

「オレたちゃ機械、か…言うじゃねぇかキタミ。元老院憲章が無くてもドタマに来るぜ」
「ククッ、だがただの機械じゃない…魂の宿る機械だ。なら俺は、その魂の欲求に応え続ける」
「その結果、命を落とすことに…死ぬ事になってもか?」
「死んだと見るか、生き抜いたと見るか。一瞬だけ輝きたい奴は人間なら、ゴマンと居るわナ」

 ハッ、言ってろ…そう吐き捨てつつ、何か気恥ずかしさを感じて。噂を表面だけ捉えて、その本質を見ようとしなかった自分を、フェイは少しだけ恥じた。ジュン=キタミのやり方を認める事も、許す事も出来ないが。その信念を知るのと知らないのとでは、彼女の中では雲泥の差があった。

「キタミは自分の仕事に誠実だ…俺はそう思うが」
「ククク、どうかねぇ?若干トルクを太く、ピーク時もキープ…いいパワーカーブだ」

 端末のモニターに移るグラフを眺めて、キタミは目を細める。世の中に万能なキャストなど滅多に居ないが…やはりキャストも人格と意思を持つ種族だから。より良い状態への、絶え間ない欲求が個々にあった。キタミはその欲求に対してどこまでも誠実であり過ぎる…地獄のチューナーの二つ名は、そんな彼が甘んじて背負う十字架にも似て。ここにもまた正しさを求めぬ、しかし確固たる信念を持つ人間が生きると知るフェイ。

「よし、いいぞジンク。だがあの技、あまり多様は良くないナ。特に現実では尚更」
「常にそういう相手ばかりだとい良いが。よしフェイ、もう一勝負頼む…フェイ?」

 工房の中を何の気無しにぶらついていたフェイは、ジンクの声に生返事を返す。本業の自転車屋よりも広い部屋の中には、先程までフェイも横になっていた作業台が並ぶ。ざっと見ても楽に、一度に十体のキャストを整備、調整する事が可能で。それも恐らくあの男ならば、一人でこなしてしまうだろう。

「ん、ああソイツか…色々とナ、この仕事してるとパーツは回って来るのヨ」

 一番端の作業台にそれは、今はただ綺麗に並べられている。フェイがそっとシートをめくると、電灯の光を反射して素材剥き出しの鈍い輝き。ざっと見ても、女性型のキャスト一体分はありそうだった。思わず口笛を吹いて、元通りにシートを被せるフェイ。

「地獄のチューナー自らの手によるワンオフか…どんなバケモンになるんだか」
「まぁ、自分で言うのも何だが。俺の手なら、あのブラックウィドウを超える奴も組めるわナ」
「ヘッ、言うじゃねぇか…スペックだけならそうかもな」
「ククク、だが迷ってるのヨ。笑えるだろ?この歳になって今、新規で何をどう組みたいか…」

 VR空間での模擬戦をセッティングしながら、いつもの不気味な笑みを浮かべて。センチメンタルなのヨ、とキタミは自嘲する。実際、彼は迷っていた。今まで様々な組織に身を置き、様々なキャストに手を入れて来たが。その数と同じく、新規でキャストをカスタマイズして来たが。彼は今、迷っていた…今の今まで手掛けて来た、数々のチューニングを省みて。キャストの幸せとは何かを真剣に、真摯に思い悩んでいた。

「オレは良く解んねぇがよ、キタミ。手前ぇが幸せになるのも、大事なんじゃねぇか?」

 ジンクの隣の作業台に戻ると、コードを自分に繋ぎながら。フェイは不思議と、忌み嫌っている人間に助言を述べた。その他に彼女が、言える言葉は無かったが…自分でも意外だと思いながらしかし、以前程の嫌悪感も無く。今は黙って作業台に横たわると、無言で準備完了をキタミに親指立てて伝えた。

「ククッ、俺の幸せ?俺は今が一番幸せなのヨ…お前等みたいなのをいじれる今がナ」

 キタミはその時、確かに「お前等」と言った。フェイも含めて。本人はキタミの客になる事を、この時は絶対にありえないと断じたが。しかし再び、VR空間へと誘われる、独特の感覚にまどろみながら…フェイは漠然と、それがあってはならないと自分に言い聞かせた。努力と根性でしか、力を得てはならないと自分を厳しく律していたから。

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