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「お嬢ちゃん、先走るんじゃない!」

 そう叫ぶなり襲い来る悪漢達を、背から下ろした野太刀で薙ぎ払うヨォン。しかしその声も聞かずラグナは、一陣の疾風となって馳せた。その小さな身体は、行く手を遮る男達の間を縫う様に通り過ぎて。滾る殺意が復讐心に火を付けると、彼女はもう一瞬たりとも止まっては居られなかった。その名を、ブラウレーベン・フォン・グライアスの名を聞いてしまったから。
 棄民達の小さな町を出て、いつもの山猫亭へと帰る道程で。公社の船体管理用区画を抜けるなり、ヨォンの携帯端末がけたたましく鳴り響いた。持ち主が着信に応じれば回線の向こう側で、女将の悲鳴にも似た叫び声。それが仇の名を告げた時にはもう、ラグナは来た道を全速力で引き返していた。

「有象無象が数頼み、か。命惜しくば下がれ…今日は手加減してやれんっ!」

 背後でバタバタと、襲い来る敵が薙ぎ倒される音が聞こえる。それに混じって自制を叫ぶ忠告はしかし、ラグナの耳には届いていなかった。既にあちこちで火の手が上がり、鉄火場と化した町を一直線に。立ちはだかるレフトハンターズを避け、その何人かを巧みな体捌きで吹き飛ばしながら驀進するラグナ。
 逃げ惑う町の人々の流れに逆らい、その人混みが途切れると。ラグナの視界に一人の男が飛び込んで来た。馴染みの姿も、久しぶりに見れば懐かしさが込み上げるが…今のラグナに、感慨に耽る余裕は無い。だから真っ二つに折れた大剣を握り地に膝を付く、エディンの姿にも眉一つ動かさず。その向こう側で刃を翻す、青い影を睨んで彼女は愛用のセイバーを抜刀した。

「アンセルムスさん!?だ、駄目だっ、ここは僕が…あの人を止めないとっ!」

 苦しげに呻くエディンは、立ち上がるなり大きくよろけて。折れた剣をそれでも構える、彼をラグナは無言で突き飛ばすと。珍しい物を見るかのように眉を吊り上げる、眼前の男へと斬り掛かる。憤怒と憎悪に燃える血潮は今、臨界に達して煮え滾り。鉄面皮の表情の下に、ドス黒い感情を爆発させた。
 突然、視界が引っくり返って。エディンはラグナに突き飛ばされたのだと知った時には、もう地面に転げていた。慌てて起き上がろうとするが、身体が思うように動かない。僅か一太刀、グライアスが何気なく振り下ろした剣を受けただけで。エディンはそれだけで、もう戦闘能力を奪われてしまった。実力差がある事は解っていたが、その開きが絶望的過ぎて勝負にすらならない。

「ほう?お前は…まさかまだ生きていようとは」

 眩い光を閃かせて、フォトンの刃が激しくぶつかる。全力で体を浴びせるように剣を振るうラグナに対して、涼しい顔でそれを受け流すグライアス。彼は空いた左手を顎に当て、考え込む仕草を見せながらも、忙しく大剣を振るってラグナの剣を捌いた。その姿にエディンは余裕すら感じ取れて。全力全開のラグナですら、文字通り子供をあしらうかの様。

「思い出したぞ、あの男が連れて逃がした娘か。それで?どうしたラグナ、あの男は…死んだか?」

 ラグナの表情が一変した。今の今まで、エディンが見た事も無い形相で。憤怒に頭髪は逆立ち、血走る瞳が大きく見開かれると。激昂するラグナに感応するかのように、その手のセイバーが唸りを上げて刀身を肥大化させる。迸る光の濁流と化したそれを、ラグナは躊躇無くグライアスの急所へと繰り出す。何度も、何度も。直撃すれば絶命は愚か、その身も消し飛ぶであろう一撃はしかし…陽炎のように揺らぐ青い影に掠りもしない。

「その剣はあの男の物、遺品か。それにしても…素晴らしい。良くぞここまで鍛え上げたものよ」

 それはエディンは愚か、周囲のレフトハンターズ達や町の住人ですら、言葉を失い眼を奪われる。生と死の境界線で、危い輪舞を踊る二人。しかしその一方が、一太刀毎に精神力を削られ疲弊してゆくのに対して…もう一方には恍惚とした笑みさえ浮かぶ。互角に見える勝負は次第に、歴然とした実力差が浮き彫りとなって。次第に両者のリズムが噛み合わなくなり、徐々にラグナのスピードが落ちてゆく。

「見るがいい、エディン=ハライソ!お前が求める強さを永遠に失った、虚ろな力の末路をっ」

 一瞬の間隙を縫って、グライアスの左手がラグナへと伸びる。それは瞬く間に細い首を鷲掴みにし、軽々とその身体を吊るし上げた。苦痛に顔を歪めながらも、その腕を斬り払おうとラグナがセイバーを翻した瞬間。強烈な衝撃に襲われ、彼女は黒い血を吐く。華奢で小柄な少女の肉体を、グライアスは全力で大地へと叩き付けたのだ。まるでボールの様に何度かバウンドして、その長身の足元でラグナが沈黙すると。思わずエディンは悲鳴を上げて眼を逸らした。

「お前もまた、私を超え損ねたか。ではお別れだ…あの男に会いに行くがいい」
「お待ちよっ、グライアス!相手を間違えてるんじゃないだろうね、ええ?」

 血の様に赤い真紅の大剣を、片手で軽々と操ると。鼻血を拭って身を起こすラグナの、首筋へと切っ先を向けるグライアス。彼は背後で響く声に振り返ると、冷たい笑みを浮かべてその刃を退く。同時にその隙を突こうと立ち上がるラグナは、完璧に死角から必殺の突きを繰り出した…繰り出したと思った瞬間にはもう、宙を舞っていた。既に敗者となった彼女を見る事すら無く、無言で一蹴してグライアスは向き直る。この地を訪れた真の目的を果たす為に。嘗てブラックウィドウの名で恐れられた、凄腕のガンスリンガーと戦う為に。

「落ちたもんだね、グライアス…昔の坊やは、か弱い女子供に手を上げる様な人間じゃ無かった」
「か弱い?私にはそうは思えぬがな。正しく、私と闘うに相応しい強者よ。あの娘も、貴女も」

 吹き飛ぶラグナが着地する、彼女と大地の隙間に滑り込んで。その傷付いた身を受け止めると、エディンは一先ず安堵の溜息を吐いた。痛みに苦悶の表情を浮かべてはいるが、ラグナはまだ生きていたから。彼女はまるで、何かに取り憑かれたかの様にエディンの手を振り払うと。剣を手にグライアスの背へと立ち上がったが、そのまま崩れ落ちる。

「男も女も無く、大人も子供も無い…私が求める強者は、ただ私を打ち倒し踏破出来る者だけだ」
「はン!そんなだから坊やなのさ。ちょいと悪戯が過ぎたね」
「私はただ、純粋に力を求めているに過ぎない…己であれ他者であれ、より強い力を」
「お黙りっ!そして思い知るのね。上から見下している限り、真の強さは手に入らないという事を」

 銃声が響いた。だが、ティアン=ノースロップの手に銃は無い。僅かにクラインポケットの開く音が響いて再度、グライアスの足元で着弾の煙が上がる。発砲は愚か、銃を握る姿さえ見えない早撃ちにしかし、グライアスはニヤリと笑って。切っ先をティアンへと向けて、無防備に歩み寄る。

「剣を退きなさい、ブラウレーベン・フォン・グライアス!次は当てるわよ…坊やっ!」
「それは素晴らしい、試してみる事だ。前言を撤回する…ティアン、貴女は未だ強く美しい」

 不意に歩みを止めて。その表情から冷淡な笑みが消え去り、グライアスは油断無く大剣を身構えティアンに対峙する。それは、ブラックウィドウが支配する制空権のギリギリの距離で。これより一歩でも不用意に踏み込めば、それは死を意味するから。見守るエディンにはもう、その駆け引きは人智を超えた領域での出来事だった。
 正に達人同士の真剣勝負。それを止める手立ても無く、間に割って入る力も持ち合わせては居ない。エディンに出来るのは周囲の者達同様、ただ黙って見守る事。他には、震えるラグナを抱き寄せる以外に無い。

「駄目ね坊や、私はもう。いいわ、さあ…いらっしゃい」
「…今、楽にしてやる。ティアン」

 勝負は一瞬だった。それがもし、勝負と呼べるのなら。複雑に絡み合う因縁と思惟、交錯する感情のうねりを飲み込んで。一足飛びにグライアスが踏み込み剣を突き出す。迎え撃つ銃声は無かった。それは周囲の者から見れば、当事者同士の生死を賭けた駆け引きには見えず。ただ一方的に、グライアスがティアンを斬り捨てた様に見えた。

「BANG!…あたしの、負けよ、坊や。だから、もう…あたしで、終わりに、なさい」

 真紅の大剣が深々と、ティアンの身に突き立ち貫いた。彼女は最期だけは、撃たなかった。銃を手で象り、その節ばった人差し指をグライアスの額に当てて。弱々しく微笑む彼女は、そのまま物言わぬ死体と成り果てる。伝説のガンスリンガーにしては、余りにもあっけなく唐突な最期で。見守る誰もが、勝負が決した事にすら気が付かなかった。

「さらばだ、ティアン=ノースロップ。我が魂の血肉となって生きるがいい…それが貴女の答か」

 静かに剣を引き抜き、グライアスがそれを振るって血糊を飛ばすと。支えを失ったティアンの身体が、重力に引かれてゆっくりと崩れ落ちてゆく。それを満ち足りた様な、しかしどこか寂しげな表情で抱き止めると。グライアスは剣を地に突き立て放し、両腕で抱き上げて。改めてそっと、ティアンの遺体を大地へ横たえた。

「終わりには出来ぬさ、ティアン。私を倒しうる者が現れるまで…その日までお別れだ」

 それは穏やかな死に顔だった。それを眺めて立ち上がる、グライアスが不思議に思う位に。パイオニア2出港より今日まで、棄民達を支えて来た者の最期にしては余りに往生際が良過ぎる。グライアスが良く知るティアンは、どこまでもバイタリティに溢れる逞しい女だったから。その事に少しだけ違和感を感じたが…彼はやがて一つの結論に辿り着き。それに得心を得て、ふむと唸った。

「私を哀れんで…それだけでは無いとなると。既に託したか」

 誰もが黙って見守る中、グライアスは再び剣を手に辺りを見渡して。その冷たい視線に、周囲のレフトハンターズは誰もが戦慄を禁じえなかった。法に縛られぬ無宿無頼の者達が、唯一恐れ従うは絶対強者の力。だから彼等彼女等は、まるで何かに追い立てられるかのように破壊を再開した。
 町が燃える…ティアンが今まで守って来た町が。その光景を呆然とエディンは眺めていた。正規の移民IDを与えられぬまま詰め込まれ、ラグオル入植まで肩を寄せ合い生きて来た人々。それが今、不条理な暴力を前に逃げ惑う他無い。そしてエディンはそれを黙って見ているしか出来なかった。

「さて、用は済んだ。私はもう行くが…来るかね?エディン=ハライソ」

 この後に及んでまだ、グライアスはエディンを誘う。奥歯を噛み締め、エディンが拒絶を叫ぶより早く。彼の目の前で立ち上がる人影があった。大きく肩で息をしながら、呼吸を整え剣を構えて。ラグナはその大きな瞳に大粒の涙を浮かべて、絶叫と共に彼女の手の中で、消え入りそうな程に弱々しくフォトンの刃が煌いた。エディンはその時、初めて聞いた…それは言葉にならないラグナの声。

「ほう?まだ立つか…よかろう、引導を渡してやる。我が身を磨く贄と散れ」

 グライアスが剣を大上段に構えるのと、それは同時だった。猛々しく叫んで地を蹴ると、ラグナが最後の力で渾身の一撃を搾り出す。為す術無く手を伸べるエディンは、両者が交錯する瞬間をただ己の瞳に焼き付けた。その光景は真っ赤に染まり、流血がエディンの頬を無情にも濡らした。

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