《前へ 戻る TEXT表示 暫定用語集へ | PSO CHRONICLEへ | 次へ》

 風がそよぐ。その空気の流れが、木の葉を揺らして吹き抜ける。虫達は人為的な季節に歌い、鳥達は南国へ渡る事を忘れて囀る世界。エディンは今、自分を取り巻くあらゆる存在を認識する事が出来た。
 繰り返し何度も、無意識に剣を振るう――己自身が剣と一体となる過程で。僅かな期間で彼は、驚く程に己の身を、その身に宿る氣の力を高めていたが。それはまだ長く険しい道の、ほんの入口に過ぎない。至らぬ自分の無力さを知ってしかし、それでも剣を振らずには居られないエディン。

「大したものね、エディン君。こんな短期間で……。才能、あるのかもね? 強くなったわ、貴方は」
「僕はただ、皆に支えられて立ってるだけですよ。皆の意思を受け止め満たす、器みたいなものです」

 パイオニア2船団旗艦、パイオニア2。その中心に広がるセントラルパークで、二人は再会した。限られた時間で急激に成長したと、そう思い込む事しかないエディン=ハライソと。今やその華奢な双肩に重い責任を背負う、その重さをしかし苦にもしないサクヤ=オロチマル。近くで、或いは遠くで……多くの知己や縁ある者が見守る中、二人は再会した。

「貴方を止めに来たわ、エディン君」

 有無を言わさぬ威圧感は、まるで無理をしているようで。エディンにはそれがすぐに解った。だが、言の葉を紡いで語る事を、彼は今は無駄だと悟る。不思議と相手の覚悟の程が、痛い程に理解出来た。しかしまた、はいそうですかと従えないだけの意地も、確かに己が身に感じるから。サクヤの背後で頷く師を見やって、エディンは刃毀れに塗れた実刀を構える。

「あの男は私が……私達、八岐宗家が全力を挙げて討ちます。だからエディン君、貴方は……」
「ただ指を咥えて見て居ろと――僕が介入する余地は無いと言うのですか? サクヤさん」

 エディンの問いに答える事無く、サクヤはクラインポケットから一本の棍を取り出す。自慢の両剣を振るって、エディンを両断したい訳では無いから。だが、そこに手加減はあっても手抜きは無い……彼女自身の氣が満ちれば、樫より削り出したただの棒切れも強力な武器と為る。

「エディン君、事はもう貴方の手に負えるレベルの話じゃないの」
「でも、僕にはまだ為せる事があります。何より僕自身が望む、為したい事が……為すべき事が」
「おじ様達が貴方に肩入れしてるのは知っているわ。でも駄目、貴方ではあの男には敵わない」
「そんな事、やってみなければ解りませんよ。僕は――」
「馬鹿っ! そうやって命を粗末にする事をあの人は……ノースロップさんはっ!」

 何より自分が。許せないと心の中で結んで、サクヤがエディンへと斬り込む。瞬きする間も無い連撃にしかし、エディンの体は勝手に反応した。その身に刷り込まれた型の通りに、サクヤの剣をいなし、捌いて避けるエディン。しかしその衝突に、斬り結ぶ両者は全く驚かなかった。
 僅かな時間とは言え、己の師である剣聖ヨォン=グレイオンに師事した者の剣。それをサクヤは決して侮らない。普段からどこか気弱で頭でっかちな、口ばかり達者だったエディンが相手でも。ただ、防戦一方で決して打ち返してこない事だけが、普段から良く知った彼らしいと思いながらも。容赦無く全力でぶつかれば、その経験の差は歴然で。たちまちエディンは窮地に陥るが、その心は澄んで淀みが無い。

「例え誰に止められても、貴女に止められてもっ! 僕はあの人と……グライアス卿と戦う!」

 複雑な思いを各々胸に秘めて、ただ見守る他無い多くの者にとって。エディンとサクヤの姿は、終わりの見えないワルツを踊るかのように瞳に映った。ただ一方的に片方が攻め、もう片方は守りに徹する……その繰り返しは、葛藤と渇望と決意の三拍子。

「何故そうまで……貴方は普通の人なの、普通の人で居て欲しいの。私と違って……」
「貴女が普通じゃ無いものですか! 優しくて気高くて、魅力的で、でも――」
「ただ普通の、穏やかで平和な日常へ! 帰りなさい、エディン=ハライソ!」
「臆病で打算的で、そんな自分を恥じつつ抗う……貴女が普通じゃないならっ!」

 息を紡いで吸い込み、無意識に吐く間に。両者は互いの感情を生々しくぶつけ合いながら激しく削り合う。甲高い音を響かせ、剣と棍とが不協和音を刻みながら。そのリズムは次第に、攻める側に主導権を委ねて跳ね上がる。いかにエディンが修行に没頭しようとも――その身に愚直に真摯に、剣の道を修めようとも。持って生まれた血の力、与えられた才の差は歴然で。加えてサクヤは、それに溺れる事無く努力を絶やさぬ者だったから。自然と、あたかもそれが当然の様に結果が両者を別つ。

「どう? この武器が本物ならば、貴方はもう死んでるわ! 立たないで、エディン君」

 迫る打撃を巧みに避ける、その付け焼刃の防御を突き破って。容赦無くサクヤは、エディンの身体に全力の一撃を叩き込んだ。それで終わると思った太刀筋に耐えられ、必死にニノ太刀を繰り出す。鬼気迫る彼女の氣を宿した木棍は、どんな名刀にも勝る鋭さでエディンを打ち据えた。吹き飛ばされた彼の肉体は、硝子の空へと舞い上がり……人工の重力に掴まって、仮初の大地に落下した。

「……でも、今、僕は生きてる……生きてるんですよ、サクヤさん」

 暫し地に伏し、這い蹲って。しかし束の間遠退いた意識を呼び覚ますと、エディンは即座に立ち上がった。無論、サクヤが言う通り……彼女の手にする武器が真剣ならば、自分の身体は細切れになっていただろう。しかし、現実にはそうでは無い。そうでは無いと往生際の悪さが囁き支えるのは、誰にも譲れぬ確かな決意。呼吸を整え青眼に構えて、エディンはサクヤにあくまでも抗った。

「どうしてそこまでするの? そうする理由も無いのに……そんな物まで手にして」

 エディンが手にする鋼の刃を、その朽ち果てた刀身をサクヤは知っていた。何故それが、如何にして彼の手に納まったかは解らなかったが。それは正しく、世に言う妖刀そのもの。銘こそありふれた、それこそ武器から包丁、鎌や鉈に鍬に鋏……何でも作る職人達の量販品だったが。その一振り、エディンが握り構える物だけは格が違った。
 嘗てコーラル全土を覆った、長き戦乱の世。その歴史の狭間で、血を吸い、鋼を断ち割り、命を貪り朽ちて尚。数多の英霊の怨嗟と妄念を飲み込んだ一振りだけが、作り手の銘を世に知らしめた。広義の意味では、ただ良い品をと精錬された全ての刃に与えられたその銘は。今では一部の者には、ただ一振りの刃を指す言葉へと昇華していた。

「これは、別に……ただ、僕の剣です。ちょっとした縁で譲られた、それだけの」
「そう。でも、使いこなせないなら。その力を引き出せないなら、大人しく……!?」

 サクヤの言葉を遮り、小さく鍔鳴りの音を響かせて。突如エディンが攻めに転じた。油断無く構えて迎え撃ち、その切っ先を制しながら。やはり未熟だと、これでは無駄に命を散らすだけだとサクヤが断じた刹那。彼女は信じられぬ光景に絶句し、放たれた言葉に始めて気付いた。気丈に張り詰めた自身の、悲鳴を噛み殺す心の内に。

「理由なら有るっ! 山程っ! 何より……サクヤさん! 貴女が泣いてるから」

 エディンの振るう、古びたナマクラが突如金切り声を上げて。その刀身からほの暗い紫煙を吹き上げ、容易くサクヤの棍を両断する。それは彼女にとって、信じられない現実だった。同時に言われて初めて、頬を濡らす己の涙を感じて。気付けばサクヤは無意識に泣いていた。未だ未熟な仲間を、その命を救う為とは言え容赦無く叩きのめす事に。彼女は自分で思う程に強くは無く、それを演じる事も出来なかった。

「闇鴉が……嘘、信じられな――」
「信じて下さい! 僕を、僕等を! 死にませんよ、僕は……だからもう、独りで背負い込まないで」
「嫌よっ! 死んじゃうわ……もう嫌よ、私こそ黙って見ていられないわ。その剣が使えても、でも」
「泣くなよ、サクヤ。いい女が台無しだぜ? この馬鹿ぁ死なねぇよ……オレが守ってやる」

 見守る誰もが割って入ろうとした、その誰よりも早く。純白に輝く、何よりも白い身体が両者の間に立って。剣を鞘へと納めるエディンを小突くと、尻餅を着いたサクヤへと優しく手を伸べる。それは誰が見ても、嘗てブラックウィドウの銘を馳せた、今はただのフェイその人だった。長く棚引く銀髪を風に遊ばせ、見る者に強烈な違和感と印象を刻みながら。彼女はサクヤを引っ張り起こす。

「それまでやでー! サクヤ、気ぃ済んだやろ? エディンはんは本気や、止められへん」

 周囲の者達も皆、安堵の溜息を吐きつつ。その人の和が散り散りにばらける中から、一人の少女が飛び出して来る。彼女は主であり友人であるサクヤへと、一目散に駆け寄り抱き付いて。泣き濡れたその表情を心配そうに見上げた。その不安そうな顔を見下ろし、涙を拭うサクヤ。

「私の負けよ、エディン君。でも約束して……フェイも。必ず生きて帰るって」
「そやで! エディンはんも、そっちの姐さんも。折角ウチ等が総力を挙げて調べたよって」

 自称サクヤの使い魔、リリィは語った。この場に集った者達の、その中心に立つエディン達の目指す決戦の地を。それは皮肉にも、この艦に……旗艦パイオニア2に存在した。

「小石隠すなら砂利の中、言うてなー? あんにゃろー、この艦の地下に巣食ってんねん」
「この艦の、パイオニア2の地下都市構造は複雑に入り組んでるわ……ラグオル降下に備えて」

 船団内で最も巨大な移民船、パイオニア2。その船体には、他の艦とは大きく異なる機能が持たされていた。それが艦底に広がる地下都市構造体。ラグオル降下後、速やかに居住地へと都市を建設するべく、既に建設を半ば終えた状態の建造物が多数収納されている。普段は無人の、関係者以外立ち入り禁止のエリア。人工太陽の光さえ届かぬ、そこはもう無法者の救う魔都と化していた。

「本当なら私も一緒に行きたい。出来れば、私だけで……」
「そら困るで、サクヤ! ただでさえ宗家は今、どの家もこないだの件で弱ってんねん」
「そうよね、私はあの場所に居なければいけない。だから」

 サクヤはエディンとフェイを交互に見やって。立場ゆえに動けぬ自分を悔やむ一方で、今は思いを託すしかないと悟れば。自分もそうだと、師であるヨォンがサクヤの肩に手を置く。不思議と気負っていた自分が氷解していくようで、サクヤは余分な力が抜けた。後はただ、為すべき事を各々が為すだけ。

「エディン、まだ教える事が山程ある。剣も、酒も女もな……生きて帰ってこい。皆で待ってる」
「ヨォンさん……解りました。また僕に、剣の道を教えてください。帰って来たら、必ず」
「それとな、エディンはん。こんな事頼めた義理やないんやけど。シオが連絡とれないねん」

 レフトハンターズ達の隠れ家を、その首魁であるブラウレーベン・フォン・グライアスを探す過程で。サクヤの願いに、珍しく率先して動いた人物が居た。全ては八岐宗家の為……捜し求める敵を見つけたと、その座標を告げるメールを最後に。シオ=クシナダマルは消息を絶った。

「身内の面倒事で悪いんだけど、お願いエディン君……それと、面倒ついでにもう一つ」
「アンセルムスさんの事ですね? 僕も探したんですけど」
「ハン、何となくだがよ。オレ等の一歩先を進んでるかもしれねぇ……だからよ、手遅れになる前に」

 葛藤が消え、渇望は希望へと転化して。決意はより強く胸に秘める。

「ほんじゃま、行こうぜエディン?今夜は特別な夜だしよ……ちゃっちゃとケリ付けようや」
「そうか、今日は……今夜は。そうですね、今夜で一緒に終わらせましょう。この馬鹿騒ぎを」

 仲間達に見送られ、エディンとフェイは踏み出す。最後の夜に決着を付ける為に。迷いも心残りも無かったが、エディンは一つだけ大事な事を忘れていたから。それを片付けたいと言い出し、フェイは渋々承知する。そうやって連れ添い去ってゆく背中を……サクヤは皆と、見えなくなるまで見送った。

《前へ 戻る TEXT表示 暫定用語集へ | PSO CHRONICLEへ | 次へ》