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「心拍数、低下! 先生、出血が止まりません!」
「レスタ、もっと唱圧上げて! 増血剤遅いぞ、何やってんの!」
「すみません、私のテクニックじゃこれが限界で……」

 医師と多くの看護士に囲まれた自分の肉体。
 緊急オペの準備が進む手術室の前で、エディンはそれを眺めていた。廊下の壁に寄りかかり、腕組みして。片足のつま先でトントンと、落ち着かない様子で床を蹴る。

『僕、助かるかな……僕よりも、でも』

 彼は視線を、己の肉体を乗せたストレッチャーから隣へずらす。そこには、白い布を被せられた一体のアンドロイドが横たわっていた。彼女の周りにもう、医療スタッフはいない。

『でももヘチマもねぇだろ。助かれよ、エディン』
『気軽に言ってくれるなあ、相変わらず』

 廊下を挟んで向かい側の壁に、見慣れた長身が寄りかかっていた。
 差し込む朝日が作る影で、その表情は見えない。

『気合と根性だ、エディン! いつもの往生際の悪さで足掻いてみせろや』

 既にもう、肉体の頚城を解かれた魂。それが今、いつもの調子でエディンの尻を叩く。気楽に言ってくれると苦笑を返せば、相手も腹を抱えて笑う。

『まあ、まだ諦めてはいないですけど。こればっかりはでも……』
『祈れ、エディン!』
『僕、宗教信じてないんで』
『じゃあ、そうだな――願え、エディン!』

 祈るべき神を持たぬ自分が、何に願うのか。そう問い返そうとした瞬間、二人の間を蒼い総髪が翻った。努めて冷静を装う、その人物の顔色は血の気も失せて蒼白。
 そんなサクヤ=サクラギを追い越し、エディンに駆け寄る少女がいた。彼女は看護士が止めるのも構わず、半死の重傷人を揺すって呼ぶ。涙で掠れたその肉声を、エディンは初めて聞いた。

『ラグナさん、無事だったみたいですね。良かった……でも、酷い怪我だ』
『手前ぇよか軽傷だろうがよ。ま、アイツは死ぬようなタマじゃねぇ……これからもずっとだ』
『これからも、ずっと? それは解らないじゃないですか。客観的な数値に基く根拠もな……』
『オレが根拠だ! つーかよ、信じる気持ちに理屈なんているかよ。それより、だ――』

 眩い光が集束するのを感じて、エディンは自分の肉体を見た。

「下がって、ラグナ。皆さんも。私にやらせてください。ううん……私がやらなきゃ」

 呼吸を整え鼓動を律して、サクヤが精神力を紡ぎ束ねる。彼女は今、全身全霊で癒しの術を組み上げていた。その身が眩しい朝日の中で、一際煌々と輝く。
 高レベルのレスタが発動して、エディンは自分の肉体がビクンと反応するのを感じた。

「心拍数、以前低下! 出血は……駄目です、止まりません!」
「こ、これほどの術でも駄目か……!? き、君っ! 無茶は止めたまえ、力を使いすぎれば――」
「しっかりして、エディン君! 貴方、死なないって言ったじゃない」

 当初は患者から引き剥がそうとしていた医師達も、サクヤのテクニックのレベルに思わず一縷の望みを見出すが……生への希望は手を伸べ触れた瞬間、掴む前に遠退いてゆく。死は、間近にあった。
 サクヤはそれでも諦めずに、タスキを取り出し袖をとめると。より強い力でエディンへと、生命の波動を送り込む。まるで身を削るように懸命に。

「いつもそうやって、嘘ばっかり吐いて……私、怒ってるんだから! エディン君!」

 何度も、何度も何度も。サクヤは効果が現れるまで、繰り返しレスタを実行した。そうして必死に、消えかけた命の炎を守ろうとする彼女を嘲笑うかのように……エディンの肉体は死へと近付いてゆく。
 血が余りにも失われすぎた。冷たくなってゆく自分を見詰めながら、ぼんやりとエディンはそんな事を考えていた。妙に冷静に、自分の死因を把握できる。瀕死で今に至った、その過程までも。
 彼は意識を失った後、八岐宗家の人間に発見された。その胸に、物言わぬ残骸となって果てた、一体のアンドロイドを抱いた状態で。

「その上、私の友達まで嘘吐きにする気!? 彼女は約束した、貴方を守るって! だからっ!」

 ドクン! 鼓動が強く、確かに脈打った。思わずエディンは自分の肉体から、向かいに佇む人影へと視線を移す。
 やはり、その影は笑っていた。それは、戻るべき場所へ戻る者を見送る笑み。

「せ、先生……心拍数が、回復します……出血、止まり、ました」
「し、信じられん……ええい、急げ! 手術室の準備はまだかっ!」

 肩で大きく呼吸を貪り、よろけてラグナに支えられながら。サクヤは額の汗を拭うと……意を決してフルイドを自分に打ち、エディンの身体を離れてゆく。
 彼女の向う先には、既にもう息絶えた遺体。その身体を覆う白い布を、サクヤは静かに取り払った。そこには、戦闘の汚れと傷も痛々しい一体のアンドロイド。

『あー、うーん……ヘイ、エディン! さっさと生き返ってサクヤを止めろ。擦りきれちまう』
『どうやってですか、どうやって……もしかしたらでも、サクヤさんなら』
『サクヤは神様じゃねぇんだ、無茶すりゃぶっ倒れるぜ? ったくよ……』
『サクヤさんにとって、それだけ貴女は大事な人なんです。僕にとってもですよ――フェイさん』

 サクヤは眉間に皺を寄せて、険しい表情で集中。我が身に宿る異能の血を呼び覚ますべく、精神力を振り絞った。
 世に生を受けた者は皆等しく、死より逃れることあたわず――されど古の血に、その理を曲げる力あり。
 サクヤは生まれて初めて、己の身に宿る異能の力を使おうとしていた。八岐宗家でも今は一番力の弱い、木花丸家に生まれながらも、誰よりも強くその身に宿った力……その銘は龍詠。死者の魂を呼び戻し、その肉体を蘇らせる奇跡の業にして禁断の秘術。

『良く聞け、エディン。一度しか言わねぇ……限りがあるからこそ、モノには価値がある』
『な、何ですか急に……また四人で、楽しくやりましょうよ。ずっと……ずっと一緒に』
『さっき言ったよな? ラグナはずっと死なねぇって。そりゃ、天寿を全うするって意味だ』
『フェイさん? らしくないですよ、生きたくないんですか?』
「ククク、探したぜフェイ……お嬢ちゃん、どいてくれるか? ここから先は俺の仕事なのヨ」

 低く篭った声が響き、サクヤの集中が乱れた。同時に、発現しかけた奇跡が霧散する。

「貴方は? 邪魔しないで下さい、私は仲間を……友達を!」
「お嬢ちゃん、友達なら――もう眠らせてやっちゃくれないかナ。こいつはもう、充分戦った」
「充分戦ったかもしれない、でもっ! まだ充分生きてないわ! まだ、全然――」
「そうだナ。だが……限りある命を無限に繰り返せば、その生きた人生の価値を……壊してしまうのヨ」

 突然現れた、白いツナギの男。エディンはその、大きく傷の走る顔に見覚えがあった。確か名は――

「キタミさん、と仰いましたね……貴方なら治せるんじゃないですか? フェイを!」
「いや、俺は部品を取りに来ただけヨ。何せ朝っぱらから、面倒な修理が一件あってナ……ククク」
「フェイは死なない、死んでないわ! いやっ、貴方には渡せない……渡せるもんですか!」
「そう、フェイは死んじゃいない。まだ、コイツを覚えている奴がいるからナ……ならこれは」

 キタミ=ジュンは、安らかな死に顔のフェイに目を細めて。その頬を一撫ですると、まるで我が子を見送るように微笑んだ。驚く程穏やかな、地獄のチューナーの笑顔。

「これは、部品の塊だ。今まで宿っていたフェイの魂は、お嬢ちゃん……お前たちが受け継ぐんだ」

 そう言い捨てて、キタミはストレッチャーのブレーキを解除する。同時に、エディンと廊下を挟んで向き合っていた影は、壁から背を離して踵を返した。

「……フェイ、俺も技師の端くれだからナ。約束は守る、形は違えど……魂の約束は守る」
「?……キタミ、さん?」
「お嬢ちゃん、そこの死に損ないの小僧がエディンかい? ククッ、フェイから聞いてるゾ」
「え、ええ……」
「右手と、左足か。そういう仕事も、何度かした事があるわナ」

 エディンも壁から身を離して、目の前で去ろうとする影に歩み寄る。

『まあ、そゆ訳だ。エディン……文字通りオレは、お前の手足となって生きる』
『フェイさん……』
『人は、誰からも忘れられた時に本当に死ぬ。オレはお前の、お前等の中で生きる――ずっと、だ』
『解りました、フェイさん。じゃあ、一緒に行きましょう。ラグオルへ』
『ラグオル?』
『何があったか解りません、でも何かがあったんです――ヒーローの出番じゃないですか』

 黙って笑うと、手を伸べエディンの頭をクシャクシャと撫でる。その純白の影はもう、朝日に眩しすぎて見えない。

『……お別れですね、フェイさん』
『ばーか、すぐに会うだろ? まあ、エディンは貧弱だからな……全治三ヶ月ってとこか?』
『いえ、すぐにでも連れて行きますよ……そう、僕らはまた会います。じゃ、また』
『ああ、またな。また――』

 掲げられた手に手を合わせて。互いに力一杯叩けば、二人にしか聞こえない渇いた音が響いた。それは残響となって、いつまでも二人の耳に残る。
 互いに背を向け、二人は歩き出した。それぞれの生へ。

「先生、手術室の準備完了です!」
「よし、至急患者を入れろ! すぐにオペに入る!」
「じゃ、お嬢ちゃん……義手義足は任せてもらうヨ。とびきりの奴を削り出してやる」
「はい……フェイ、約束を守ってくれてありがとう。私、待ってるから……またね」

 エディンの肉体は、忙しく動き回る医師達の手で手術室へと吸い込まれてゆく。それを見送り、キタミはフェイの乗せられたストレッチャーを押して、逆の方向へと歩き出した。
 こうしてエディンとフェイは別れた。誰もが一度、フェイと別れた。
 この日、総督府はラグオルでの異変への対応に忙殺され……コリン=タイレル総督は決断を下す。
 ラグオルへの調査の依頼を、ギルドに所属するハンターズの全てが受け取った。
 ラグオルに永く歌い継がれる、英雄達の歴史の――その始まりの夜明けだった。

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