アーモロードに集う冒険者はギルドに所属し、パーティを組んで世界樹の迷宮へ挑む。
その全てを統括し監督する、冒険者ギルドにメビウスは来ていた。勿論、既にギルド『ソラノカケラ』を登録し終えている。そうでなければ、合流した仲間達とこうしてはいられない。
今、メビウスは雑多な冒険者で賑わう片隅でテーブルを囲み、職業の届出用紙に向かっていた。
「で? 隊長、その娘っ子はどうしちまったんですか? まさかコッペペの旦那にそのまま――」
同じく届出用紙を片手に頭をかきむしり、仲間の一人が大きく椅子にふんぞり返った。
彼が今しがた名をあげた人物同様、アーモロードでの登録に難儀しているようだ。この街では詩人は、迷宮に入ることを許されない。冒険者の職業として認められていないのだ。
昔なじみの吟遊詩人、タリズマンの行儀悪さに苦笑しつつ、メビウスは頷きを返す。
「それはでも、猛獣の檻に生肉を、それもとびきり上等な肉を放り込むようなもんじゃないですか」
双子の片割れ、姉だか妹だか、兄だか弟だか解らない仲間が溜息を零す。その隣で同じ顔が大きく頷いた。彼ならばネモ、彼女ならばエイビス……何年経っても見分けるのが困難だが、彼と彼女の指摘にはメビウスも同意だ。普段なら同意なのだが、
「それがねえ、あのコッペペがすっかり毒気を抜かれちゃってさ」
「へえ、あの旦那が女の子にか……隊長、そいつぁ面白ぇ」
メビウスを隊長と慕うのは、タリズマンの昔からの癖だ。
「ま、あれじゃ手を出す気にもならないんじゃないかな。何せほら、借金したっぽいし」
「なるほど。つまりそのお姫様と今は二人か、いや、もう少し増えたか……今回のトライマーチは」
先日メビウスと再会したコッペペは、その日を食って暮らすにも困っていた。
そんな彼が、それでもメビウスに生粋の女好きな一面を再確認させた、その直後である。コッペペは突如現れた少女が、お姫様が申し出るままに資金を借り受けたようだった。
ようだった、と言うのは、メビウスは最後まで見届けたわけではないから。
礼を言う少女に最低限の注意を喚起し、コッペペに任せたのだ。
「何にせよ、コッペペさんだって見境なしじゃない。……と、ぼくは思いますけどね」
既に用紙にシノビと記入を終えて、グリフィスが腕組み目を瞑る。この男も昔馴染みの頼れる仲間で、決断力には定評がある。その決断、時に英断が何度もパーティの危機を救ってきたのは、鋭い洞察力と観察眼が備わっていたからこそだろう。
「どれどれ、ほー、グリフィスはシノビか。はぁ、俺ぁどうすっかな……」
ペンをもてあそぶメビウスの心境を代弁するように、タリズマンは大きな溜息を零す。
そう言えばあの男は……同じ詩人のコッペペは、この街で何を生業とするつもりだろうか?
「この、パイレーツというのはどうかな? 話によれば活躍次第で、元老院から船が貰えるらしい」
「海賊かぁ……悪くねぇな、グリフィスよう。この海都なら沖に出れば、いい詩も浮かぶだろうよ」
椅子を揺らして天井を仰いでいたタリズマンが、知己の言葉にテーブルへ向かいなおる。
改めてメビウスも、身の振り方を検討しはじめた。
「へー、ネモ達はゾディアックか。……二人とも? まあ、いいけど。で、メビウス、君は?」
「見れば解るだろ? 今、考えてるんだ。そう言うきみはなんだい?」
「俺はこの、バリスタってので。後方支援ならお手の物って訳さ、何も迷うことはない」
誰かさんと違ってね、と友が笑う。古くから背中を預ける竹馬の友、スカイアイは今日もメビウスの隣にいた。既に書き終えた用紙で紙飛行機を折り、それをメビウスの視界で掲げて見せる。
「そう悩みなさんなって。後は君だけだぜ? リボンの魔女」
「はぁ……この間のあの娘とかなら、こういう時困らないんだろうけどな」
いよいよ煮詰まって、メビウスはテーブルに突っ伏した。
目の前に並んだ職種一覧を、じとりと眺めてゆく。その脳裏を過ぎる、先日の少女。
「あの娘、絶対にこれだよ、これ」
「どれ? メビウス、君もそれにしたら?」
「ばーか、これは血筋の証明ができる人間じゃないとなれない職業なの」
どれどれ、と仲間達の視線が一点に集中する。
「プリンセス、か。確かに隊長はお姫様ってガラじゃないなあ」
「同感だな。ぼく達の知ってるリボンの魔女は、王女様という雰囲気じゃあない」
「だとさ。さ、真面目に考えるんだね。それもなるべく早く決めてくれたまえよ」
口々に言葉を零す仲間達に、双子が無言で頷きあった。
アーモロードのロード元老院が、冒険者ギルドに指定した職種の分別は十種類。その中でもプリンスとプリンセスには、その高貴な血筋を証明することが求められた。
勿論、メビウスは庶民生まれの庶民育ち、由緒正しいド庶民だ。
加えて言えば件の少女は、たとえボロを着ていようとも、一目で素性が知れるだろう。
「いやー、世の中にはいるんだよ。本当に生まれ持ってのお姫様が」
「それがまたどうして、冒険者なんかに?」
「それも、よりによってコッペペの旦那に声をかけちまうたぁ、ね」
確かに、少女の発散する空気は、どこか雑然として騒がしいこの街には不釣合いだ。
だが、世には人の数だけ、事情というものがあるのも自明の理で。不要な詮索はせぬのが冒険者の流儀だった。だから勿論、メビウスは仲間達の過去を問わないし、問われたこともない。同時に、いつ問われてもいい仲であった。
そんな仲間達を改めてぐるりと見渡し、メビウスは顔を上げてペンを握りなおす。
「モンク? そりゃいい、メビウス。君向きだよ、頑張って拳を鍛えることだね」
「なるほど、確かにこれなら以前の経験も生かせるし、パーティ構成もバランスが良くなる」
「固いねぇ、相変わらずグリフィスさんはよ。隊長はあれだ、いざって時は誰より早く手が出――」
一言多いタリズマンの額を、満面の笑みでメビウスは指で弾いた。
そうして改めて、仲間達の用紙を集める。
最後に、スカイアイが飛ばしてよこした紙飛行機を丁寧に開いた。
「後は届け出るだけとして。宿は確保してあるし、装備を買いにでも行こうか」
「なあなあ、賭けないか? コッペペの旦那の再就職。さてさて、何を選んだやら」
席を立つメビウスを他所に、タリズマンは楽しげに仲間達と額を寄せ合った。
取り立てて急ぎの用もなく、諸々の雑務は既にメビウスが片付けている。
何より、世界樹の迷宮は逃げはしない。
「タリズマン、賭けが成立しないよ。なあ、そうだろ? グリフィスさん」
「うん。コッペペさんだって、御婦人の次は詩だろう? 君と同じだと思うね」
スカイアイとグリフィスが乗ってこなかったので、タリズマンはお手上げとばかりに肩を竦めた。
が、今度は逆にスカイアイが、
「それより、賭けるなら件のお姫様だね。世間知らずの温室育ちが、流れの詩人に……ってのは?」
「それこそ賭けにもならねぇ。まだ子供だったんだろ? 旦那にそんな甲斐性はないぜ」
「それに度胸と勇気もない。けどまあ、コッペペさんは子供には無害、それどころか親切さ」
誰もが皆、別のギルドの人間とは言えコッペペとは親しかった。時に仕事を共にするくらいだ。
勝手に向こうから馴れ馴れしく近付いてくるのもあるが……基本的に両ギルドが友好関係にあったのもある。自然とメビウスも、コッペペを筆頭に懐かしい面々を思い出していた。
「兎に角、リシュリーは大丈夫。だと、思う。トライマーチのことも含めてね」
パーティ全員が無条件で賛同して、不敵な笑みと共に誰もが立ち上がる。
その姿を肩越しに、頼もしいものだとメビウスは振り返った。そうして用紙の束を片手に、冒険者ギルドのカウンターに向かう。
と、その身が何か固いものにぶつかった。
「っと、失礼」
混雑する中、仲間達を見ていたメビウスは他の冒険者にぶつかったのだ。
非礼を詫びつつその横を通り過ぎようとした時、玲瓏な声が背を引き止めた。
「待て。貴公、当方のリシュリーをご存知か」
呼び止められた次の瞬間には、メビウスは二の腕を篭手が覆う手で掴まれていた。
相手は重装歩兵、ファランクスの女性だ。歳の程は見た目、メビウスより四つか五つほど上か……短く切りそろえた薄い銀髪の下に、どこか暗い双眸が真っ直ぐ見詰めてくる。
メビウスは咄嗟に、背後で身構える仲間達を視線で制した。
相手もその気配を察したようで、手に込めた力をすぐに緩める。
「こちらこそ失礼した。ものを尋ねる態度ではないな。が、非礼を承知で教えて貰えまいか?」
「いや、いいさ。だけど、口の軽い冒険者は嫌われるからね」
慎重なメビウスの言葉に、長身のファランクスは納得したように手を離す。
だが、まるで鉄面皮のような無表情は変わらない。
「済まぬ、私はリシュリーの身内の者だ。国許からの便りがあって、探しているのだが……」
「ああ、なるほど。なら、トライマーチというギルドを尋ねるといいよ。ぼくが言えるのはそれだけ」
利発に富んだメビウスの、冒険者の流儀をわきまえた返答だった。
多弁に語るほど相手を知らず、無言になるほど相手に悪意は感じられないから。寧ろ悪意ばかりか、凍れる端正な顔立ちの下には、どこか逼迫した焦りが感じられる。
さしずめ、飛び出したお姫様を探している家中の者といった手合いだろうか。
「感謝を。私はエミット。……家名は捨てた。兎に角、貴公との巡り合わせで助かった」
「まあ、一応それなりの男についてったから無事だと思うけど。でも、急いだ方がいいね」
「無論、そのつもりだ。まなび、アニッシュ、行くぞ。トライマーチとかいうギルドだ」
エミットと名乗ったファランクスは、少し離れて雑談していた一組の少年少女へ声をかける。そうして二人を連れると、重鎧をガシャガシャと鳴らして冒険者ギルドを出て行った。
不思議とメビウスは、その後姿に件の少女が……異国の姫リシュリーが重なるのを感じていた。