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 アーマンの宿は冒険者達で賑わっていた。
 その騒がしい大食堂で、エイビスは深い後悔に襲われていた。悔恨とさえ言っていい。
「五人一組なんて、誰が考えたんだろ……俺も買い物にくっついて行けばよかった」
 しかし、どうせネモと同じ装備でいいのだからと、一足先に宿へ向かったのがいけない。
 やはり横着せず、メビウス達と一緒にネイピア商会とやらに顔を出すべきだったのだ。今更悔やんでもしかたがなく、後の祭りである。もっとも、目の前の男は祭のようにはしゃいでいたが。
「いやあ、エイビス! お前さん、またいい女になったなあ。ええ、おい。兄弟は元気かい?」
 先程冒険者ギルドでも噂にのぼった、コッペペが何故かモップ片手に働いていた。
 エプロン姿はとても冒険者には見えない。
「……何してんのさ、あんた」
「いやあ、見ての通り御覧の有様でよ」
「有様は解るけど、何でそんなことしてるか見てもサッパリなんだけど」
「いやあ、深い訳がありまして……どう? この後オイラの部屋でゆっくり朝までその辺を」
「断る」
 珈琲を片手にエイビスは、相変わらずのコッペペを軽くあしらう。向こうも本気ではないようで、「あらら、つれねぇなあ」などとぼやきつつ床を掃除しはじめた。
「いやね、借金しちまってよ。でもま、ギルドは登録できたし、古い馴染みに連絡もついた」
「んで?」
「それで今、借金を返すべく労働に勤しんでいる訳だよ。ワッハッハ」
 陽気に笑ってコッペペは胸を張る。
 それを横目に、エイビスは深い溜息をついた。
「迷宮で……世界樹の迷宮で稼ぐって発想はない訳? 仮にも一応、冒険者なんだからさ」
「んー、それがなあ。オイラ一人じゃ危ないしよ。メンバーも今、募集中で」
「あんたの大事なお姫さんは、スポンサーはどうしたのさ? そいや姿が見えないけど」
 そう言えば、冒険者ギルドで件のお姫様を探している連中がいた。案外もう、無事に保護されたのかもしれない。
 そう思うエイビスの予感はしかし、現実に掠りもしなかった。
「おじさま! お仕事終りましたわ。大っ、成功っ、ですわっ!」
 元気な声を弾ませ、誰もが道を譲る中、リシュリーが現れた。
 月夜に太陽を並べたような満面の笑みで、スカートをつまみ小走りにこちらへ向かってくる。
「おうおう、お疲れさん。どうだい? 子犬は見つかったかい?」
「はいっ! ご夫妻は凄く喜んでましたわ。それに、ほらっ!」
 リシュリーは両手で、大事そうに十エン札を握り締めている。エイビスにとってそれは見慣れた、この世界の通貨に過ぎないが。彼女はそれを、霊験あらたかな御札か何かのように抱き締めた。
「これが労働の対価……お金なのですね。わたくし、お金は初めて見ましたわ」
 うっそりとリシュリーは目を細め、まるで子供のように大事そうに十エン札をしまった。
 実際確かに会ってみれば、エイビスから見てもまだまだ子供……年の頃は十代半ば、その一歩手前か。
「よかったなあ、リシュリーちゃん。十エンってのは大金だぜ?」
「まあ、やはり……これはでは、もしや噂の『お買い物』というのに使えるのでは」
「ったりめぇよ。さあ、なくさないよう部屋に戻ってしまっておきな」
 黄色い声をあげてリシュリーは、ブンブンと首を縦に振ると、見守り絶句する周囲の冒険者達を置き去りに踵を返しえた。見ているエイビスが面白くなるほど、その姿は優美で典雅で。無頼漢で通った冒険者達が自然と、海が割れるように道を作る。
 リシュリーが客室の方へ消えると、説明を求めるエイビスは半目に視線を放る。
「ま、まあアレだ……冒険者の仕事にも色々あるじゃねぇかよ」
「例えば迷子の子犬探しとか? お姫さんもでも、よくやるよ」
「喜んでんだ、いいじゃねぇか。迷宮で怪我でもされたら目覚めが悪ぃしよ」
 周囲の空気が元の喧騒に戻ると、コッペペはモップに両手を乗せて、その上で顎を休ませた。
「リシュリーちゃんは冒険者生活を楽しむ、オイラはここで借金を返す。そんな感じだ」
「なるほど。一応考えてるんだ……感心した、ってか見直したかな」
「お? そうか? いやぁ、もてる男は辛いね! そうかい、惚れなおしたかい」
 とどのつまり、コッペペの目論見はこうだ。素直に金を(現金ではなく宝石だったと彼は驚いてみせた)借りたはいいが、外の世界を知らぬお姫様を世界樹の迷宮に連れ出すのも危ない。が、冒険者を夢見る少女に、いくばくかの労働を体験させてやりたいという気持ちもある訳で。酒場の女将を拝み倒して、コッペペはアーモロード内の小さな小さな依頼を、リシュリーに紹介しているのだった。
「なんか、その、あんたバカだなあ。相変わらず。そこは素直に偉いと思うよ、バカだけど」
「よせやい照れる。まあ、リシュリーちゃんも程よく自由を満喫したら、誰かが迎えに――」
 しきりに野放図な金髪をかきむしって、コッペペは表情を崩した。この男ときたら、ぐうたらでいい加減な癖に、時折真面目で真摯で、しかも無意識に子供のような笑顔を見せる。
 影響は受けないが得心を得て、エイビスが肩を竦めていると、
「エミットさん、宿帳に名前がありました。ここで間違いありませんよ」
「リシュリー・ミルタ・ミル・ファフナント……すっげえ名前だなあ、エミット」
 ファーマーらしき少年の声に、矮躯のモンクが驚嘆の声をあけすけなくあげる。
 そんな少年少女の間から、一人の長身痩躯が抜きん出た。
 その鎧姿は自然と、エイビスに先程の冒険者ギルドでのやりとりを思い出させる。メビウスと一悶着あって、リシュリーを探していた女だ。
 同時に、長らく兄(あるいは弟)と流離っていたここ数年を思い出す。ファフナント……確か、西に同じ名の列強国がある。辣腕の賢王が治める、大きな国だ。旅の途中に身を寄せたこともあれば、自然と民草の間を行き交う噂話も記憶野に蘇る。
 王は能力において比類なき才あり、気質において狂気を帯びていたとエイビスは聞いていた。
「問おう、貴公がトライマーチのギルドマスターか?」
 エイビスを挟んで、女はコッペペに呼びかけた。
 抑揚に欠いた、しかし怜悧な声だ。
 それに対するコッペペの反応を振り返って、エイビスはあきれ返る。
「いかにも、お嬢さん。おお、もしや冒険者ギルドの募集掲示板を? でしたら光栄の至り、こんな美しい方をお迎えできるなどと……ともに世界樹の迷宮に挑む仲間、早速個室にて親睦を――」
 コッペペの表情は、形ばかりは端正な美青年を取り戻し、キリリと引き締まっている。そして、今まで何度も見てきた手練手管で、緊張感に強張る重装歩兵の女性を前に頭を垂れた。見慣れた気障ったらしさに思わず、エイビスは笑いを噛み殺す。
 その刹那、笑ってもいられぬ状況にエイビスは椅子を蹴った。
「リシュリーはどこだ? 貴様、返答次第では捨て置かん……答えろ!」
「うわっ、ちょ、ちょっ、待った! 暴力反対! リシュリーちゃん? なら――」
 女は――確かエミットと名乗った彼女は――軽々と片手でコッペペの首根っこを吊り上げた。
 歴戦の冒険者が情けなく、宙でばたばたと手足を振る。
 しばし呆気に取られるエイビス。周囲も何事かとざわめきが寄せる。エミットは仏頂面に僅かに眉根を寄せて、言葉も険しくコッペペを問い質す。その声音は鋭く尖って、まるで鋭い刃のよう。
「え、ええと、確かエミットさん? お姫さんを探してるんだよね」
 気付けばエイビスは、両者の間に割って入っていた。厳つい防具に覆われたエミットの腕へ手を伸べる。返される視線に怖気ず、猛獣をなだめるように言葉を紡ぐ。彼女に倣って、エミットの仲間達も止めに入った。その時、
「おじさま、次はどんなお仕事でしょう。わたくし、なんだかコツが掴めてまいりましたわ」
 より一層状況を混乱させる、あるいは収束させる人物が現れた。


 まるで後光を背負ったような存在感で、小さなリシュリーが場の空気を塗り替える。その姿を見たエミットが、僅かに表情を崩した。エイビスはそこに、安堵の感情を読み取る。
「リシュリー、よかった……無事なのだな」
「あっ、おばねーさま!」
 ポイと軽々、コッペペは放られ捨てられ飛んでいった。それを多少は哀れに思いながらも、エイビスは抱き合う両者を見守る。感動の再会は周囲を置き去りにし、無邪気なリシュリーの声だけが明瞭に響いた。
「お探ししてましたわ、おばねーさま。この街にいると、ははねーさまが」
「それは私の台詞だ、リシュリー。ああ、よくも無事で……宮殿しか知らぬお前が」
「おじさまが色々と親切にしてくださったのです。わたくし、今では立派な冒険者ですわ!」
「冒険者? リシュリー、お前が? この街の?」
 エミットが連れる少年少女が、後頭部をさするコッペペを抱き起こす。そんな二人をコッペペは、射程範囲と見て取るや口説きはじめる。その姿を横目に呆れつつ、エイビスは小さくうろたえるエミットに呼びかけた。
「その娘は立派な冒険者、トライマーチのメンバーだよ。あんたも冒険者なら、この意味が解る筈……リシュリー、だっけ? 兎に角彼女は、立派に自分で稼いでる冒険者なんだ。今はね」
 例えそれが、些細で瑣末なクエストでも。街の便利屋程度でも。リシュリーはトライマーチの一員として、ギルドマスターたるコッペペの提示した仕事をこなしていた。ならば答は明白である。
 エイビスの言葉に、エミットはしばし暗い目を点にして見詰め返してきた。
「そちらの方の言う通りですわ、おばねーさま。わたくし、念願の冒険者になりましたの」
「冒険者に生まれだ血筋だは関係ないってね……それはあんたが一番よく知ってるんじゃない?」
 エイビスの確信にも似た一言に、エミットが動揺も露に俯いた。
 図星だ。一目見た時からエイビスは察知していた。その言動や振る舞い、立ち姿に予感していた。叔母か姉かはいざ知らず、リシュリーがそう呼ぶなら……恐らく、エミットも元は王族。それくらいの観察眼はエイビスにだってある。メビウス達と違い、先程コッペペを吊るした焦りを見れば血縁は一目瞭然だ。
「イチチ……まあ、取りあえずその、なんだ……オイラもリシュリーちゃんのことは考えててね。まずは平和的に、互いの事情を、情報を交換し合って納得の上で、改めて話しちゃどうだろうね?」
 ふと表情を緩めて振り向くコッペペの言葉に、力なくエミットは頷いた。
 エイビスは温もりの失せた珈琲を喉に流し込み、騒ぎが拡大せぬよう関係者を自分のテーブルに招く。その間も横目で盗み見る、リシュリーとエミットの顔色は対照的だった。
 兄だか弟だかが、おせっかいだと呟く声を、エイビスは心の中で聞いていた。

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