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 見上げる陽光は高く遠い。
 アーモロードにそびえる世界樹のふもとより、根をかきわけ海へといたる道。そこは、木々が密立する森だった。頭上に木漏れ日を抱くは、第一階層『垂水ノ樹海』である。のどかな、それこそ散策したくもなるような穏やかさに溢れているが、れっきとした世界樹の迷宮……危険ひしめくこの場所では、探索という言葉でも物足りない。
「どうやら今回は降りのようですね、隊長。いやしっかし、しょっぱなから怖ぇ怖ぇ」
 しなる突剣の切っ先をもてあそびながら、タリズマンが先程降りてきた階段を振り返る。まるで楽器のように、刃は揺れる都度空気を震わせ低く歌った。
 陽気な仲間に首肯を返して、再度メビウスは天を仰ぐ。
「ハイ・ラガートは登りの迷宮だったけどな。ええと、エトリアはどうなんだっけ?」
「確かコッペペさん達の話では、地下への降りだとか。ここと一緒ですね」
 光に目を細めて、メビウスはかざした手の平で瞼をかばう。
 そんな彼女に応えるグリフィスは、先程しとめた獲物を解体していた。
 危険なモンスターが跳梁跋扈する、世界樹の迷宮。そこで生きる冒険者達の収入源は、昔から倒したモンスターと相場が決まっていた。どんな敵でも、それこそ生物とは思えぬモノからでも、武器や道具の素材は得られる。それは全て街で換金することができた。
「牙に爪、それに皮と……こんなところでしょう」
「結構、結構、おおいに結構。結局やることはいつもと変わらない訳ですか」
 グリフィスの手際に頷き、スカイアイがメビウスへと振り返る。
 その声はしかし、パーティーのリーダーには届かなかった。
「――隊長? スカイアイの奴が呼んでますけど」
「え? あ、ああ、ごめん」
 ふと視線を戻して首を巡らせれば、パーティ一同がメビウスを見詰めていた。誰もが不思議そうに目を丸める中、双子の片割れが肩を竦めてみせる。
「まだ第一階層だよ、メビウス。俺達はまだ、その入口にいるに過ぎない」
 声でネモと知れた。彼はさらに言葉を続けて、
「今度の迷宮は下へ下へと降りる。降りる程に空は高く遠くなっていくだろうね」
 ネモの言葉に『ソラノカケラ』の誰もが上を、根とも枝とも知れぬ梢の密なる空を見上げた。生い茂る葉の向こう側に、光がゆらゆらと揺れている。波間を通して覗く太陽は、どこか頼りなげで不安を誘った。
 熟練の冒険者といえど、まだまだ迷宮の序の口といえど、心細さが募る。
「降りる、っていうより……潜る、だよね」
 誰にともなくポツリと零して、メビウスは沈殿する空気を振り払うように地図を両手いっぱい広げた。
 タリズマンの突剣が、一際強くビィンとしなったっきり、静かに鞘へと収まる。その柄に手を置き、彼は周囲の仲間達とそろって、メビウスの地図を覗き込んだ。
「ちょっと持って、そっち。……ええと、階段があそこだから」
 おどけてタリズマンが「ヤー!」と調子のいい返事。その反対側はネモが無言で握った。
 迷宮の地図を記した大きな羊皮紙を前に、メビウスは懐からペンを取り出し、慎重に線を引いてゆく。
「結構歩いたけど、誰か、何か気になったことは?」
 踏破した道筋を丁寧に描きながら、メビウスはぐるりと仲間達の顔を見渡す。
 口火を切ったのはスカイアイだった。
「さっき階段を降りたけどね、メビウス。まだ上の階に調べていない場所があるんじゃないかな」
 腕組み頷いて、グリフィスが頭巾の奥から同意する。だが、
「一階はざっと見て回ったし、めぼしい物はなさそうじゃないですか。進むなら、先へだ」
 即座にタリズマンが、メビウスのペン先を、その止まった先を指差す。
 周囲の意見をいれつつも、決めるのはリーダーのメビウスだ。誰もが彼女の言葉を待ち、彼女もまた自分の言葉が出てくるのを待った。
 先程見上げた太陽は今は、ちょうど帰路についた頃だろうか? 午後の冒険を、進むか退くか……一つの選択を間違えれば、五人の命がいっぺんに失われかねない。今でこそ周囲のモンスターは危険度が高くないが、この先もそうである保障はないのだから。
「手荷物には余裕がある、けど。ぼくは無理に進むのはよしたほうがいいと思う」
「いやいや、グリフィスさんよう。無理にとは言わないぜ、俺は。な、隊長?」
 タリズマンとグリフィス、両者の間からスカイアイが決断を促す視線を送ってくる。
 鼻から溜息を零して、メビウスが己の好奇心と探究心に素直になったところで、その一言を遮る声が走った。
「その前に、お客さんみたいですね」
 抑揚に欠くネモの言葉に、三者は三様に身構えた。グリフィスが短剣を逆手に抜き放ち、タリズマンも突剣を鞘走らせる。一呼吸遅れてスカイアイが巨大な弩の銃身を構えた。
 それでもメビウスは、落ち着いて地図を畳むと、それを懐にしまって拳を握る。
 振り向く先には、一人の少女が立っていた。
「お、脅かすなよネモ……てっきりまたモンスターかと思っちまった」
「……ゾディアックが一人? 無用心だな」
 敵かと勇んだ連中は、皆が肩を落として緊張感を霧散させた。
 そんな中、メビウスは一歩少女へと踏み出す。また一歩。近付くにつれ、相手の怯え竦んだ表情やしぐさ、容姿から力量までがありありと見て取れた。年の頃は十代の半ば、その服装から察するにグリフィスの言う通りゾディアックだ。
「やあ、お嬢さん。一人旅かい? 何か困り事? ぼく等で力になれればいいけど」
 相手の警戒心を優しく解きながら、気さくにメビウスが声をかける。その声音に敵意がないことが伝わり、金髪の少女は大きく息を吐き出し、次いで口早に喋りだした。
「とっ、突然すみません。アタシはギルド『ムロツミ』の星詠みでカナエっていいます。あの、ちょっとお話を聞いてもらってもいいですか?」
 おどおどと言葉を紡ぐカナエに、メビウスは困惑しつつも微笑みかけた。背後では仲間達がめいめいに、武器をしまって臨戦態勢を解く。
「内容にもよるけど、まずは聞いてみないとね。いいよ、話を聞こう。みんなもいい? よね?」
「ありがとうございます。じ、実は少し困ったことになってて……」
 言われるまでもなく察することができるから、メビウスは真摯に耳を傾けた。そんな彼女を良く知る仲間達は、またいつものことかと苦笑交じりにリーダーに並ぶ。
「つまり、仲間とはぐれてしまった訳だ。ええと、なんていったっけ?」
「アガタです。シノビのアガタ……幼馴染なんですけど。一人でズンズン先に行っちゃって」
「それは確かに困った話だねえ。うーん、弱ったな」
 左右から口々に、メビウスを後押しする声が聞こえる。仲間達は皆、メビウスがこれから決断する内容を知っているのだ。長年連れ添った仲ゆえに、熟知してるとさえ言っていい。
「とりあえずカナエ、一人じゃ危ないからきみを保護するとして。それから……」
 先を進めば、復路は夜になる。寧ろ、往路だけで夕闇に追いつかれる可能性も捨てきれない。
 夜の迷宮は危険度を増すと、メビウスは体験と直感の両方で身に染みていた。
 だが、危険だからこそ、早く探し出して合流する方が安全かもしれない。
 リーダーの決断は無数にあり、完璧な正解など存在しない。
「あの、みなさんは冒険者ですよね? 何かお困りではないですか?」
 不意に背後で声がした。先程メビウスがカナエに放った内容と、ほぼ同じ言葉が響く。
 場違いなくらい明るい声が、一同の背後に音もなく現れていた。一際驚いたのは、誰よりも気配に敏感なネモだった。彼ならずとも、メビウスも驚いた。そして今も、その驚きが隠せない。
 全身を青いマントで覆った少女からは、不思議と人の気配がしなかった。


「おいおい、迷子ちゃんがもう一人かあ? どーします、隊長ぉ」
「あっ、あたしはちょっと違います。海都の冒険者をお手伝いして回っているんです」
 二人目の少女はカナエとは対照的に、その態度は堂々たるものだ。心なしか声も弾んで、それが逆に不自然さをメビウスに感じさせる。警戒や緊張の色が微塵もない。
 得体の知れない少女は、にこやかな表情とは裏腹に、目だけが笑っていなかった。
「この少し先に、安全に休める場所があるんです。モンスターも襲ってはきません」
 自然とカナエを庇うように、メビウスは青い少女と相対する。彼女の手が懐をまさぐると、思わずメビウスは身構えた。呼応するように仲間達も武器を手に取るが、
「このテントを使って、一晩休んでから進んだ方がいいでしょう。皆さん、お疲れですよね?」
 少女が取り出したのは、携帯用に小さく小さく折りたたんだテントだった。そういえば迷宮内でも、野営できる安全な場所が複数存在すると、メビウスは酒場で聞いた情報を思い出していた。
「あ、ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えるけど……どうして? 何故? ええと」
「あたしはオランピア。これは、使命だから……そう、冒険者の手助けがお仕事なんです」
 無垢な笑顔がテントを差し出してくるので、躊躇いつつもメビウスは受け取る。
 手と手が触れた瞬間、メビウスは思いも寄らぬ冷たさにしかし、動揺を表情に浮かべるのを堪えた。
 オランピアと名乗る少女に連れられ、野営地へとつく間に、遥か海の上の太陽は大きく傾いた。

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